2月23日。片倉もと子「砂漠のままの文化を大切にしたい」

片倉 もとこ(かたくら もとこ=素子=・旧姓新谷、1937年10月17日 - 2013年2月23日)は、日本の民族学者・文化人類学者。

民族学者・文化人類学者として、生涯にわたって中東の遊牧民とアラブ・ムスリムの研究に従事。日本では殆ど知られていなかった中東文化について、多大な知識がもたらした。アラブ独特の価値観、アラブ女性の世界、アラビア海洋民(海の遊牧民、片倉による呼称)の存在、などを明らかにしたイスラム研究者である。

大学共同利用機関である京都の国際日本文化研究センター(日文研)の歴代所長は梅原猛、河合隼雄、山折哲雄と生え抜きが続いていたが、所外者で初めての女性の所長をつとめた。

片倉は「沙漠のままの文化を大切にしたい」との言葉を残して他界。遺言には、遺産を基金として沙漠文化の研究者や芸術家に役立ててほしいとあり、この遺言に基づき財団が設立された。一般財団法人片倉もとこ記念沙漠文化財団は、片倉もとこの志を受け継ぎ「沙漠文化大切にし」「沙漠そのもののうつくしさをひきだす」ことに より、沙漠文化の「諒解」に寄与することを目的としている。沙漠文化に関する調査研究や芸術文化活動に取り組む人々を顕彰する「ゆとろぎ」賞をがある。ゆとり、くつろぎからりくつを引いた言葉だ。アラブでは仕事、遊び、ラーハと時間を区切るのだが、そのラーハは日本語のくつろぎにあたる。

シルクロードには大きく3つの道がある。「草原の道」「砂漠の道」「海の道」。この砂漠を愛したのが片倉もと子だ。イスラム社会では人物が立派であるかをはかるイルムという言葉がある。理性と感性の両方を含む「情報」を持っている人だ。旅と交流によって得られる世界観だろう。片倉もと子は14世紀初めに30年間にわたりイスラム世界を旅行した偉大な探検家・イブン・バットゥータに因んで、アラビア人の学者から「あなたはまるで"ビント・"(バットゥータのビント=娘)だ」と、光栄なあだ名をもらっている。

片倉もと子は砂漠の魅力に取り憑かれた一生を送り、日本沙漠学会副会長もつとめた。砂漠文化の伝承のために遺産を寄付し、それが財団となって「志」が継続していく。

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