3月3日。村松増美「私も英語が話せなかった」

村松 増美(むらまつ ますみ、1930年7月31日 - 2013年3月3日)は、同時通訳の草分け。

名前から女性を連想させるが、男性である。同時通訳をこなす英語の達人として有名だ。1969年のアポロ11号の月面着陸のテレビ中継の同時通訳を行うなど大活躍した。

早稲田大を中退し、在日米軍の通訳になる。1956年には日本生産性本部の駐米通訳としてアメリカに滞在。1960年にはワシントンの日米貿易協議会調査部長。滞米中にジョジワシントン大学で国際経済学を学ぶ。1965年、(株)サイマル・インターナショナルを創設し、社長、会長。先進国サミットでは1975年の初回から9回まで通訳として参加している。 2013年の訃報のニュースでは「「ミスター同時通訳」村松増美」氏が死去」と説明された。このニュースを聞いた人たちは、あの温顔を思い浮かべただろう。

この原稿を書くにあたって久しぶりにyoutubeで村松増美の英語のスピーチを聞いてみたが、クセのない、実にわかりやすい英語だった。

「アポロ月着陸の実況同時通訳をお聞きになっておられない世代の方がたも、テレビの同時通訳で、英語に改めて興味をもたれ、私の初めての本を読んでくださるのは、とても嬉しいです」。著書『私も英語が話せなかった』はベストセラーとなった。国際化時代の人間国宝・村松増美も、英語がだめだったという逸話が満載の本である。珍訳、迷訳、失敗談のユーモアあふれる筆致が楽しめる。後に国際ユーモア学会の理事をつとめた著者のユーモア感覚で書かれたこの本は、英語を学ぼうとした人からよく読まれた。英語の達人が私はこうやって英語を克服したというタイトルではなく、「私も英語を話せなかった」という真逆のメッセージは当時の日本人を大いに励ました。

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