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久恒啓一の「名言との対話」誕生日編1

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1月3日。三岸節子「絵を描くことは、長く果てしない孤独との戦いである」

三岸 節子(みぎし せつこ、1905年1月3日 - 1999年4月18日)は洋画家である。新制作協会会員。

この画家には一宮市三岸節子記念美術館があるが、夫の好太郎にも北海道立三岸好太郎美術館がある。夫婦揃って美術館がある画家夫婦も珍しい。好太郎美術館は札幌にあり訪れたことがある。立派な美術館だった。そのとき31才で亡くなった画家にこんな立派な美術館があることを不思議に感じた。この美術館は節子の

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3月31日。横井庄一「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」

横井 庄一(よこい しょういち、1915年3月31日 - 1997年9月22日)は、日本の陸軍軍人、評論家。最終階級は陸軍軍曹、栄典は勲七等青色桐葉章。

アメリカ領グアムで敗戦を知らずに28年間の逃亡生活後、1972年1月24日にグアム島で島民に発見される。その時、56歳。2月2日グアム島から東京へ。4月25日帰郷。11月3日結婚、57歳。1997年永眠。享年82歳。横井さんは私の大学生時代に大

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11月20日。トルストイ 「最上の幸福は、一年の終わりにおいて、年頭における自己よりも、よりよくなったと感ずることである」

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ(露:1828年9月9日〔ユリウス暦8月28日〕 - 1910年11月20日〔ユリウス暦11月7日〕)は、帝政ロシアの小説家、思想家である。フョードル・ドストエフスキー、イワン・ツルゲーネフと並んで19世紀ロシア文学を代表する文豪。英語では名はレオとされる。



文豪トルストイは34歳で結婚し13人の子供を設けた。その妻とは80歳を過ぎて不和になり家出をし

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3月24日。スティーブ・マックイーン「できるだけ台詞を短くして皆の記憶に残るようにするんだ」

テレンス・スティーブン「スティーブ」マックイーン(Terence Steven "Steve" McQueen, 1930年3月24日 - 1980年11月7日)は、アメリカの俳優。1960年代から70年代にかけてトップ俳優としての地位を確立した。スタント・パーソンに頼らない本格的アクション俳優として一時代を築き、世界中の映画ファンを熱狂させた。

『傷だらけの栄光』、『マックイーンの絶対の危機』

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3月30日。堤清二「愚直さが相手の心を打つ」

堤 清二(つつみ せいじ、1927年3月30日 - 2013年11月25日)は、日本の実業家(セゾングループ総帥)、小説家、詩人。小説家としては、辻井喬を名乗っている。

一世を風靡した西武セゾンの総帥という経済人。「消費社会批判」で経済学博士を取得した学者。引退後の90年代には高見順賞、谷崎潤一郎賞、藤村記念歴程賞、野間文芸賞、現代詩花椿賞、読売文学賞、現代詩人賞などを総なめした詩人・小説家。

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3月29日。羽仁五郎。「自分の国だから我々は日本を批判するのだ。批判するのはよりよい日本をつくるためなのだ。批判の無いところに未来はない」

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羽仁 五郎(はに ごろう、1901年(明治34年)3月29日 - 1983年(昭和58年)6月8日)は、日本の歴史家(マルクス主義歴史学・歴史哲学・現代史)。参議院議員。日本学術会議議員。

自由学園創立者の羽仁もと子の長女説子は教育者だが、結婚した相手の森五郎はが後のマルクス主義者であり一世を風靡した羽仁五郎である。その子供は映画監督の羽仁進であり、その子供が1964年生れのジャーナリス

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3月28日。色川武大「9勝6敗を狙え」

色川 武大(いろかわ たけひろ、1929年3月28日 - 1989年4月10日)は、日本の小説家、エッセイスト、雀士。阿佐田哲也という名前では麻雀小説作家として知られる。

色川武大という名前で純文学を書いた。1961年に「黒い布」で中央公論新人賞、1977年に「怪しい来客簿」で泉鏡花賞の翌年に「離婚」で直木賞、1982年「百」で川端康成文学賞、1989年「狂人日記」で読売文学賞を受賞。

一方の

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3月27日。高峰秀子「現場で働く人間にとって、何より嬉しいのは、同じ現場の人間に慕われること」

高峰 秀子(たかみね ひでこ、1924年3月27日 - 2010年12月28日[1])は、日本の女優、歌手、エッセイスト。

天才子役スターから始まり、木下恵介、小津安二郎など日本映画界の巨匠の作品に数多く出演。女優引退後はエッセイストとして活躍した。「わたしの渡世日記」では第24回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞しているほどの名手でもあった。

熱心に本を読む人だった。高峰は小学校に通算して一ヶ

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3月26日。李承晩「一つになれば生き延び、ばらばらになれば死ぬ」

李 承晩(り・しょうばん、イ・スンマン 1875年3月26日 - 1965年7月19日)は、朝鮮の独立運動家で、大韓民国の初代大統領(在任1948年 - 1960年)。

日本の植民地時代、アメリカを拠点に独立運動を展開した。戦後、大韓民国を建設し大統領に就任。北朝鮮の金日成を意識しており、「北進統一」を掲げる親米反共主義者であった。1952年に李承晩ラインを宣言し、日本に強硬姿勢を取り、13年後

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3月25日。佐伯勇「果報は練って待て」

佐伯 勇(さえき いさむ、1903年〈明治36年〉3月25日 - 1989年〈平成元年〉10月5日)は実業家。近畿日本鉄道(近鉄)の元社長、会長、名誉会長で、近鉄グループの総帥。プロ野球・近鉄バファローズのオーナーでもあった。アメリカの大陸横断鉄道の2階建てドームカーを参考にした、世界で初めての2階建電車による特急車のビスタカーの生みの親でもある。近鉄中興の祖。

奈良の自宅は現在では上村松園ら3

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3月23日。川上哲治「中途半端だと、愚痴が出る。いい加減だと、言い訳がでる。真剣にやれば、知恵が出る」

川上 哲治(かわかみ てつはる(現役時代は「てつじ」)、1920年3月23日 - 2013年10月28日[1])は、熊本県球磨郡大村(現・人吉市)出身のプロ野球選手・監督、野球解説者。現役時代より、その卓越した打撃技術から「打撃の神様」の異名を取り、日本プロ野球史上初の2000安打を達成した。王貞治・長嶋茂雄らを率いて読売ジャイアンツの黄金時代を築き上げ、プロ野球史上唯一の「V9」(9年連続セ・リ

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3月22日。中山晋平「らしく、、、というのはいい言葉だよ。誰でもその人らしく振る舞えばいいのさ」

中山 晋平(なかやま しんぺい、1887年(明治20年)3月22日 - 1952年(昭和27年)12月30日)は、日本の作曲家。多くの傑作といわれる童謡・流行歌・新民謡などを残した。作品は多岐にわたり、童謡823曲、新民謡287曲、流行歌468曲、その他学校の校歌・社歌等217曲あり、判明しているだけで1795曲ある。

新民謡(創作民謡)では、野口雨情、西条八十、北原白秋等の作詞で多くの曲をつ

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3月21日。斉藤茂太「人を集めよう。幸福が集まる」

「名言との対話」3月21日。斉藤茂太「人を集めよう。幸福が集まる」

斎藤 茂太(さいとう しげた、1916年3月21日 - 2006年11月20日)は、日本の精神科医、随筆家である。斉藤茂吉の長男。次男は北杜夫。

米寿を迎えた頃から足が悪くなり、講演や旅行は減ったのだが、作家活動に力を入れ、多くの書を書いた生涯現役の人だった。

「腕を上げるにはネをあげないことだ」

「あきらめないことだ。一

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3月20日。高橋由一「油絵は写真に勝る」

高橋 由一(たかはし ゆいち、文政11年2月5日(1828年3月20日) - 明治27年(1894年)7月6日)は江戸生まれの日本の洋画家。由一は本格的な油絵技法を習得し江戸後末期から明治中頃まで活躍した、日本で最初の「洋画家」といわれる。

「油絵は写真に勝る」というこの言葉は、高橋由一の大型の傑作「鮭」を見たときに納得できた。縦長の画面に縄で吊され、なかば身を欠き取られた鮭を描いた作品は西洋の

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