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4月12日。山村新治郎「(政務)次官は盲腸といわれているが、役に立つ盲腸だってあっていい」

山村 新治郎(やまむら しんじろう、昭和8年(1933年)4月28日 - 平成4年(1992年)4月12日)は日本の政治家。

衆議院議員(当選9回)。運輸政務次官、運輸大臣、農林水産大臣、衆議院予算委員長などを務めた。

1970年3月31日の共産主義者同盟赤軍派による日航よど号ハイジャック事件が起こる。日本初のハイジャックであった。羽田発福岡空港行きのよど号を乗っ取った犯人たちは北朝鮮行きを要求した。ソウル空港を北朝鮮の空港と偽装し到着するが見破られる。事前に韓国ソウルに到着していた山村新治郎・運輸政務次官は、犯人の田宮高麿らとの交渉の末に、4月3日に乗客の身代わりとなって北朝鮮に向かう。平壌空港には降りられず、肉眼で小空港に着陸。乗員9名、犯人3名、山村の13名は北朝鮮当局に確保された。4月4日には、北朝鮮は問題を押し付けた日本を非難をする一方で、「人道主義的観点から機体と乗員の返還を行う」と発表した。また犯人たちには必要な調査と適切な措置を執るとして、亡命を受け入れる姿勢を示した。4月5日には全員が羽田空港に帰還した。

こういった大きな事件は関係した人々の人生行路を変えてしまう。よど号の石田真二機長は、いちやく時の人となるが、プライベートなトラブルを週刊誌に書き立てられた結果、日本航空を退職する羽目になった。

この便に乗り合わせた聖路加病院内科部長の日野原重明は、犯人が「この飛行機はハイジャックされた」と乗客に放送すると、ハイジャックとは飛行機を乗っ取ることです、と解説している。もう一人の弟子の医師とともに乗客の健康管理にあたっている。このとき日野原は59歳、これ以降人生の目的を一変する。

命の危険を顧みず身代わりを自ら申し出た当時36歳の山村新治郎は、「男やましん」「身代わり新治郎」と呼ばれ英雄視された。春日八郎による『身代わり新治郎』という歌まで登場した。1976年の選挙で落選した後、「男・山村新治郎」をキャッチフレー図に1980年の選挙で国政復帰し、以後、農林水産大臣、運輸大臣をつとめた。

私は1973年に日航に就職し、ロンドン勤務から戻り成田の独身寮にいた1980年に、山村新治郎の演説を耳で聞いた記憶がある。「日航の皆さん、ハイジャック時に身代わりとなった山村新治郎です」と言っていた。冒頭の「役に立つ盲腸」発言は話題になった。

今回改めてよど号ハイジャック事件を調べてみて、国交もない異国・北朝鮮への飛行ルートもなく、また人質は日本に帰さないという発言もあるなど、どうなるか全く予想がつかない状況だったことがわかった。その中で、自ら手を挙げたのはやはり勇気ある、男気のある人だったと思う。この一事で山村新治郎は歴史に名が残ったと言ってよい。

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