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某チューブでドクターハッシー動画を見てなんとなく思ったこと


ども、ひさつぐです。

最近指の滑りが悪いのかよすぎるのか、「す」と打ったつもりが「ふ」になってて、上の文も
ひさつぐでふ、とか口にごはんをいっぱい詰め込んだようになってしまいました。

自分で書いたのに「でふ」になってて笑う(´▽`)


さて、早速タイトル回収。

おっ、今日は忘れずにいきますねひさつぐさん(笑)

いつもいつも脱線してばっかりじゃないんだからねっ!
とか出来の悪いツンデレっぽく言ってみたりラジバンダリw

ラジバンダリ覚えてる人いるのかな?
しばらく言葉遊びみたいな感じで流行ったよね、お笑い芸人ネタだったのは覚えてるけどコンビ名も忘れてるという曖昧さw

まあ、いつものひさつぐクオリティーw

あ、今回の画像は遅刻しまくりんぐのバレンタインチョコです。
いただきものだけどめっちゃおいしかった!!!!


アホ言ってないで本筋本筋!



ええとですね。

今日のお昼過ぎくらいだったかな。
お気に入りチャンネル登録してると「あなたにおすすめ」的な一覧あるじゃないですか。

そこの中に「3日後に消します」とかあって、まんまと誘蛾灯に引き寄せられる羽虫のごとくドクターハッシーの動画開いちゃったんですよ。

ドクターハッシーとか他にも色んなお医者さんがそれぞれチャンネル持ってて有用な情報とか教えてくれるんですよね!
それ見て「へえ~」ってなったり「おっこれはいいこと聞いた」ってなってるひさつぐさんなんですけどね。

今日もそんな感じでした。

ただ、今回は「へえ~」はあったけど私には向いてないかなと思っていたらやっぱりあんまり私向けじゃなかった。

ただ、すごく納得して過去の自分にGJした。

今回のテーマは「ストレスになりやすい人ベスト5」

ベストなのかワーストなのかはビミョーなとこではあるけど、時々自分を振り返る指針にはなったかなって思った。

先に言っておく(仮面ライダーゼロノスかw)

【ストレスになりやすい人】

1位・マイナス思考なひと

2位・真面目なひと

3位・頑固なひと

4位・完璧主義なひと

5位・自己肯定感が低いひと




なんですって。


これね、1位と3位と5位は、まんま小中学生時代の私。

マイナス思考で自己肯定感が低くて頑固。

まあ、小中といじめられっ子だったからそりゃ自己肯定感低くもなるしマイナス思考なんて毎日毎分毎秒。
365日、来る日も来る日も「私はダメなヤツなんだ」とか考えてた。

今でこそいじめる側に明確な理由なんてない。ってわかるんだけどさ、オギャーと生まれてほんの十年も経ってない人生の初心者なんだから、そんなことわかるわけないない(ヾノ・∀・`)

良くも悪くも私は人の言うことを素直に聞いてしまう子だったので心無い「ブス」「気持ち悪い」「デブ」とかをまともに受けてしまってへこみまくった。

クラスメイトには私よりも太ってる子もいたんだけど、当時は全然気がつかなくてね。
ちょっと考えたらわかるのに「デブ」って言われたことばっかり気にして陰陰滅滅になってったんだな、これが。

しかも国語以外のお勉強出来ない子だったから算数0点とかのび太みたいなことしてたんだよね。
今思うと算数0点とか狙ってもとれないよなwとかネタにできるんだけどその渦中にいる間はぜーんぜん気づかないの。

デブでブスで頭悪くて名前の後ろに「菌」つけられて、廊下で少しでもすれ違ったらバイ菌みたいに扱われる。


こうして書いてみると私ってすごい悲惨な学生時代送ってたなw
そんで、その状態で良く休まずに学校行ってたなwって過去の自分尊敬するw

まあ、たぶん「休んで逃げる」みたいなことまで思考が及んでなかったし、自我の目覚めも遅かったみたいだからそんなに深く考えることをしなかったのかなとも思う。


そんで、たぶんこれが一番の理由なんだろうけど、両親、特に母親に恵まれたからだと思う。

私の母は、小学校の時にクラスの女の子とケンカして泣いて帰ってきた私を連れて、ケンカした相手の家まで乗り込んでいってくれた。

ケンカというか私は「それ誰のはなし?」と言われるほどの口下手で男女問わず人と話すのができなかった。
まず相手の目も見れずにうつむいて蚊の鳴くような声よりも小さくしか喋れなかった。

せつこ、それ喋ってるんやない。
ただ口もごもごしてるだけや。

とかツッコミ入れたくなるくらいのヤツw

最近よく聞く「場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)」ってヤツだったと思う。

そんかし家の中ではめっちゃ喋るし笑うし怒るしまあいわゆる「内弁慶」ってヤツ。


あ、ちなみに現在の私は知らない人でも話しかけられるので、この話をするとみんなびっくりする。
そうやろな、一番自分がびっくりやもんw


まあ、そんな私だからゆみえちゃん(まだ名前覚えてるw)に「○○(名字)ゴリラ」と悪口言われて言い返したいけどうまく言葉が出てこない。
でも怒りはMAX

で、手に持ってた油性のサインペンで、新しく買ってもらったお気に入りのブラウスにシャッと消えないシミをつけてしまった。
当然相手は泣き出す。

泣きたいのはこっちだ。と思ってもやっぱり言葉が出てこない。
悔しさだけが渦巻いて家に帰って泣いた。
学校では泣けなかったのにめっちゃ泣いた。

そしたら怒り心頭な母がその相手の家に私を連れて行った。

ブラウスをダメにしてしまったのはこちらが悪いからと謝った。
というか謝らされた。
ここらへんはあんまりよく覚えていない。
自分が謝ったことも、頭を下げたことも。
たぶん私は心の中で「自分は悪いことをした」って思ってたから謝れたんだと思う。

今と違ってブラウス一枚、スカート一枚はとても高価で上の子がいる弟妹はお下がりが当たり前の時代だったからね。


でも、母はその女の子に向かって言ってくれた。

「お洋服を汚しても洗ったり買い直せば傷は消えるけど、心の傷は消えないんだよ」って。

だからあなたもちゃんと謝って、って。


その時、この人が私のおかあさんでよかった。ってめっちゃ思った。
よく「全世界が敵になったとしても云々」な決めゼリフとかあるじゃない?
うちの母親はその言葉通り子供を守ってくれる人なんだ。ってめちゃくちゃ嬉しかった。
おかあさん大好きって思った。

言えなかったけどw

いや、そこは言えよ!!!!とかツッコミ入るかもだけど改めて親にありがとうとか大好きとかその時の私には難易度高いミッションだったのでw

ちなみにこの保留されてたミッションは十数年後、長男を産んだ後にコンプリートした(余談ですが)



と、一見脱線みたいに見えるけど、この後の話の前フリです。
マザコンな私なのでおかあさん大好きエピソードを個人的主観で追加したのは大目に見てくれ(´・ω・`)




家の中では内弁慶。
外では一言も喋らない(喋れない)

言いたいことがあってもなかなか言えないし、何かの発表をしなくちゃいけないときには必ず声は震えるし、小さいし、人前に立って注目されるのが何よりも嫌だった。

私はモブがいいです。
いてもスルーしてください。みたいな自己肯定感の低さ。
低いというよりマイナスレベル。


でも、そんな自分も嫌いだった。

家の中で出来ることがなんで外でも出来ないのか。


やっぱりそれは「いじめっ子たちの目が怖かったから」だ。と思う。

私は「いじめられっ子の私」を知らない世界に行きたかった。
なんの偏見もなく私を受け入れてくれる世界が欲しかった。

ちょうどその頃、母親が宗教にハマった。
ちなみにせんべいでも天・理でもない。

今ではかなりめんどくさい団体になっているらしいが、母親がその宗教を知ったのは創始者の人がまだ存命で教えが正しく伝えられてた頃だったのも幸いした。

小中学生だけを集めて夏休みに勤労奉仕やわかりやすく理念を教わったりして、正座して拝むオプションがついたボーイスカウトみたいなものだった。

そこは私の望む「いじめられっ子の私を知らない人」しかいない世界で、すごく楽に息ができた。
子供向けの童話になぞらえた布教本とか少しむずかしめの冊子とかしかなかったから読書が好きな私は端から読んでいってとても幸せな気分になって、同時に「自分の心の持ちようで回りの環境も変えられる」と学んだ。

その宗教はやんちゃな方向に高校デビューしてからはあまり行かなくなって、母亡きあとはDMも途絶えた。

ただ、教えはしっかり私の中に根付いていて、なんとかして「いじめられる私」から脱却したいと思っていた。

今はかなり緩くなったと思うのだけど、私が小中学生時代はどんなに嫌でも「絶対に校区の学校に通わねばならぬ」というルールがあった。
学校変わりたければ転校するしかないし転校は学区内からしか選べなかった。

私の学区には小学校が2つあったけど、どちらの学校も同じ中学校に行かないといけなかった。

私を知らない他の小学校の子も「いじめられっ子の私」を知って「あ、こいついじめていいんだ」と新しくいじめっ子が増えただけだった。

なんだ、修羅の学区かwおいw


草とか生やしてるけどさ、当時はもう四面楚歌だったね、自宅以外。


だから余計に「高校受験」に望みをかけた。
でもやっぱり私の頭は残念な部類だったのでじゃあせめて手に職つけられる学校に行った方がいいんじゃないかと。


最初はいじめっ子たちを見返すためにすごくがんばって勉強して、いい高校に入ってやろうとか考えてたんだけどね。

中学の担任がこれまたクズのくそやろうでなんの因果か数学担当の上にまさかの3年間同じ担任でね。

神に見棄てられたと思ったよマジマジ!

で、さ、

3年になると三者面談とかあるじゃない?

今でも覚えてるけどさ。

三者面談の開口一番。
クズ野郎何て言ったと思う?

「おかあさん、あなたの娘はバカです」

今だったら案件だよね?
でもそれが普通の時代だったんだよな。いやマジマジ。

で、ちゃんと勉強して無駄でもいいから受験したいって言ったらさ、

「どうせ受からない。受けて落ちたら俺の評価ぎ下がるからやめてくれ」だと。



いやー、おかあさん怒ってたね。

でもさ、私が勉強できないのは紛れもない事実だったからさ、私が頭悪いせいでそんなこと言われてしまった母親に申し訳ない気持ちでいっぱいだったよ。

今でも後悔してることのひとつだな。


まあそれはおいといて。


結局、住んでるところからチャリと電車とバスと徒歩で2時間近くかかる洋裁学校に行ったのよ。
私は和裁専攻したけど。
私立で、4年制の専門学校+普通高校扱いの卒業証書ももらえるとこ。


そこってさ、思いっきり「いじめられっ子の私を知らない世界」だったからそこでリセットして友達関係をいちから築こうと思ったのね。

性格改変して、自分が思い描いた理想の学校生活。


まあ、わりとやんちゃな子達が集まる学校だったから、私もやんちゃな高校デビューしてしまったんだけどねw

ちなみにどんだけやんちゃだったか。

一年の時に3クラスあったのが退学やら中退やらあれこれあって2年には1クラスになったレベルのやんちゃ加減(*´ω`*)

せっかく学校入ったからちゃんと真面目に通ってたけどそれ以外はただれた生活してたなあ( ´△`)
酒もタバコも男も覚えて遊び回ってた。
悪いこともしたし駅前の交番で指紋もとられた(なんだと)


でも、小中学生時代の時よりも心がすごく楽になった。
楽になりすぎてはっちゃけすぎた感は認める。


たぶん、今思えば小中と鬱屈して抑え込んできたものが一気に吹き出したんだなあと。



やんちゃ時代ではあったけどあれはあれで私には必要なものだったと思える。
そこで覚えたこといっぱいあったし、人間関係や友達のつきあい方もそこで学んだ。

まあ、母親の白髪増やしてしまったのは今でも申し訳ないと思ってる(;ω;`*)



で。

冒頭に戻るわけなんだけどね。

ドクターハッシー曰く、

自己肯定感の低さは生まれてから5歳までにどんな言葉を回りからかけられたか、それを元に15才なるまでに親にどう言われて育ってきたかで、自己肯定感が磨かれるんだって。


私は学校はくそだったけど、ありがたいことに家庭に恵まれた。

テストで悪い点とっても叱られずに「次頑張ればいいよ」って言ってもらえた。
まあ今の私からすると「甘すぎる!」って思うけど学校に身の置き場がない私にとっての拠り所である家の中で私を責めないようにとの考えだったんだろうと思う。
おかあさんごめんなさい。ありがとう。


ささくれた心を家庭で癒されて、人格形成して15才の時に自分を変えた。


だってこのままじゃ一生いじめられっ子のままだもん。


それから色んな仕事をして恋もして結婚して子供産んで離婚してまた再婚して子供また産んで。

やっぱり大人の世界にもいじめはあったし、疎外感もあった。
仲のいいママ友もできたけど今は転勤族の性で誰とも交流ない。

飲み仲間でも時々毒を吐く人もいるけど、私は我慢してストレスを抱えるよりは距離をとる方を選ぶ。
前は「せっかく声をかけてくれたんだから」と真摯に対応してたけど、自分の心がすり減っていくのがわかったから、自分の心を守るために逃げを選択できるようになったり。


そんな今の私の最初はやっぱり「15才の私」がレボリューションした性格改変がきっかけだと思う。

ストレスはためない。

ストレスのもとになりそうなものからは離れる。


誰がなんと言おうと私の人生には私に責任があるし、私の心を守れるのは唯一私だけだから。

だから危ないものやヤバイものには決して近寄らず、人生の最期まで穏やかに笑って幸せに生きていたいと思う。


てかさ。


ドクターハッシーあんま関係なかったかも。ごめんね(´・ω・`)


終わり~

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