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10月15日。 ジョー・スタンカ「円城寺 あれがボールか 秋の空」

ジョー・ドナルド・スタンカ(Joe Donald Stanka, 1931年7月23日 - 2018年10月15日)は、アメリカ合衆国オクラホマ州出身のプロ野球選手(投手)

米メジャーのシカゴ・ホワイトソックスでの1勝を含め、通算100勝72敗。防御率3・08。

来日1年目から南海の先発で活躍する。1961年の南海巨人日本シリーズ第4戦。9回裏2アウト後に、藤尾のフライ落球エラー、長島のハンブル内野安打で満塁。その後の宮本に2ストライク1ボールからのストライクとおぼしきフォークボールがボールと判定される。キャッチャーの野村とともに「赤鬼」のごとくスタンカも激昂する。再開後、宮本がヒットを打ちサヨナラ負けとなる。

1964年には26勝を挙げてシーズンMVPに輝き、阪神タイガースとの日本シリーズでは第1・6・7戦で先発し3完封の離れ業をやってのけ、南海の日本一に大きく貢献。日本シリーズMVPも受賞した。

引退後の54歳時の米テキサス州ヒューストンでの映像を見ることができた。刺繍会社の社長をやっていて、週末には日本人駐在員とステーキーパーティで「あの一球」の話題で過ごしていた。

1961年のエピソードは、観客の回想、野球関係の書物、テレビの番組などで今でも残っている。『ハロースタンカ、元気かい』を書いた慶應の池井優教授は『ハロースタンカ、元気かい』で、「ユニフォームを着ると人格が変わる」と愛情をこめて語っている。スタンカは「セリーグの審判は急角度で落ちるフォークを見たことがなかったからだろう」と語っていたそうだ。

観客だった商社マンが「円城寺 あれがボールか 秋の空」という川柳を色紙に認め、実業家に転身していたスタンカに贈った。その川柳は、スタンカの事務所に飾られていたという。ワンシーンがその人の人生をあらわすエピソードになることがある。スタンカの場合はこれだった。 大和魂を持った男・スタンカの生涯最高のときである。

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