12月21日。 大川慶次郎「私は競馬で3億得しています。そして4億損しています」

大川 慶次郎(おおかわ けいじろう、1929年2月6日 - 1999年12月21日)は日本の競馬評論家。

オーナーブリーダーであった父・大川義雄(高千穂製紙社長)の二男で、渋沢栄一の曽孫にあたる。慶應義塾大学卒業後、会社員となるが競馬をあきらめらず、明治座社長だった新田新作の競馬担当秘書となる。1957年から日本短波放送の解説者となった。『ホースニュース・馬』を発行するホースニュース社と予想家契約を結ぶ。1961年9月3日、同紙上で予想家としては初となるパーフェクト予想を達成するが、その後、極度のスランプに陥る。1994年に『ケイシュウNEWS』を去った後はフジテレビ『スーパー競馬』の解説者・日刊スポーツ専属評論家として活動した。1981年に設立した競馬予想会社・ホースメン会議の総監督も亡くなるまで務めた。ファンへの仁義としてみずからも予想の通り馬券を買うのを常としていた。私は競馬には関心がないが、テレビで大川の顔は知っている。

馬の体型を一目見ただけで他の予想家や競馬記者が気づかなかった体調や故障、先天的障害を言い当てることもあったそうだ。予想家としては通算4度パーフェクト予想を達成し、「競馬の神様」と呼ばれファンに親しまれた。「神さまに戒名なんか要らない」という家族の意向により、大川に戒名はつけられなかった。死の5日後の「生前最後の予想」も的中させている。

「後編でバテる分の少ない馬が勝つ」というなにやら人生訓めく言葉もある大川慶次郎は、事前に用意されていたとしか思えない「競馬」という天職を手にした。天職には就くことが大事なことであって、収支は関係ない。1億の損、それがどうした、ということだろう。

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