3月20日。須賀敦子「書くべき仕事が見つかった。いままでの仕事はゴミみたいなもんだから」

須賀 敦子(すが あつこ、1929年1月19日] - 1998年3月20日)は、日本の随筆家・イタリア文学者。

18歳で洗礼を受ける。24歳で渡欧、以後日欧を往き来する。32歳ペッピーノと結婚。34歳、谷崎潤一郎『春琴抄』『蘆刈』のイタリア語訳を刊行し、以後日本文学のイタリア語版を刊行していく。谷崎作品のほか、川端康成『山の音』、安部公房『砂の女』などをイタリア語翻訳刊行する。長く大学の非常勤講師を務めた後に、53歳、上智大学外国語学部助教授。60歳、比較文化学部教授。

須賀敦子の名は、ビジネスマン時代に同僚の女性から名前を聞いてはいたが、本を読むまでには至らなかった。今回『須賀敦子を読む』を読んで、須賀自身のエッセイに興味が湧いた。

翻訳を長く仕事とし、生前はエッセイを書いた。翻訳は自分をさらけ出さないで、責任をとらずに文章を書く楽しみを味わえたから須賀は好きであり、いい仕事をし、イタリア共和国カヴァリエール功労賞を受章している。2014年には、イタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設された。また、エッセイでは女流文学賞、講談社エッセイスト賞を受賞している。2014年にはイタリア語から日本語への優れた翻訳を表彰する須賀敦子翻訳賞が創設された。

少女時代から「書く人」になりたいと願った。書くということは「息をするのとおなじくらい大切なこと」という須賀は、『ミラノ 霧の風景』から始まる完成度の高いエッセイ群によって、たどってきた時間を生き直したと『須賀敦子を読む』の著者・湯川豊はいう。信仰と文学の一体化を実現する小説の道を発見した須賀敦子が語った「書くべき仕事が見つかった。、、」は、死の直前の1998年2月4日の言葉だ。「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」(孔子)を彷彿とさせる。孔子の言う道は真理という意味であるが、須賀敦子の場合は自分の進むべき道であったろう。

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