始まりの鬼

あるところに“子供"がいた。
その子供は額に二つの突起を頂いていたが、それ以外には他愛の無い、優しく、賢く、また無邪気な子供であった。
ただ身寄りがなかった為、一人の青年が子供の面倒をみていた。二人は実に仲睦まじく、まるで真の兄弟のようであった。
“兄”は“弟”を村へ連れて行く際、額の突起を必ず隠した。弟はその理由を解さなかったが、幼心にこれは見せてはいけないものなんだなと感じていた。
貧しかったが、それでも寒くなかった。寄り添い支え合う暮らしに、慎ましい幸せがあった。
そうして幾つか季節が過ぎ、弟が少年と呼べる年に成長した頃のこと。寒い、晴れた冬の朝。
兄が帰ってこなくなった。
弟が成長するにつれ、兄は村への出稼ぎから日帰ることが少なくなっていたが、それでも三日以上空けることはなかった。
不思議に思った弟は村を訪れるべく、山を下りた。兄が作ってくれた手ぬぐいで額を隠して、いつかのように。
そして村から程無い場所…山の入り口にそびえる巨木に、“それ”は吊るされていた。
集る蝿は、沸く蛆は、どこから来たというのか。
足元に夥しく撒き散らされた汚物は、何なのか。
変色した皮膚は、曲がった四肢は、穿たれた胸は、落ちた顎は、濁った目は、砕かれた頭は、“これ”は、
これ、は

「ああああああああああああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」

絶叫した。山を揺るがす程の、ありとあらゆる動物が逃げ出す程の大音声で。耳を覆いたくなる程の悲愴を響かせて。
その絶叫はいつしか咆哮へと変わり村を蹂躙した。
目に映る全てを裂き砕き叩きつけ捻じ切り圧し折り壊した。一つも余すことなく鏖(みなごろし)た。逃げ惑う命を捕まえては奪って投げ棄てた。
血が染み込んだ地面からはやがて瘴気が立ち上り、村を濃く染めていった。
立つ者がいなくなった村に唯一人立つその少年は、もはや人とは呼べない姿に変貌していた。
身の丈は六尺(2メートル)を超え、髪は逆立ち、目は見開かれ、口からは牙が覗き、体は赤黒く、四肢は丸太よりも太く。昔語りの“鬼”がそこにいた。
ただ、額から生える二本の角の根元には、“兄”が作ってくれた手ぬぐいの切れ端が引っかかり…それだけが唯一彼が人間として過ごした日々を証明した。

静かになった村に立ち尽くす鬼は、もう一度だけ空を見上げ小さく呟いた。“兄ちゃん”と。

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