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4月3日。ヨハネス・ブラームス「私は本当に幸福です。 つまり私は音楽のことだけを考えているのです。私は音楽に恋しているのです」

ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms、1833年5月7日 - 1897年4月3日)は、19世紀ドイツの作曲家、ピアニスト、指揮者。

ドイツロマン派を代表する作曲家。ドイツ古典派音楽の伝統を尊重し、ワグナー・リストらの新ドイツ派に対立して絶対音楽的な立場に立った。主要作品は四曲の交響曲、バイオリン協奏曲・ピアノ協奏曲のほか、「大学祝典序曲」「ドイツ━レクイエム」「ハンガリー舞曲」など。J.S.バッハ、ベートーヴェンと共に、ドイツ音楽における三大Bとも称される.。

著名な外国人が生きた時代は、日本史の中の人物では誰と同じ時代かと考えると、その人のことを想像できる。ブラームスより2歳年下の福沢諭吉は、ブラームスの死の4年後の1901年に亡くなっているから、福沢と同じ時代を生きたことになる。

作曲家の芥川やすしが、肺癌のため逝去したときの最後の言葉は「ブラームスの一番を聴かせてくれないか、、、あの曲の最後の音はどうなったかなあ」だったというエピソードもブラームスの影響を垣間見ることができる。

ブラームスは創作意欲の衰えにより一度は作曲活動を中断する。1891年に知り会った名クラリネット奏者リヒャルト・ミュールフェルトの演奏により再び創作意欲を取り戻した。ブラームスが優雅で艶やかな音色の「クラリネット五重奏曲」を作曲したのは58歳だ。著名な人が同じ年齢で何をしたかと調べてみた。セルバンテスが「ドン・キホーテ」を発表したルソーが「告白」を執筆した。 永井荷風が「墨東綺譚」を発表した。高村光太郎が「智恵子抄」を発表した。山本周五郎が「青べか物語」を発表した。盛田昭夫が「ウオークマン」を発売した。私は宮城大から多摩大へ転職した年齢だ。

この出会いは晩年に創作意欲を失いかけたブラームスを目覚めさせた。ブラームスはその後何年にもわたって立て続けにクラリネット作品をつくっている。大橋巨泉がタケシという才能の登場に刺激されて再度チャレンジしたことを思い出した。尊敬する才能を見出してくれたシューマンへの尊敬心や同時代のライバルであったワーグナーへの対抗心ではなく、中年の危機を救ったのは名演奏家との出会いであり、自分がやるべき音楽をどこまでもやり続けるべきだとの使命感の再発見だった。音楽に恋したブラームスは、終生独身だった。

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