見出し画像

5月5日。ジーノ・バルタリ「人として当たり前のことだ。この話は以上。」

ジーノ・バルタリ(Gino Bartali, 1914年7月18日 - 2000年5月5日)はイタリア・フィレンツェ近郊に位置するポンテ・ア・エマ出身。自転車競技選手である。

13歳で自転車屋で働き始め、アマチュアレースで頭角を現す。1935年にプロに転向しイタリアチャンピオンになる。華々しい活躍をする。第二次世界大戦後に復帰し、イタリア自転車競技界をけん引した名選手である。

1937年頃からファシスト党による動きが激しくなり、バルタリはフランスに拠点を移す。第二次大戦中には、強制収容されているユダヤ人を救う活動を行っている。フレームのパイプの中に写真や書類を隠し、練習を装い自転車で行き来する。ユダヤ人を隠したカートを自転車で引きながらアルプスを越えていたこともあり、パトロール中の警官にこれは何かと聞かれたら、「特殊なトレーニング器具です」と言ってごまかすなどの行動をとった。

バルタリは生前にこのことをほとんど他言することなかった。家族に詳細を聞かれても、「人として当たり前のことだ。この話は以上。」としか言わなかった。バルタリは「命のビザ」で国際的にも有名な杉原千畝にも相当する人物だ。杉原はユダヤ難民へのビザ発給を決断し6000人に日本への渡航ビザを発給した外交官である。救われたユダヤ人の子孫は4万人以上に及ぶ。彼らは後に様々な国の大臣、芸術家などになり世界を変えていく。杉原も「大したことをしたわけではない。当然のことをしただけです」「もし、同じ事態に遭遇したら、私は、もう一度同じことをするに違いありません」と語っていた。

没後の2013年にはイスラエルの「ヤド・ヴァシェム」によって、「Righteous Among the Nations:国家間における正義の人」と記録された。杉原も85歳で同じ賞を受けている。この賞には「一人の命を救う者が全世界を救う」と記されている。自転車競技でイタリア国中を熱狂させたバルタリは、世界を救った人でもあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?