2月21日。石橋信夫「私は経営を耳で学んだ。これこそ生きた経営学である。私は学問はないが「聞学(もんがく)」は習得した。これが何よりの武器なのである」

石橋 信夫(いしばし のぶお、1921年9月9日 - 2003年2月21日)は、日本の実業家。大和ハウス工業の社長・会長をつとめた。

石橋信夫は日本列島を人間の体にたとえて、国鉄が血管、目は電灯だから電力、耳と口は電電。手は建設で、足は農林だ、そう考えて「建築の工業化」を企業理念とし 1955年創業以来、常務・社長・会長を1992年までつとめた。鋼管構造で「建築」を進化させ、プレハブ住宅で「住宅」を身近なものとし、多角的な事業で「生活」を豊かにしていこうとした。

2017年3月期は、賃貸住宅、商業施設、事業施設の3事業が堅調に推移し、売上高3兆5,129億円、営業利益3,100億円、純利益2,017億円で過去最高を更新。2017年4月には、グループ企業196社、約62,000人からなる企業へと成長した。大和ハウス工業の新分野や新規市場に果敢に挑戦している姿を、広告、記事等マスコミで目にすることが多くなった。

日経ビジネスのインタビューでは、「信念の人」「一徹」「頑固もの」「独りよがり」「猛烈」という評判とともに、「頑固」「独善」「狭量という言葉もある。石橋信夫は典型的な創業者タイプの人物だ。

1959年に川での鮎釣りで子ども達が家に帰っても居場所がないということにヒントを得て、3時間で建つ11万円のお家「ミゼットハウス」を開発する。「昨日今日の思いつきで言っていると思うのか。ずっと見てきたうえでの決断だ」 「人の通った道をあとからついていくほど屈辱的なことはないな。だから四六時中、仕事のことを考え続けた」と本人が言っているように、石橋はいかなる時も考え続けた。

この石橋の武器は耳学問だった。それを「聞学」と呼んで意識的に精進したのだ。人に会い最先端・最前線の人々からエキスの話を聞き、考え、そしてまたカンドコロを聞き、考え抜く。こういった生きた経営学でくり返しでヒットを生んでいったのである。学歴はすぐにひからびる。生涯を通じての学習歴の積み重ねこそが重要であることを石橋信夫の「聞学」は教えてくれる。

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久恒 啓一

久恒啓一の「名言との対話」(平成命日編)

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