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2月10日。 岡田嘉子「私は過去を後悔すること嫌いなんです」

岡田 嘉子(おかだ よしこ、1902年4月21日 - 1992年2月10日)は、日本の女優、アナウンサー。

大正から昭和初期にかけて、サイレント映画時代のトップ映画女優であった。妊娠、結婚、駆け落ち、失踪など奔放な恋愛遍歴や、ソビエト連邦への亡命など、波乱の生涯を送ったことでも知られる。

岡田嘉子は1921年、19歳で山田隆弥主宰の舞台協会公演「出家とその弟子」で息をのむようなラブシーンを演じて以来、新劇のトップスターとして活躍。また愛人の借金返済のために日活と契約を結び、そして映画の世界でもトップスターになった。

1927年、内縁関係にあった山田を捨て、撮影中の相手役・竹中良一と失踪、そして結婚。30歳、松竹蒲田撮影所に移籍し、小津安二郎監督の「また逢う日まで」「東京の女」などで主演。1936年に演出家の杉本良吉と恋に落ち、共産党員の杉本が軍隊に召集されることを恐れて、ソ連への越境を提案し、1937年12月27日、二人でソ連への亡命を決意。上野駅を立ち北海道を経て、翌年1月3日、南樺太の国境を越えてソ連に越境し消息を絶った。これが有名な「恋の樺太逃避行」である。

ソ連はスターリンの大粛清の最中であり、引き離されて取り調べを受け、スパイ容疑で別々の独房に入れられ、1939年に杉本は銃殺。岡田は10年の強制労働をさせられる。その後、モスクワ放送局で日本語アナウンサーとなる。同僚の日本人と結婚し、モスクワの国立演劇総合大学で演出を学ぶ。

1972年、日本に里帰り。1974年から主に日本に滞在。映画「男はつらいよ・寅次郎夕焼け小焼け」のほか、舞台やテレビにも出演。1986年に帰国し、亡命直後の状況について口を閉ざしたまま89歳で他界した。多磨霊園にある墓碑には、「悔いなき命をおしみなく」という自筆が刻まれている。

1994年12月4日にNHK-BS2で放映された『世界・わが心の旅 ソビエト収容所大陸』(レポーター・岸恵子)の現地取材によりソ連時代のことが明らかになった。ディレクターの今野勉は、『中央公論』1994年10月号に「岡田嘉子の失われた十年」として発表している。

「私、近頃よくこう思うの人生に後悔はつきものじゃないかしらって ああすればよかったなあという後悔ともう一つは どうしてあんなことをしてしまったんだろうという後悔……」。 これは「男はつらいよ 第17作「寅次郎夕焼け小焼け」で岡田嘉子が演じた 志乃のセリフである。「後悔しない」ことを信条としていた岡田嘉子の本音は案外、このセリフにあったのではないだろうか。最近、私も「寅次郎」にはまっているので、数奇な人生を送った伝説の女優・岡田嘉子の演技、特にこのセリフを語るところをじっくりとみてみたい。

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