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6月14日。西江雅之「世界は多数、地球は一つ」

西江 雅之(にしえ まさゆき、1937年10月23日 - 2015年6月14日)は、日本の文化人類学者、言語学者。

小学校時代にはNHKの素人のど自慢に出場し入賞する。日劇で『鐘の鳴る丘』に出演し、「鐘が鳴りますキンコンカン、、」を歌う。子ども時代は野外で一日中過ごし、野性動植物や昆虫を食べていた。猫になりたかった西江は猫的生活を送る。その身のこなしが早大高等学院体操部で生きる。器械体操の東京地区高校大会にて鉄棒で1位となり、全種目総合でチャンピオンとなった。

早稲田大学政経学部3年の時、早大生たちによるアフリカ大陸縦断隊に参加。意思疎通の必要からスワヒリ語を研究し、日本最初のスワヒリ語の専門家となる。20代で日本初の「スワヒリ語辞典」を編む。早稲田大学政経学部、学士入学で文学部英文科を卒業。大学院では芸術学専攻修士課程修了する。大学院時代は米ライシャワー駐日大使の娘の家庭教師を務めた。その後フルブライト奨学生として渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校大学院アフリカ研究科で学ぶ。 40歳まで定職はなかったが、東京外国語大学助教授、早稲田大学文学部教授を歴任した。

この人間大好きの天才は世界中を旅しているのだが、荷物はビニール袋一つだった。中には財布、パスポート、読みかけの本、ノートと筆記用具だけという軽装だった。弟子の一人は、先生は風呂には入らないのはなぜかと問うと、風呂に入ると「肌が緩む」と言っていたと証言している。西江は「新聞の1面を見て、自由という単語が5つあったら、不自由な、自由のない国」とも語る。旅が住み家であったのだ。

『旅は風まかせ』というエッセイ集を手にしてみた。世界の旅で考えたことが書いてあるが、放浪癖のあるこの人にとっては与那国島、三宝寺池、キョート、我が家、ヨコハマも、ヌメア、ケンブリッジ、マイアミ、カリブなどと同じ平面に並んでいるという印象だ。行き当たりばったりに知り合った人々と食事をし、そして別れていく旅だ。「旅は人生である」という文字どおりの生活だ。

「異文化理解とは、アキラメと妥協。相手と同じになることではない」と語り、「所詮人間は同じ。笑ったり泣いたり怒ったり。あり方がチョボチョボと違うだけ」であり、世界には4000から8000の言語があるように多様ではあるが、やはりみな地球人だという世界観だった。名前は知っていたが、このような奇人、天才とは知らなかった。興味が尽きない人物だ。



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