2月13日。 市川崑「僕が日本映画に誇れるとしたら、和田夏十という素晴らしいシナリオライターを世に出したこということじゃないか。ほんとうに、そう思っています」

市川 崑(いちかわ こん、幼名:市川 儀一、1915年(大正4年)11月20日 - 2008年(平成20年)2月13日)は、日本の映画監督、アニメーター。

娯楽映画からドキュメンタリー、更にはテレビ時代劇ドラマまでを幅広く手がけ、長期間映画制作に取り組んだ。「文芸作品」「時代劇」「アニメーション」「ドキュメンタリー」「コメディ」「メロドラマ」「ミステリー」など広い分野の作品をつくった。代表作は『ビルマの竪琴』『炎上』『おとうと』『野火』など。テレビ・ドラマの代表作に中村敦夫主演の『木枯し紋次郎』、ドキュメンタリー映画の代表作に『東京オリンピック』。

60年の監督生活を長期間特定の会社に専属することなく過ごし、低落し続ける日本映画界でほとんどブランクなく撮り続けた。90歳を超えても現役で活動し、生涯で70本を超える映画を生み出した。長く現役であったため、父・伊丹万作との関係だけでなく、息子の伊丹十三を俳優として起用している。伊丹十三は『お葬式』製作発表の記者会見で「師匠は市川崑さんです」と語っている。久世光彦は、「日本映画は市川作品だけを観ていればよい。『おとうと』には映画のすべて、芝居のすべてがある」と発言。山田洋二は同じ『おとうと』(吉永小百合・鶴瓶)という最高傑作を残しているが、それは市川崑に捧げる作品だった。影響力の強い監督だったことがわかる。

私もまだ子どもの頃に『ビルマの竪琴』を観た記憶があるし、中学生では『東京オリンピック』、社会人時代の入り口で『木枯し紋次郎』、最近でも『おとうと』に親しんだ。長く現役をはるということの凄みを改めて感じる。2020年の東京オリンピックは、どのような記録映画がつくられるだろうか。

「スランプとの共存、これは、発展しようとしたら一番大切なことだ」

「映画はリアルとデフォルメの格闘です」

生誕100年の2015年に、永く暮らした渋谷区南平台の住まいのマンションへの建て替えがあり、一階が記念室となっている。2018年12月4日に訪問した。市川崑の作品紹介と日常生で使った机や椅子、愛用のペンなどの愛用品、そし妻の和田夏十の脚本執筆中の写真なども展示されている。記念館・記念室には、人物の日常が垣間見え、親しみを覚えるのだが、この市川記念室では、夫婦の私的な部分もよく知ることができた。この訪問時に書いたメモを忘れてきたのは残念だ。監督本人のインタビューで構成されている『完本 市川崑の映画たち』という大著を購入して、市川崑監督の全仕事の意図がよくわかった。

市川は東宝撮影所で通訳をしていた和田と知り合い結婚した。和田夏十という脚本家は、結婚後に市川崑が才能を見出した人だ。 和田は40年近くにわたって市川の生活を支えるかたわら、生涯でほとんどの市川作品の脚本を手がけるという、文字通り公私における市川のパートナーだった。市川崑の映画界への貢献は大きいが、偶然に素晴らしい脚本家を発見したことも誇りであったのだが、こういう言葉を吐ける市川崑の人柄も素晴らしい。

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