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人生最大の言い間違えの話

マーライオン

当時は24歳でした。駆け出しのプログラマとして、最先端のDelphiという言語を手探りで触っていました。GUIでフォームも描けるし、最高な感じでした。

そんなある日、夜中に急激な吐き気が襲ってきました。もう、居ても立っても居られない程の吐き気です。その時は家のベッドで寝ていましたが、身体を左右にブンブン振って、吐き気を紛らわしていました。んで、我慢も虚しく結局は観念してトイレに向かい、もうそこからは人間ではなく、マーライオンとして求められる機能を果たしていました。

そのあとは、腹痛です。鈍痛のような痛みがズンズン鳴り響き、まるでウーハーのように低音で痛みが襲ってきます。

マーライオン的には、『フ、残念だったな、もうなにもないぜ!』みたいな、状況でしたが、身体は勝手に『おら!まだあんだろ!出すもん出せよ!』みたいなドSぶりで吐き気を助長してきますので、マーライオンを継続しながら、身体を左右にブンブン振って、腹の痛みを紛らわしていたわけですが、流石に吐き気と、腹の痛みのダブル攻撃(闇と光を同時に受ける感じ)に我慢の限界を感じていました。

『よし、無理だ。(キリッ!)』を確信して、夜中にタクシーで近くの獨協大学病院まで向かい、深夜の救急診療に向かいました。時間としては夜中の1時ぐらいだったと思います。

病院に到着すると、青い変な服を着た、汚めのおじさんが冷静に『辛そうだねー』と、声を掛けてきましたが、ムシをしていました。いや、反応ができないほど痛みと戦っていました。

その後は、『検査をするから、待ってね。』と言われて、『待つんかいー!』と、心で思っていましたが、言っても無駄そうなので、『はい…』と、虫の声で反応するような感じです。しばらく、病院待合室でマーライオンを試みたり、椅子に横たわったりして、その時を待ちました。

そして、レントゲン、エコー、血液検査など、ベルトコンベアー的な検査が終わり、汚めのおじさんが、腹をグイグイ押してくるような検査となりました。『痛かったら言ってねー』と冷静に言ってくるので、『痛いし、キモいし、押すなし!』と、思いつつ、『そこは、そんなに痛くありません』と、丁寧に頑張って対応しました。声は吐きすぎて掠れていたので、ハスキーな感じです。

すると、『まーとりあえず、痛み止めと吐き気どめの点滴を打ちましょうか』と、汚めのおじさんが促してくれました。その時は、ジャムおじさんのように優しいおじさんの目をされていました。なんというか、『それそれそれー!!』と、光を見出していました。

そこから、ソルジャーのような看護師さんに点滴をブスッと刺され、しばし安眠となります。

2時間ぐらいでしょうか?少しだけ眠れたような感覚もありつつ、ジャムおじさんがやってきて、『体調どうだいー?』と、冷静に声を掛けられます。『まだ、腹が痛いっす。気持ち悪いのはだいぶ良いっす。』みたいな反応をしたと思うのですが、『OK!』みたなサインで、ジャムおじさんからソルジャー看護師さんに切り替わり、よく分からない点滴をもう1回刺されました。

そこからまた1時間ほどの時間が経って、ジャムおじさんが、『んー。検査入院をした方が良いから、入院しましょうかぁ。』と、冷静に伝えてきました。『マジかぁ!すげーヤダ…』と、思いつつ、翌朝は母親が着替え等を運んでくれて、人生初の入院を経験することになります。

入院後

当時24歳だった私は、自他共に認める夜行性でした。ですので、深夜になると、とてつもない集中力を発揮しますが、朝は低血圧で、カカシのようなモノ的な何かです。

そんな私に、入院という試練が訪れます。昨晩の地獄で、胃がコテンパに荒れてますし、腹痛も続いています。それでも、点滴でなんとか緩和されている状態なのに、朝の7時に叩き起こされるのです。

目を開けると、5〜6人の暴君が私のベッドを囲んでいます。その暴君のリーダーのような、じーさんが、寝起きでカカシのようなモノ的な何かである私に『具合はどうですかー?』と、声を掛けてくるのです。

危険を察知して、『だ、大丈夫っす…』と、答えると、リーダーの隣にいる暴君が、リーダーに何やら説明をしています。

『危険人物だ…』と、思いつつ、暴君の説明の儀が終わると、暴君達が去って行きました。

冷静に考えると、病院に入院すると毎朝回診という決まり事があり、院長や治療部門の責任者が、入院患者全員を見て回るそうです。

正直、コミュニケーションがない院長に、朝から叩き起こされて、『大丈夫ですか?』と、言われてもストレスしかありません。しかし、序列を重んじる病院では、この大名の大行列のような決まり事が、大事なしきたりになっているようでした。

そして、検査入院1日目ですが、再度血液検査やレントゲン撮影となり、ジャムおじさんとは違う、ちょっと小綺麗な先生が腹を押してくる検査をしました。

このような検査以外は、点滴のみです。なにも飲めないし、食べれません。もちろん、体力もないので、初日に食欲などはないわけですが、なにもできない感がハンパなくありました。

病棟は8名が1室の部屋なので、夜になると、手前のベッドから『うう…』という苦しそうな声が聞こえてきます。

寒くて悪寒と戦っているのだな…と、分かったわけですが、ナースコールによって、看護師さんが懸命に対応をされていました。さすがです。

そんなこんなで、2日目。暴君が定刻になると訪れて、単に大丈夫か?大丈夫だ!というやり取りが終わります。

で、自分の担当になってくれている看護師さんが、割と若く、可愛らしい女性でした。髪は少し茶髪で、長い髪を結んでいました。身長は小さめだったと記憶しています。

『お熱をはかりますねー』と、体温計を差し出してくれるだけで、『うん。入院良いぞよ』と、感じるようになりました。

とはいえ、腹の鈍痛は治らないし、検査は続くしで、2日目を迎えてだいぶナイーブな私になっていたと思います。

絶食という地獄

3日目を迎えるわけですが、検査入院のため、身体にはなにも入れられません。他の患者は、運ばれる給食のようなものを食べており、モグモグ食べいる音がストレスになるため、音楽などを聞いて、音を掻き消していました。

ここから、人間の絶食という恐ろしい行為を知ることとなります。

うがいは許されますので、体調回復と共に、トイレでうがいをする頻度が増えました。また、点滴は4本もぶっ刺されます。当時から私はタバコを吸っており、3日目になると、かなり動けるようになっていたため、点滴4本をズリズリ引きづりながら、病院の中庭でタバコを吸うようになりました。

『あー今の俺、すげー重症患者に見えるなー』と、細いホースが4本刺さる腕を見つめながら、久々の美味しいタバコを吸っていると、隣から視線を感じました。

殺気を感じた私は、すかさず振り向いてみると、そこには8本の点滴を両手に装備したおばーさんが、タバコを吸いながら私を見つめていました。

『若者よ。まだまだじゃの。』

そんな上から目線を感じつつ、瞬間で目を合わせなかったことで、危険からは回避されました。そして、同時に私の安易な思考がバカであったと感じたのです。身長は小さいおばーさんでしたが、点滴8本を両腕に備えたおばーさんは、まるでラオウのような強さを感じました。

こんな、ステキな出会いと共に、またズリズリと点滴を引きづりながら、病室へと戻って行きました。

そこから、何度も怒られるわけですが、担当の可愛らしい看護師さんからは『点滴逆流してますよー!あまり、出歩いたらダメですよー』と言われます。

たしかに、点滴のホースからは赤い血が滲むように逆流されているわけですが、タバコと逆流どっちがいい?と聞かれたらタバコなわけです。

『さーせん。』と、誤りつつ、1日4.5回は中庭に行くようになりました。

そんなこんなで、4日目。さすがに、なにも食べないことが苦しくなります。なにかを口にしたくてたまらないのです。

4日目には白湯を飲むことは許してもらえたので、聖水を飲むかのごとく、白湯を飲んでいました。

しかし、人間という生き物は、固形物を口にしない日が続くと、異常に固形物を欲するようになります。

ガムでもなんでも良いから口にしたくなるのです。とはいえ、暴君達からは、検査が終わるまでは絶対に食べないことを誓えと言ってきます。

4日目の夕方、事件は起きました。

獨協大学病院の1階にはコンビニが設置されているのです。点滴4本をぶら下げた私は、そーっと病室から離れ、1人食料庫のようなコンビニに向かいます。

腹に何かを入れたら、検査がバグって長引くかもしれない…。そんな恐怖よりも、固形物が食べたくて仕方ないのです。

コンビニを徘徊して、私が下した決断は『梅しばなら許されるべ』と、いう意味不明な決断だったのです。

もー、レジでピコッと買ってからは、足早に待合室のような場所で、梅しばをほうばりました。

美味しいこと、美味しいこと。まるで、梅しばとは、高級フレンチの前菜なのではないか?と感じるほどに美味かったです。

そして、満足した私は、そーっと病室に戻るのでした。

人生最大の言い間違え

そして、5日目、6日目の検査入院を過ごし、間で食らった梅しばも指摘はされず、中庭に行くたびにお会いするラオウさんにも慣れてきた時、人生最大の言い間違えをしてしまうのです。

弱りつつも、腹痛が緩和されたのは5日目です。そして、多方面から暴君達に検査をされ、6日目の結果としては『過敏性腸炎』という、単なるストレス性の病気と診断され、大きな病気なのかな?という不安がなくなった7日目の朝でした。

いつものように、7時定刻に暴君達が颯爽と現れて起こしてきます。そして、リーダーの隣の暴君が病名などを伝えると、リーダーからは『そろそろ、流動食にしましょう』と、いう天の声のような言葉を頂くのでした。

あー、暴君でも良い人はいるんだな。

そんな、絶食から解放された7日目。流動食なんて、お粥より酷い、水のような食事です。しかし、欲望に負けて食べた梅しば以外を口にしていない私にとって、食事が取れることは生物として自然と嬉しいことに変わっていました。

『わーい、わーい』と、朝食が8時に運ばれてきます。

これも、覚えているのですが、初めての流動食を食べ始めて、数分後。同室のオジーさんが、ウンコを漏らし、室内の臭いが最低レベルまで落ちたこと。流動食の香りも楽しみたいと思っていたため、思いっきりじーさんのウンコの臭いを吸い込んでしまったこと。それでも、それでも私は、『ううぉ。じーさんのウンコやばいクセー!!』と、思いつつも、無我夢中で食べることをやめなかった。

本当に絶食とは恐ろしいものですね。

さて、生物的に固形物に近い食べ物が胃の中に入り、やっと人間になれるかもしれないと希望と光を感じながら、完食の余韻に浸っている時です。

いつものように、担当の可愛らしい看護師さんが、食器類を下げてくれました。

この時に私が史上最大の言い間違いを犯します。

『ご飯が食べれるようなって、良かったですねー』

『あ、はい!本当に絶食がこんなに辛いとは思いませんでした。』

こんな、普通のやりとりに終始するはずだったのです。

きっと、初めての入院ということもあり、疲れていたのでしょう。若しくは、食べれない日々で、口が乾燥していたのでしょう。

実際の会話はこうでした。

『ご飯が食べれるようなって、良かったですねー』

『あ、はい!本当に絶倫がこんなに辛いとは思いませんでした。』

なぜ…。なぜ思いもしない言葉が放たれたのか。。。私には検討もつきませんでした。無論、可愛らしい看護師さんは、何の反応もせず、いつもより足早にその場を去って行きました。

そして、いつも朝はいないはずの母親が、その日は隣に居たのです。

私が『あ…』と、弁解する間もなく、母親のクラッシャーボムのようなパンチが飛んできました。

絶食と絶倫。

なぜ、このタイミングで私が言い間違えをしたのか?

これは、神の暇つぶしか?

そんな、気持ちになった3日後、私は暗い気持ちで獨協大学病院を退院したのです。

皆さん、ストレスで身体を壊すことはないように、お気をつけください。

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