9月27日。ヒュー・ヘフナー「人生は人の夢を生きるには短すぎる」

ヒュー・ヘフナー(Hugh Hefner、1926年4月9日 - 2017年9月27日)は、アメリカの実業家で雑誌『PLAYBOY』の発刊者。享年91。

1953年12月に『PLAYBOY』誌を創刊する創刊号はマリリン・モンローのヌードというデビューだった。若い男性の都会的ライフスタイルを提示しようとし、性をタブー視していた当時のアメリカでの「セックスは善である」とする性革命を先導した。1970年代には発行部数は最高の700万部に達する。バニーのロゴを用いたプレイボーイブランドによる事業、「プレイボーイ・ペントハウス」というテレビ番組、会員制の「プレイボーイクラブ」、カジノなどを手がけ、プレイボーイ帝国を築く。

また、自身もプレイボーイとして謳歌した人生の中で、結婚を3回している。23歳で初婚、33歳で離婚。63歳で再婚、年の差は36歳、9年で別居。そして3度目の結婚の年の差は60歳という剛の者だった。『PLAYBOY』の「哲学」を身を持って体現するライフスタイルを続けた。亡くなったときにはモンローの墓の隣に埋葬された。

あらゆる既存勢力の標的となりながら、いちはやく公民権運動に共鳴し、マイノリティーの起用と言論によって、人種差別と毅然と戦った気骨ある正義漢だった。

バブルの頃、日本に進出した六本木のバニーガールがいるプレイボーイクラブには時々顔を出したことがあるが、それをつくったのが、ヒュー・ヘフナーだったのだ。また、JALで広報を担当していたときに、日本版のプレイボーイ誌とのタイアップを行ったことも思い出す。

・私は決して成長するつもりはない。若いままでいることは、全て私のためである。

・一部の人々は、これからの人生プランを持っていない。彼らは、ただ諦め、それを乗り越えることができない。

冒頭の言葉の原文は、Life is too short to be living somebody else's dream.である。91年の人生を謳歌したヒュー・ヘフナーは「私は、不可能な夢を見た。しかし、その夢は、私がおそらくイメージできたであろうものを超えて叶った。私が思うに、私は、地球上で最も幸せな男だ」と述懐しているが、まだまだやりたかった夢はあったのだろう。人生100年時代は長すぎるという人が多いが、逆に夢やテーマをもっている人にとっては、あまりにも短いのである。

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