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猫をかぶる、?


noteの記事の中途半端な下書きがメモ帳に増えているひさつぐです。おひさしぶりです。

どうも私はリアルが忙しかったり(これは普通か)
精神的なタスクが増えると、なんとか整理して立て直そうとしてnoteやsnsの存在を後回しにする傾向にあるみたいです。

noteは特に記事という完成品を投稿するというゴールがあるのでなおさら足が遠のきます。いや、指が?

ただ、ここ数日Twitterにも出没できてなく、いいねやリツイートすら出来てないので心の余裕がキャパ越えてるんだなあと自分の状況をヒトゴトみたいに把握してる毎日。

ちなみにこれ書いてるの12/6ですけど投稿できるのは来年かなあ、うふふ~( *´艸`)とかちょっとおかしくなってます、まあおかしいのはいつものことだけどw




あんまり前置きという脱線ばっかりじゃなくそろそろタイトルに添った内容書きましょうそうしましょう。



【猫をかぶる】

まあいわゆる素。ではなく対外的なというか、よそゆき的な上っ面な仮面をかぶる、みたいなことかな?

そういえば昔のユーミンのナンバーの中に『よそゆき顔で』って歌がありましたよね。
時のないホテルってアルバムの中にありましたけど、初出は『ESPER』のB面だったとウィキペディア先生が言ってた。
マリッジブルーでちょっとセンチメンタルになった女性がやんちゃしてた若い頃を思い出して、あの頃の仲間や恋人とすれ違っても知らん顔するんだろう、でも知らん顔するくらいなら会えない方がいいし、そのくらいの気持ちしかなかったんだろう。なんて自分の気持ちにけりをつける。

そんな歌詞でした。

昔の歌って歌詞にドラマがありましたね。
ユーミンや中島みゆきは特にそうだったように感じます。



はい。

思いっきり脱線しましたが、この話はどしても書きたかったんで本能の赴くまま書きました、よし満足したので本編戻ります。


猫をかぶるってどちらかというとなんか人を騙すとかあまりいい意味では使われないんですが、私の思う猫をかぶる、というのは少し意味合いが違う。

違うというか、これを猫をかぶると言っていいのかどうかわかんないけど、とりあえずこのワードしか出てこなかったので。


私の言う「猫をかぶる」

猫をかぶった私もまた「素のわたし」なんですよね。
うーん、うまく言えないな。

例をあげると、
私は今住んでる味噌の国に移り住んできて20年ほど経ってます。
生まれは隣のお茶とみかんの国。

前にもどこかの記事で書いたような気がしますが、地元民じゃない私が友達作ろうとしたらまあスナックとか飲み屋がメイン。
お酒は交流のハードル下がりますし、お酒も歌もかわいい女の子も大好きな私にはまあ天国ですよねw

そこで開拓したお店の中でホームにしてるお店があるんですが、15~6年通ってます。

そこでいつも言われるのが「ひさちゃんていつも楽しいお酒だよね」とか「いつもいっぱい歌っていっぱい飲んで楽しいね」ってセリフ。

まあ、そう思ってもらえたらありがたいし嬉しい。

でもね、いつも楽しかったり元気いっぱいなのはそういう時に飲みに来てるからなんだよ。

まあ、言わないけどw
言っても仕方ないことだし、変に「そうじゃないのよー」なんて言ったらそれまでの楽しい雰囲気に水をさしちゃうことになるからそれは言わないのがおとなのマナー、だと勝手に思ってる。


私も人間だから調子いい時もあれば悪いときだってある。
体調崩すときだって結構あるし、人と話したくないひとりが気楽なときだってある。

でも、そんな時に無理にお店に行って無理して歌ったりしてもちっとも楽しくないし、無理して飲もうと思っても体が受け付けない。


仲良くなった女の子が時々イベントのライン送ってくるけど(まあいわゆる営業ね)体調悪い時は行かないし丁重にお断りする。


だってさ、体調悪い時に無理して行っても楽しくないからそういう空気ってすぐバレるし、どうせ飲むなら楽しく飲みたいもんね。

だから行かない。


何年か前に常連会みたいな集まりがあって、どうしてもって言われてがんばって行ったら、カウンターに座って即かけつけ3杯な私が2時間かけてグラスの酒が半分しかなくならなかった。
やたらため息ばっかりでモチベーション低空飛行のままタクシー呼んで帰った。

あれはホントまじアカンやつやった。

それから二度と無理はしてない。


私も楽しくないけどせっかく会えた飲み仲間にも失礼だよなって。


元々自分の中で決めていたボーダーラインを越えてしまったら想像以上にダメだった。まあ笑い話だけど自分の線引きは越えちゃいけないと改めて自覚した出来事だった。



だから私は飲みに行く時は体調万全な時って決めてる。

たぶんそれが「猫をかぶる」って事なんだけど、調子のいい時の私だって「素。のわたし」だし、変にカッコつけたりしてるわけじゃない。

ただ、体調悪いと自分の事でいっぱいいっぱいになるから心に余裕がなくておざなりな対応しかできなくなるから、それが嫌。
なにが嫌ってあとでそれを思い返して「ぐあああああ」ってなるから。

そんな思いするくらいなら最初から行かなきゃいい。ってのが私の結論。



酒飲みでたとえたけど、他の場面でもそういうことはある。

だって本当の素。の私はだらしなくてねぼすけで好きなことだけしていたいっていうわがままなやつだから。

今思ったんだがそれは家族に対してもそうかもしれない。


まさか、家族に素を見せないなんて、って思うじゃない?

そのまさかはあるんですよ。
もしかしたらそれは私だけかもしれないけど。


今のうちの家族構成は私という母親と子供が3人。
男女混合のみんな成人済み。

子供といえど個々の価値観は違うし、親子の繋がりや愛情はしっかりあるけど、やっぱり「人対人」なんだと思っている。
親だから、産んだからえらそうにしていいわけじゃないし、子供だからってわがまま放題にしていいわけじゃない。
それなりに越えちゃいけない部分もあるし、どっちも上から目線なんてあり得ない。


お腹の中にいるときは違う命でありながら自分の身体の中の一部だったけど、オギャーと産まれた時点から私とは違う生き物。そう思う。

小さくても一生懸命考えてることも私とは違うし、同じように諭したり導いても子供によって反応や理解もそれぞれに違う。


だから「人対人」


育児は育自っていう言葉があるくらいに子供に教わることは山ほどあったし、子供を産んで子供と一緒に成長してきたとも思える。

まあまだ今も成長してる途中なんですけどね!


なので子供とのコミュニケーションもそれなりに猫をかぶる。

相手のいやがることをしてはいけません、と教えながら子供のいやがることを言ったりしたりしたらそれこそおかしいし、私に譲れないものがあるように子供にも確かにある。
なきゃ困る。

いつもご機嫌でにこにこしてるおかあさん、っていうのが私の理想の母親像だったけど、早々にそれは無理だと思い知らされた。

だって、子供って親の想定外なことしでかすし、それに振り回されてにこにこしてろってのがまず無理。


私もメンタル強い方じゃないから心折れることばっかりだったけど、言葉が通じなくてもちゃんと理解させなきゃ、っていっぱい話しかけた。
わからなくてもアクセスすることはとても大切なことだって教わったから。

言葉が通じるようになってからはもっと会話した。

おかあさんもみんなと同じように泣いたり傷ついたり困ったりするんだってこと。
これ、教えておくとすごく人に優しくできる子になる。実体験。

まあ子供によって差異はあるけど、うちの子はみんな優しい。
人を思いやれる。

まあ親バカと言われると思うけどね!自覚もしてるよ( ・∇・)



でも、やっぱり自分のネガティブな部分とかはそりゃ多少は見せるけど、あまり子供にはさらしたくない。

なんだかんだ言っても「母親」に対する信頼感とか頼るところがなくなるのはなあ、って。

私自身がかなり早い時期に母親をなくしてるから、余計にそう思うのかもしれない。
実際母がなくなった後、数年間引きずってたし今でも母親は私の中では絶対的に尊敬する対象で大好きな人だから。

そういう「よりどころ」というものを私がなくしてしまうわけにはいかないから、母親としての矜持みたいなものは譲れない。

基本は笑顔。
笑いがある家庭。
困ったことや自分ではどうしようもないことが起こったら相談できる相手がいる。

それは母親でも兄や妹や姉でもいい。


願う家庭像はそうだけど、まあ理想は理想。
思い通りにいかないのが現実だけど、できるだけそういう家庭でありたいと思っている。


だからこその「猫をかぶる」

そう私は思っている。




おおおお!!!

結構最後までなんとか極力脱線せずに書けたんちゃう?
ユーミンのとこはまあ、書きたくて書いたから脱線ぽいけどすぐ戻ったし!すぐ戻ったし!(2回言ったw)

それから一度も脱線しなかったし!
ひさちゃんえらいぞ!(自画自賛かよw)


まあそんなわけで、珍しく一気に書けたんで投稿!


ちなみに今家族の3/4が風邪引いたり体調不良なので(私を含む)また心身ともに元気になったらまた来るよー(*´∇`)ノまたね

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