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8月5日。浜田幸一「可愛い子供達の時代の為に自民党がある事を忘れるな」

浜田 幸一(はまだ こういち、1928年9月5日 - 2012年8月5日)は、日本の政治家、タレント。

「ハマコー」の愛称で知られた。「国会の暴れん坊」「政界の暴れん坊」の異名をもつ。

漫画『浜田幸一物語』(竹書房)を読んでみた。中学では柔道部。17歳、満鉄。木更津のダニと呼ばれたチンピラ。日大農獣医学部入学、中退。映画フィルムの手配。殺傷事件で懲役1年の実刑。廃品回収。27歳町会議員にトップ当選。1960年衆議院選挙で落選。32歳家出し、稲川会の稲川角二らから児玉誉士夫に自宅に住み込み書生となる。1963年千葉県議会議員に当選。そして児玉から小佐野賢治を紹介される。友納知事による東京湾を埋め立てで一大工業地帯を形成する政策で漁民との紛争があり、浜田は埋め立てを漁民に低価格で払い下げて、その土地を漁民が満足する価格で県が買い取るという妙案で解決している。

1969年、衆議院議員に当選。1972年トップ当選。翌年に結成された青嵐会の事務局長に就任。数々の蛮行で有名になり、カジノ騒動で辞任。3年半の浪人生活を経て返り咲き金丸信にもとに参じる。予算委員長に抜擢されてすぐに問題発言で辞任。1993年に政界を引退。

1993年(平成5年)12月に著書『日本をダメにした九人の政治家』(講談社)を出版し、発売から1ヶ月で100万部を突破し、講談社史上最短記録となり、1995年4月までに発行部数168万部のミリオンセラーとなった。中曽根康弘、竹下登、三塚博、宮澤喜一、小沢一郎、梶山静六、田辺誠、宮本顕治、そしてもう一人の冒頭トップはハマコー自身であった。政治活動家の肩書でメディアに登場し、歯に衣着せぬキャラクターで、本当のことを面白く言う話術は、ハマコーとして定着していた人柄と相まって、妙な説得力があり、私も楽しんだクチだ。

1979年の福田・中曽根・三木・中川の反主流派と田中・大平の主流派連合の40日抗争時に主流派の強行を妨げようと反主流派が議員総会の会場にイスやテーブルでバリケードをつくったことがある。このとき浜田が発したのが冒頭の言葉だ。浜田は正当な理屈のもとに浜田はバリケードを撤去しようとしていたのだが、ニュースの映像をみた国民は「浜田がまた暴れている」と理解してしまった。浜田は「片付けていた」のである。暴れん坊のハマコーらしいエピソードだ。記憶に残る政治家だった。

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