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1月24日。永田法順「人生はほどほど 日々健康、これに過ぎたるしあわせはなし」

永田 法順(1935年9月ー2010年1月24日)。琵琶法師。

2歳で失明。13歳、代々盲僧が住職を務める宮崎県延岡市の天台宗浄満寺に入門し、盲目の琵琶法師・児玉定法に師事。1983年、浄満寺の15代目住職に就任。琵琶の弾き語りをしながら約1000件の檀家をまわり、五穀豊穣や無病息災を祈り、「最後の琵琶法師」と呼ばれた。

年に1回としても一日3-5軒まわらなけれならない計算になる。解き屋祓い、地鎮祭、新築のお祓、川開きの前の水神さんのお祓い、そして檀家では家内安全、牛馬安全、交通安全、五穀豊穣、家族の無事息災、家運長久、進学祈願、を神仏に願う。墨染めの衣を着て琵琶を背負い白い杖を突いて檀家を回って歩く姿はこの地方の風物詩だった。各家では釈文と呼ばれる仏教説話をやさしく説いた物語を琵琶にのせて語る。琵琶の各部にはいろいろな菩薩や如来などが配されているのだそうだ。

多くの人の助けもあり、CD6枚、DVD1枚、解説付き写真集1冊のセット「日向の琵琶盲僧永田法順」を出している。「平成17年度文化庁芸術祭大賞(レコード部門)」を受賞した。

釈門『五郎王子の物語』の初段「王子の釈」を爪弾き語る永田法順を見て聴いた。力強くはあるが哀愁がある。延岡で聴いた人たちはありがたいという感謝の念に打たれたであろう。琵琶を街中で弾く盲目の僧が琵琶法師で、平安時代中期におこり、鎌倉時代に『平家物語』を琵琶の伴奏に合わせて語る平曲が完成した。私は少年時代、琵琶法師という言葉を聞いたことがあったのだが、イメージは湧かなかった。今回、遅ればせながら少し理解が深まった。

延岡市の天台宗浄満寺では、映像の記憶も文字も知らない同士の師弟が15代にわたって伝承していく。法順の幅広い知識や情報は、ラジオからの耳学問だ。頓智がよく、心がよく気持ちがいい人格で、どこに行っても人に親しまれた。「最後にはなりたくない」と語っていたが、先代との約束のひとつである後継者は見つかったのだろうか。

以下、永田法順の述懐。「山もなければ谷もない、わりあい平穏ななだらかな道を、しかも細く長い道を歩いてきた。頂点に立たないから、だいたい五合目までしか行ってないから、今から下りかという風に感じたことはない」。天台宗の宗祖伝教大師最澄の教えに、「棒ほど願って針ほど叶う」という言葉がある。それだけ叶えば最高だという教えである。それは永田法順の「ほどほど」という言葉にあらわれているが、長く琵琶盲僧としての道を歩き、歴史に名を残したのではないだろうか。尊い人生である。

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