西端

不確実性と熱狂の歴史 ~大航海時代・戦国・幕末~

1、ハマる仕組み

まず、福本真士さん(@sfkmt)のツイートより引用します↓。

【私なりに補足して箇条書きにすると…】

◆ハマる仕組み=熱狂してテンション上がって取り組む状態
◆不確実性=手に入ることもあれば手に入らないこともある
※いきなり不確実性だとモチベーションが下がる
※最初は努力すればチャンスが与えられるようにする
※そのチャンスに不確実性を持たせる

これは、多くの事例に当てはまりやすいことだと思います。例えば、

◎野球=3割打てれば大打者=失敗と成功が紙一重
◎将棋=持ち駒を自由に使える=何が起こるかわかりづらい
◎アイドル=卒業と新規加入がある=不動のメンバー構成ではない
◎ギャンブル=勝ったり負けたり=アドレナリンが出やすい

世の中の「ハマりやすい事例」には、「不確実性」が含まれていることが多い。「100%成功する」あるいは「100%失敗する」だと、ハマれない。成功するか失敗するかが「不確実」だからこそ「ハマる」。自分自身の選択でチャレンジできるチャンスがあり、しかもそれが不確実だからハマる。

人間は、安定を求めるのと同時に、不安定さを求める破壊衝動を秘めている救いがたい性を持っているのかもしれません。今回の記事は、そのような「不確実性と熱狂」の歴史を考えます。

2、大航海時代にハマる

「海賊王に、俺はなる!」の『ワンピース』のルフィが活躍したのは、大海賊時代。それと似ていますが、15世紀末以来の数世紀の西欧では、「大航海時代」と呼ばれる時代がありました。

1492年=コロンブスが新大陸に到達
イヨクニ燃えるコロンブス」
1498年=ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路開拓
イヨクハじゅうぶん、ヴァスコ・ダ・ガマ」
1519年=マゼラン世界一周
「みんなイゴイク世界一周」

このあたりの年号をゴロ暗記した人も多いのではないでしょうか。

とはいえ、コロンブスたちは成功したレアケースです。彼らの背後には、文字通り海の藻屑と消えた船乗りたちが、無数にいます。「成功するか失敗するかわからない不確実性」ここに極まれり。しかしだからこそ、新航路開拓に「ハマった」船乗りたちが、こぞって航海に乗り出したのではないでしょうか。ちなみにマゼランも、世界一周の途中でフィリピンで死んでいます。

これ、たぶん「100%成功する」だったら、もちろんお金儲けしたい人は行くでしょうけど、ワクワク感やドキドキ感で高揚することはなかったのでは。「オレが誰よりも早く見つけてやるぜ!」というチャレンジ精神、失敗すればサメの餌というヒリヒリした感覚があったからこそ、海に向かったのではないかと思うんですよね。

3、戦国時代(日本)と幕末にハマる

日本史にいきましょう。戦国時代にハマる人、多いですよね。当時を生きた人にとっては理不尽に殺される、明日も知れない、殺されたくなければ殺すしかないという、かなりキツイ状況ですが、現代の視点から見れば、血沸き肉躍る。人間の救いがたい性の一つかもしれません。

1467年=応仁の乱
ヒトノヨムナシ応仁の乱」
1590年=豊臣秀吉天下統一
イッコクマルク治める秀吉」

だいたい15世紀から16世紀。大航海時代とかぶるあたりです。

なぜ人は戦国時代に「ハマる」のか? それも「不確実性」が影響しているのではないかと思います。つまり、「滅亡」と「成功」が隣り合わせ。サドンデスの殺伐とした時代。一応「平和」である現代日本から見ると、つまり後世の結末を知っている「神様の目」から見ると、こんなにも不確実な時代があったというのが、心の底では「うらやましい」のではないか

◆戦国時代の先駆けとなった北条早雲の北条氏
豊臣秀吉に滅ぼされる
◆東海一の弓取りと言われた今川義元の今川氏
=織田信長に奇襲で敗れ、徳川家康などにほぼ滅亡させられる
◆甲斐の怪人、武田信玄の武田氏
織田信長にボコボコにされる
◆天下布武でガンガン進んだ織田信長の織田氏
=明智光秀に信長を殺され、豊臣秀吉に実権を奪われる
◆天下統一を成し遂げた豊臣秀吉の豊臣氏
=秀吉の子どもの秀頼が徳川家康に殺される

上杉謙信の上杉氏や、伊達政宗の伊達氏、毛利元就の毛利氏などは、江戸時代にもそれなりに栄えましたが、基本、徳川家の天下です。

甲子園予選のトーナメント方式以上に、負ければアウトの戦国時代。

だからこそ『信長の野望』のようなシミュレーションゲームはベストセラーとなり、何作も作られて人々に楽しまれているように思います。このあたりの歴史を知りたい(復習したい)人は、ムロタニツネ象さん版の「学研まんが 日本の歴史」がおすすめです↓。

自分自身で能動的に動けば、チャンスがある。鉄砲などの新兵器を効果的に使った織田信長は快進撃を続け、旧態依然とした旧勢力は滅ぼされていきました。まさにワンチャンありの「下剋上」の世界です。

それを熟知した豊臣秀吉は、「刀狩」で武器を取り上げ、「下剋上」の芽を摘んでいきます。自分自身が下剋上の極致ですからね。不確実性をなくしていくんです。徳川家康・徳川家もそうですね。「身分制」で人の人生を縛る。「上見て暮らすな、下見て暮らせ」は、下剋上の気分を失わせます。極めつけは徳川綱吉の「生類憐みの令」。それまでは、けっこう戦国気分の人たちも多くて血生臭かったんですが、(いささかやりすぎの感のある)「いのちをだいじに」のこの法律により、命に関しては「安全」かつ「確実」な平和な時代が訪れたといいます。そのかわり、幕府を倒そうという革命戦士、すなわち倒幕に「ハマる人」は減っていった。「蘭学」など、西欧の学問の世界では実力次第で上に行けたので、そちらにハマる人は多くて「解体新書」などはできていますが。

そう考えますと、「大塩平八郎」「高野長英」あたりから始まる反乱者は、この江戸時代という「確実な時代」が揺らいできた証拠ですね。つまり、外国船がどんどん来て、不確実な時代になっていく。それでも長く続いた泰平の世の中で、確実に浸っている大人たちもまだ多い。

そんな中で、「吉田松陰」などは革命にハマり、失敗して死んでしまうのです。その死が、弟子たちをさらに奮起させた。「久坂玄瑞」「高杉晋作」などは、革命戦争の途中で倒れます。最後に生き残った「伊藤博文」「山県有朋」あたりは、明治時代に栄華を極めますが、その背後には新撰組に斬られたり、倒幕戦争で死んだり、萩の乱で明治政府に歯向かって殺されたりと、無数の失敗者がいるわけです。吉田松陰門下生はこちらを↓。

それで、伊藤博文が何をしたかというと、「内閣制度」「大日本帝国憲法」を作っていきます。色々な側面はあるでしょうが、この記事の文脈で言うともうお分かりですね。幕末以来あやふやになって生まれてきた「不確実な部分」を消していくんです。

ただ伊藤博文の上手なところは、身分にかかわらず政治の能力があれば「内閣総理大臣」まではのぼりつめられるようにしたこと。ワンチャンを残しておけば、そっちルートでハマる人がいるだろうと考えたのではないでしょうか。それは山県有朋も同様で、元は足軽の子孫に過ぎなかった彼は日本陸軍に君臨しますが、「士官学校」のエリートになれば栄達できる道を作った。そっちルートで栄達を目指す人が増えてくるわけです。山県は伊藤に比べていささか、同じ出身地の者をひいきする傾向が強かったようですが…。

以上、戦国時代→江戸時代、幕末→明治時代の一断面を、「不確実性」と熱狂、「確実化」から簡略化して述べてみました。もちろん、歴史はこんなに単純なわけではありませんから、読者各位はそれぞれご考察ください。

4、風雲児たちは何にハマっていたのか

この記事では、福本真士さんのツイートから想を得て、「不確実性と熱狂」の歴史を考察してみました。

このあたりから考えますと、特に若者は「ハマる仕組み」のある「不確実性」や「チャレンジ」の要素の強い方向に、行きがちではないかと思いました。漫画家志望の人がこれほど多いのも、そのような要素が強いからでしょうか。逆に組織のトップや政治家さんは、意識的にそのハマる要素に誘導するような仕組みを作るのが大事かなと思います。伊藤博文が、若者たちを下剋上、政府打倒の方向にハマらせるのではなく、「内閣総理大臣ならなれるかも」の方向にうまく向かわせたように。伊藤博文自身が、貧しい境遇の出ですもんね。

一方で、戦国時代や幕末に比べてそのような不確実性の少ない(と言われる)江戸時代中期の人たちが、何にハマったかをもう少し知りたい方は、こちらの漫画がおススメです↓。

みなもと太郎さんの『風雲児たち』です。蘭学(オランダ語)の翻訳で「フルヘッヘンド」の翻訳に1日まるまるかけた、などのエピソードを見ると、ハマってないとできなかっただろうな…と思います(今ならググれば一瞬ですが)。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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