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1月11日。 福田繁雄「『あなたの代表作は?』『今制作中の作品です』」

福田 繁雄(ふくだ しげお、1932年2月4日 - 2009年1月11日[1])は、日本のグラフィックデザイナー。単純化された形態とトリックアートを融合させたシニカルなデザインが特徴。「日本のエッシャー」。

岩手県立福岡高等学校を経て東京芸術大学図案科卒業。大学在学中に日本童画会展アンデルセン生誕150年記念賞などを受賞。卒業後、味の素デザイン室を経て、1958年フリーとなる。1966年、日本宣伝美術会会員[6]。1967年、日本万国博覧会の公式ポスターに入選して脚光を浴びる。また、万国博覧会会場の迷子標識などの絵文字(ピクトグラム)も手がけた。1969年よりカゴメ・アートディレクション担当。1972年ワルシャワ国際ポスタービエンナーレ金賞を受ける。1975年にワルシャワ戦勝30周年記念国際ポスターコンクールのグランプリ作品『VICTORY』で世界的名声を得る。1976年、芸術選奨新人賞受賞。1978年、東京芸術大学美術学部デザイン科講師[10]。1981年-1986年、東京芸術大学助教授。のち、客員教授。1985年つくば科学博でも「子供広場・さがし絵の森」「UCC館」などを担当。1997年、紫綬褒章受章。2000年、日本グラフィックデザイナー協会会長。1966年、毎日デザイン賞から、2007年の勝美賞まで、内外の多くの賞を受賞している。

疎開して高校までを過ごした母の実家のある岩手県二戸市に福田繁雄デザイン館があり、ポスター、グラフィックアート、版画、イラスト、立体オブジェなど、企画展ごとに展示されている。ここも田中館愛橘記念館とともに訪問したことがある。 2007年、台湾の東方技術学院に福田繁雄設計芸術館がオープンしている。

以下、『デザイン快想録・福田繁雄』にみるデザイン観を追う。

「情報を受ける人間の視知覚を(見るという感覚、知るという感覚)考えることから新しいビジュアル・コミュニケーション(視覚伝達)がスタートする」「インテリア・デザイン、インダストリアル・デザイン、グラフィックデザインと進んできて、今後は総合的な知恵の結晶されたアート・デザインになっていく」「デザイン、時代の感性という領域の壁を読み、現実のテーマをキャッチする、ビジュアルなレーダーをもったクリエーターが、アート・ディレクター」「デザイン、 ごく平凡で、なにげなく、見過ごしてから一瞬ギクリと硬直して立ち止まり、小膝をたたいて生き甲斐を感じる、、、そんなデザインを創りたい」」「ヴィジュアル・ショック」「デザインは、世界共通の視覚言語です」

「これほど、多忙な国際人で、第一線で活躍を続けるデザイナーでありながら、福田には、事務所とよぶ場所、そして下仕事をしてもらうアシスタントや営業のためのスタッフはいないのである。様々な、仕事の電話のやりとり、デザイン原稿の作成、スケジュール管理まで、すべて福田一人の手元で行われているのである」と福田は紹介されている。人を雇わずに一人で仕事をしたのである。「こんな面白いコトをどうして他人に任せられますか。もったいないよ。自分が楽しまなくっちゃ」。

モノ書きではなく、モノ描きであることを自称する福田繁雄は、「造形こそが私の魂なのだ」とデザインの道を迷いなく歩き続けた。「あなたの代表作は?」と聞かれて、いつも「今制作中の作品です」と答えていた。「あなたの最高の傑作は?」という問いにチャプリンは「次の作品です」と答えていた。福田繁雄も同じように、常に次の仕事を自身の最高の作品にしようとしていたのだ。代表作、最高傑作を追い続ける勇気をもらった。


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