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ツンデレの黄金比率は9対1とはよく言いますが。



ツンデレの黄金比率は9:1。それはよく知っている。
これについては言及したいところも多々あるけれども今回は人の善悪の話。


一人の人間の中には善と悪が混在する。

それは誰でもそうだろう。

ツンデレを例にとってみると、どれだけ理不尽なことをされても一つのデレでそれを全てなかったことにしてしまう、 まあそれは二次元だから有り得ることなんだろうけど。
ちなみに私は二次元でも9対1の黄金比率(と言われている)のツンデレは個人的に躊躇する。


それはそれとして、3次元の話しに戻ります。


重ねて言うけど

「ひとりの人間には善面と悪面が混在する」

どんなに傲岸不遜な人にも割合はともかく優しい部分もあると思うんですよ。

割合はともかく。


結構長く生きてる私ですが、なんというかこれ言うの恥ずかしいんですけどね。
いわゆる「察する」ことがかなり苦手なんですよ、うん。
昔世代の人なら察する能力高いよね、なんて言われるけど私はそこから弾かれた稀種なんだと思います。

ほめるなら婉曲しないで正面からほめてほしいし、好きなら好きってきちんと誰が聞いてもわかる言葉で意思表示してほしい。

ちなみに私も正面からほめるし好きなら好きってわかりやすく言う人。


たぶん相手の思考を探索するのが苦手なんですよね。
話しながら「相手がなにを欲しがってるのか」を考えるんですけど思い当たるモノを想像してもなかなか確定には至らない。

「本当にこれが相手の求めてるものなのか?」と自分の考えに懐疑的になってしまうんですよね。
結構めんどくさい性格してるなあ私。
だから早々に真正面から聞いちゃう。

でも正面から聞くことが相手に失礼な時ってあるじゃない?
そんな時は、そこからそっと離れるか、知ってそうな誰かにこそっと聞いたりする。

んで、改めて正面からほめる。


まあ、ずるいと言えばずるいのかな。
でも相手が不快にならなければそれでいいって思うからそれはたぶんこれからもしていくと思う。
これから記憶力もどんどん低下していくからね、といいわけw



閑話休題。


いつの間に脱線したのやら(・ω・`*)


再チャレンジ。


ツンデレのように少しのデレでそれまでのツンツンが雲散霧消するのはワタシ的にはどうかと思うんですよ。
さんざん暴言吐いといて、「べ、別にあんたのためにしたんじゃないんだからね!」って言われたって「あーそーっすか、じゃあ別の誰かにしてやればいいよ」ってしか思えない。

暴言吐かれて傷ついた心がそんなちょっとのデレで無かったことになんてならないし心の傷は治らない。

2次元でも「うーわ、よくこれ許せるよな主人公」とか思うこともしばしば。


まあ、2次元だから実際に傷ついた人が現実にはいなかったってのが救いかな。


だけど三次元は違う。

どんなに心を砕いて対応したとしても人の心の地雷は千差万別で十人十色。
100人いれば100の地雷があるし、地雷がひとつだけなんてこともない。

私は過去にいじめられっ子だった。
主に言葉の暴力。

あまりに辛くて思い出すたびに心も精神もすり減っていってネガティブにしかならなかった。
だから長い時間をかけて自分に呪いをかけた。
忘れようって。

忘れようって思ってすぐに忘れられるわけもない、当たり前だけど。
だから他の楽しいこと、自分が笑えること、夢中になれることで思考をいっぱいにした。

そのうち「忘れるために楽しいことを見つける」って事を忘れて純粋に好きなことで心が充たされて、気がつくと「いじめの事実」は覚えてるけど内容はおぼろげになって、いつの間にか忘れてしまっていた。

忘却の呪い、完成である。

私はたまたまうまくいったけど、同じ方法をとってもやっぱり忘れられない人も心が傷ついたままの人もいるからこれが最善策とは言えないし、長い年月をかけるものだから「やってみてやっぱりダメだった」なんて結末もあるかもしれないから「こうしたらいいよ」とは軽く言えない。

人によって傷の深さも治し方も違うからね。



それをふまえての人の善悪。


実は人の善悪について書こうと思ったきっかけは私の亡き母だ。

note記事にも過去に何度か書いてるんだけど、私はマザコンだ。
マザコンって言い方はあまり好きじゃないけどわかりやすく言えば、って話。

でも大多数のマザコン旦那の典型である「母を盲目的に正義だと信じている」あたりはちょっと違う。


今思い返せば、だけど、たぶん私の母親は今で言う毒親的なところがあった。

私が言われたくない事をわざわざ口に出したりしてたんだけど、たぶん母は無自覚で口に出してたんだと思う。
擁護するわけじゃないけどね。

言われた時は私が多感な思春期だったからってのもあるけど、そんなエピソードが2つ3つあって、それは今でもふとした時に思い出す苦い想い出で、なかなか忘れることができない。

それでも私が母に絶大な信頼と亡くなってもなお「大好き」だと言い切れるのはその他の部分があまりにも大きかったから。


つまり。
母というひとりの人間のなかに混在する善悪の悪の部分が、先述した「苦いエピソード」なのだけど、「楽しかったエピソード」はそれの何百倍何千倍もあった。

今の私が人に優しく出来るのも、建設的な考えが出来るのも、明るく前向きな生き方が出来るのも、すべて母のおかげだから。
たぶん母が小学生や中学生だった私の心が傷つかないようにと守ってくれた記憶があるから今私は笑えてるし、明るい気持ちでいられる。そう思う。


そう思えるから私は一点の曇りもなく「母親が好き」と言えるんだと思う。


ツンデレになぞらえてわかりにくかったかもだけどそこは反省してる。ごめんなさいm(_ _)m






ちなみに。

「ありがとう」
「ごめんなさい」
「大好き」
「あいしてる」
「あなたのおかげ」

特に上の2つは特に言葉にして伝えた方がいいと個人的に思ってる。

いくら心の中で感謝しても謝罪しても、言わなければ伝わらないし、言わなかったらないのと同じ。
人間はエスパーでもなんでもないんだから心の中なんてわからないんだから。

それに私みたいに察するのが不得手な人だっているからね(*´▽`;)




うーん、なんかわちゃわちゃしてしまったな、最初と最後でテーマが違う。
次書くときは気をつけよう(*゚∀゚)=3



おわり

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