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高いの反対 〜視座を高くする利点と欠点〜

パソコンの更新プログラムがなかなか終わらず、今日の記事はスマホアプリより。コンパクトに行きます。イバーランドの県道の制作ノート2は、不定期連載ということで、またの機会に…。

1、高いの反対

高いの反対は?

…安い? …低い? 何が思い浮かびましたか?

お値段なら高い安いですね。大相撲の高安関もいます(茨城県土浦市出身)。

山の高さなどなら高い低いですね。富士山に登れば絶景です。

高いところからははるか遠くまで見渡すことができます。低いところにいた時には見えなかったものまで見える。山より高く空を飛べば、さらに色々見える。宇宙まで行けば、日本が小さな島国、地球レベルで考えることができる。

どうやったら視座を高くできるか、そのことのメリットとデメリットは何か、というお話を書きたいと思います。

2、積み上げる

Twitter上で、芝山さゆり@お母さん社長(@StellaSayuri)さんが、このようにツイートされていました。

■勉強するとわかること
1.知識が積み重なる
2.新しい世界を知る
3.自分の無知さを知る
4.学び方が生き方になる
5.学びはいつか役に立つ
6.自分が何に向いているか
7.自分が何に興味があるか
8.学べば人生が楽しくなる
9.知識を活かせば知恵になる
10.沢山学べば大切な人を守れる

その通りだと思います。

このツイートに対して、

これは本当にそう。
やりたい事が見つかるケースは大きく分けて2タイプ。
・やりたい事ありき型
・積み上げ型
前者はまずやりたい事が閃き逆算して実行する。
後者は日々のできる事を積み上げる過程でやりたい事が見えてくる。
日本人は後者の出現率が高い。興味を持ったらやって続けてみると良い。

と返していたのが、mako(@piazzolla7)さん。

私はこのツイートに対し、引用リツイートでこのように呟きました↓。

【やりたいことを見つける】
情報を集める。
いまやっていること。
やっていないこと。
自分で調べても授業でも
知り合いからの雑談からでも。
その中から興味のあるものをやる。
やってからまた情報を集めると
積み上がる。
積み上がれば視点が広がる。
見えてくる。
makoさんのツイートより↓

積み上げれば、それが土台となって、視点が高くなる、という気持ちを込めました。とにかくやらなきゃわからない。やって調べる。調べてからやる。その繰り返し…。

このツイートに対して、makoさんが

まさに!出来る事が積み上がって視座が高くなると今まで気づかなかった「やりたい事」に気づけたりしますね。さらに言えば、出来る事が得意な事になって自分の強みとして活かせると新たな価値観が形成できたり使命感を得られたりしますね。

と返してくださいました。ありがとうございます!

やりたい事に気づく。
得意になって自分の強みに。
新たな価値感の形成。
使命感を得られる。

これが積み上げていくメリットでしょう。

私はさらにこう返します↓。

高いところから見ると、低いところでは気づかなかったものに気づけます。しかしドローンのように飛ぶことはできないので、積み上げるしかない。付け加えれば、グッと下がってためて跳ぶことはできます↓

こう書いて、先日のnote記事をご紹介。 

その上でこう書きました。

U字の底で自分を見つめる。しかし上に上がらないと沈んだままです。

少し補足しますと、こんな感じです。
これはさらに別ツイートで書いたもの↓

自分を見つめて跳ぶことは
できますが、一瞬高いところに
行けるだけで、また着地してしまいます。
視座を高いままにするには
やはり積み重ねていくしかないかな?
と思う今日この頃です。
いったん積み重ねることができれば
低くなることはないので…。

要するに、自分を見つめて考えるのもいいけれど、それはジャンプして一瞬視野を高くしているだけに過ぎない。自省だけでやることやらないと、地に潜って引きこもったままになる。しっかりした実績、やること考えることの試行錯誤ではないから、土台を積み重ねて視座を高くしているわけじゃないよね、ということを書いてみたかったのです。

…何か偉そうに書いてしまったような気がして、恐縮なツイートでした。すみません…。

ということで、積み上げることについてのデメリットもツイートすることに↓。

ただし、積み重ね過ぎると、
つまり成功し過ぎると
逆に視座が高くなり過ぎて
物事をフラットに見ることが
できなくなったり、
ナチュラルに上から目線になったり
するので、そこは要注意ですね!

そう、どうしても積み上げ過ぎると、逆に上から目線になりがちなんです。文字通り上に行きますから。下から見えなくなる。

もちろんこの積み上げ感も、主観的なものです、俺頑張ってきたぜ、と本人は高くなった気になっている。しかし、そう思っているだけで、客観的にも高いかどうかは、他人のモノサシではかるしかない。

問題は、高くなればなるほど初心を忘れる。フラットに見ることができない。空飛ぶ鳥には地を這う虫の苦労がわからなくなる。

そういう危険性もあるわけで、それを自覚して積み上げる人と、ただ積み上げて高くしている人とでは、雲泥の差が出てくると思います。

なお、上司が空飛ぶ鳥の目を持っているか、それとも地を這う虫の目を持っているかによって、部下の動き方(動かされ方)が変わってきます。こちらのツイートでも書いたように、虫の目を持っているのにあえて細かいことには目をつぶって鳥の目で全体を把握する上司もいれば、鳥なのに空を飛べない上司もいます。逆に、役職などはないけれど、空から物事を見ることのできる「空飛ぶ虫」もいます↓。

視座というものは、年齢ではなく、その人のスタンス、努力、高くいこうとするか低くいこうとするかで、だいぶ変わってくるものですね。

、アカギの崩し

いかがでしたでしょうか。

だんだんとスマホからタップ&長押しコピペで書くのがキツくなってきたので、このあたりでまとめます…。パソコンまだ27パーセント更新中ですよ…。何時間も待ってるのにまだ更新終わらない…。アプリから投稿すると、連続投稿にカウントされなくなる時があるんですよね…。

それはともかく、この積み重ね過ぎて逆に視座が高くなり過ぎる問題は、福本伸行さんの漫画「天」のアカギのセリフからの受け売りです(笑)。詳しくはこちらをご参照ください↓

浅羽通明さんの「大学で何を学ぶか」でも、考えすぎることによる浮遊感の危険性、地に足を着けた教養の大事さについて書かれています↓

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

※更新が終わったPCから、若干修正しました。

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