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5月17日。古岡秀人「戦後の復興は教育をおいてほかにない」

古岡 秀人(ふるおか ひでと、1908年12月15日 - 1994年5月17日)は編集者、出版事業家。

筑豊炭田の監督の息子として生まれ、5歳の時に坑内事故で父を失い、母子家庭で苦労して育つ。1928年、小倉師範学校(現福岡教育大学)を卒業し、小学校で教師を務める。1935年に小学館へ入社し、相賀武夫のもとで働き、『小学三年生』編集部で頭角をあらわす。

1946年1月1日、学習研究社を創業。小学館の学習雑誌の成功を見習って「五年・六年の学習」を創刊し成功を収める。1982年二部上場。1984年一部に指定変更。社員数が2000名を突破してからも、合計80誌に及ぶ雑誌やあらゆる単行本の企画に関わりつづけ、大プロデューサーと呼ばれた。

一方で古岡秀人は、父を亡くした自らの苦労に鑑み、1980年に私財10億円に基づき財団法人古岡奨学会設立し、父を亡くした子供に援助の手をさしのべている。

古岡秀人は、戦後の復興の中心テーマは「教育」だと考えて教育事業に邁進し成功する。私の中学・高校時代は、学研の学年毎の「コース」(例:高三コース)と旺文社の「時代」(例:高三時代)がライバルであった。私は学研派であり、毎月の配本を楽しみにしていたから、古岡のおかげで勉強に興味を持ったともいえる。

古岡は社員には早くから「高齢化時代に社会貢献できることを用意しておきなさい」と語っていた。現在の学研ホールディングスは、「​教育」を基軸に出版事業、塾事業、教材・教具の制作・販売、保育園の運営に加え、創業者の言葉通りに高齢者住宅、介護サービス等、医療福祉分野にも事業を展開している大企業となっている。今日の学研の隆盛は古岡秀人の時代を見る「目」が冴えていたことを証明している。時代をどう見るかが事業の成否を決める。


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