2月20日。飯野賢治「会社はバンドだ」

飯野 賢治(いいの けんじ、1970年5月5日 - 2013年2月20日)は、日本のゲームクリエイター、実業家。

1988年にゲーム制作会社「有限会社インターリンク」に入社。翌年にゲームの下請け会社「EIM」を設立し、並行してゲーム専門学校の講師も務める。

1994年に「株式会社ワープ」を設立。1995年に自身が脚本を務めた3DO専用ゲームソフト「Dの食卓」が全世界累計売上100万本超えを記録する大ヒットとなり、「マルチメディアグランプリ'95 通産大臣賞」を受賞。

1997年には画面表示が一切無い、音だけでプレイするゲーム『リアルサウンド~風のリグレット~』を発表し注目を集める。ゲームデザイナーの代表として積極的にマスコミにも露出し、ラジオ番組のレギュラーを持つなど当時を代表するゲームデザイナーとして広く知られるようになる

2000年にスーパーワープ社(後のフロムイエロートゥオレンジ)を設立し、代表取締役社長に就任。2003年には、文芸誌「ファウスト」(講談社)創刊号にて小説家デビューも果たしている。

2008年に『moon』のクリエイターでもある有限会社Route24代表の西健一と共同開発したiPhone/iPod touch用アプリ『newtonica』をリリース。発売直後に日本のApp Storeランキング1位となり、世界各国でもチャートインする。続編として、2008年12月に『newtonica2』、2009年1月に『newtonica2 resort』をリリース。さらに2009年3月26日、フロムイエロートゥオレンジ開発のWiiウェア『きみとぼくと立体。』を任天堂ブランドタイトルとして発表。飯野は企画・ディレクションを担当した。

42歳で亡くなる3日前までボストンに滞在し、twitterを更新していた。そのtwitterの共同創業者BIz Stoneとの対談映像をみた。「東京は音楽にあふれている。例えば着メロ。まるでゲームの中にいるみたいだ」とBizが語っている。

『情熱大陸』に登場した飯野。黒ずくめの巨漢だ。「ゲームつくりの才能があるとは思わない。作り方、しくみなどを含めたクリエータとしては才能がある。見本をみたら怠けてしまう」「自分のつくるゲームには、シナリオ、テーマ、哲学がある」「会話中心の展開。言い回しのうまさを求めて本を読む。一週間で50冊読むこともある」「Quest=自己の探求」「ゲームは生き様を反映する」。

小学校2年の時に母が家を出る。飯野のゲームには母は登場しない。「母の愛は、、、わからない」。「母の愛の欠如、そしてそれをめざす。そういうことも重要だ。トラウマ、コンプレックスが創造につながることもある」と語っている。

「会社はバンドだ」とは、気の合う仲間と、イカシたことをやる。そのバンドのわがままなリーダーが自分だ。そういう気分で会社をまわすのが飯野の流儀だ。重苦しい、堅苦しい会社のイメージは過去のものだ。バンドだと思って、あるいはクラブ活動だと考えて、楽しみながら創造の世界に入り浸ることがいい。私はゲームをやらないが、この世界は書籍ではない、もう一つの宇宙だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?