2月22日。 笑福亭松之助「掃除はどうしたら楽しいか考えろ」

2代目 笑福亭 松之助(しょうふくてい まつのすけ、1925年8月6日 - 2019年2月22日 )は、日本の落語家、放送タレント、俳優。

「好きなことして生きてやろ」と思い、「死んだときに新聞に名前が出る(略)ちょっとでも人に知ってもらえる」として芸人になることを思い立つ。「おっ師匠はんの前に、火がボーッと燃え上がったような」気がして、「客席でブルブルッと身震いするほど、ええなあと思うた」ことがあった。こうして「入門するならここや」と決意を固め、松鶴の懐に飛び込むが、「ご飯食べられへんで」とつぶやかられる。「それはもうわかってます」と答えた。「そうか。そんなら明日からおいで」と弟子入りを認めた。

役者や噺家などの区分にこだわらず、「自分は『芸人』なんや」と意識し、「芝居をやれと言われれば役者を演じ、落語をやれと言われれば噺家を演じる」と決心。松之助は入門当初の稽古ネタや演じた場所・日付・報酬などを細かくA5判の大学ノートにつけていた。松之助は若手時代に習得したネタについて、教わった時期や師匠を記録している。80歳代に入っても40分を超える長ネタを演じ、映画監督をつとめ、ブログを開設して自ら積極的にメッセージを発信するなど、エネルギッシュに活動していた。

タレントの明石家さんまの師匠として一般的に知られている。松之助は、多くの弟子に自身の本名にちなむ「明石家」の亭号を与えた。その一人が明石家さんまだ。実家が魚屋だったことから「さんま」になった。さんまが売れ出した頃、高座で必ず開口一番「売れているさんまの師匠の笑福亭松之助です」と言って笑わせた。「彼は常に全力投球で、絶対に手を抜いていない」と、感心している。以下、今をときめく、明石家さんまの師匠観。

・ある時、松之介に「師匠、人を笑わせて何になるんですか」と尋ねたことがある。松之介がただ笑っているだけだったので、「なんで笑ってはるんですか」と聞くと「わしも若いころ、同じことをわしの師匠に訊いたことがあるからや」と答えたという。その時は、質問への答えの内容については「忘れた」とはぐらかしていたが、後日「悲しいことがあったり元気がなくなったりしている人が、落語とか聴いて、ちょっとでも気持ちが楽になったら、それでええ」という答えだったらしい。

・掃除をしていると師匠が、『それ、楽しいか』って言うんです。『いいえ』って答えると『そやろ』って。『そういうのが楽しいわけがない』と、おっしゃるんですね。そのときに、師匠に、『掃除はどうしたら楽しいか考えろ』 って言われたんですけど、そこでしたねぇ。あの、掃除なんて、楽しくなるわけがないんですよ。 ところが、『楽しくなることを考えてることは楽しい』。っていうところにね、18歳のときに気づかせていただいたのが非常に助かりましたね。たぶん、ふつうの人は、「掃除は楽しくない」 というところでやめてしまう人が多いんじゃないかと思うんですけど、楽しくないものをどうすれば楽しいか、ということを考えていくと楽しいんです。 (高校3年18歳のときに笑福亭松之助に弟子入りした)

人を笑わせて何になるのか、楽しくないものを楽しくするにはどうしたらいいか。この記録魔は常に弟子に疑問を持たせ、その疑問を自分で考えさせた人だったのではないだろうか。「?を!にする」のが自分で自分を高める自己教育の本質だ。教育者・笑福亭松之助の教育成果が明石家さんまに代表される弟子たちだ。さんまは、師匠の前では絶対に座らなかったという。


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久恒 啓一

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