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9月29日。 鬼塚喜八郎「あなたの人生の目標は何ですか、と尋ねられたとき、明快に答えられないようなことではいけません」

鬼塚喜八郎(おにつか きはちろう 1918年(大正7年)5月29日 - 2007年(平成19年)9月29日)は、日本の実業家。

無一文から創業し、「アシックス」を世界のスポーツ用品メーカーに育て上げた。戦後、青少年の健全な育成に一番必要なものは、スポーツであり、スポーツシューズをつくる靴屋に萎えることを決心する。31歳で鬼塚商会をスタート。もっとも難しいバスケットシューズにタコの吸盤にような底つけて始める。次にマメのできないマラソンシューズに挑む。一つに絞って徹底的にニーズを分析し、解決策を探し出す「キリモミ作戦」と「頂上作戦」を信条に進んで行く。

4年ごとのオリンピックに照準を合わせて、商品開発を続けていく。メルボルン、東京、ローマ、ロサンゼルス、メキシコ、ミュンヘン、モントリオール、、、。1964年の東京オリンピックでは、オニツカの靴を履いた選手が体操、レスリング、バレーボール、マラソンなどの競技で金メダル20個、銀メダル16個、銅メダル10個の合計46個を獲得。 多くの金メダリストとライバルメーカとのエピソード『念じ、祈り、貫く』という書に紹介されている。それは国際化の道でもあった。寺沢徹、アベベ、円谷幸吉、ラッセ・ビレン、高橋尚子、野口みずき、、、。

1977年、三社合併で従業員2000名の「アシックス」が誕生し、総合スポーツ用品メーカーとして発展していく。それはナショナルブランドからインターナショナルブランドへの道であった。

一代の起業家・鬼塚喜八郎によれば、高い志を実現するには相応の能力が必要で、それは、知性・学習・経験・創意工夫・特技・指導力・人徳の足し算である。そして、成功の方程式=目標X考え方X能力X情熱X忍耐力X健康、と定義している。

1918年という100年前に生まれた鬼塚喜八郎の語りには「志」という言葉が数多く登場する。その志を具体的に表現したものが目標だ。青少年の健全な育成という「志」、それを具現化するスポーツシューズをつくる「靴屋」の起業。健全な肉体と精神を大事にするオリンピック選手の活躍には、鬼塚喜八郎という人物の支えがあったのだ。

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