勝馬のミホ_完成イラスト

1、過程を訪問する

早いものでnoteに投稿を始めて、18週間が経ちました。ここ最近の3週間を中心に、振り返りをしたいと思います。前回の「15週間のnote」の記事はこちらから↓。

いつの間にか9月もあとわずか(2019年9月27日時点)で、夏から秋へと移り変わる時期になりました。日本に四季がある以上、いわば必然なのですが、台風なども通過して、あれだけ暑かった夏がだんだんと落ち着いてくると、ちょっと寂しいような気もします。

その「移り変わり」、すなわち「過程」についての記事を投稿することが、この3週間では多くありました。まとめの記事はこちら↓。

「過程訪問」と題して、2019年8月29日に公開した「イバーランドの県道」の制作過程を書いてきた5回の記事をまとめています。いくら茨城県市町村擬人化×ゲームブック、と言っても、擬人化にもゲームブックにもなじみの薄い方から見れば「?」ですよね。そこで、過程を訪問して公開する

この「あえての手の内」を見せることについては、

この記事でまとめています。簡単に言うと、前田デザイン室さんのこの記事「鬼フィードバック第2弾」に刺激を受けたのです↓。

私たちは「完成品」を見ることが多く、「未完成品」を見る機会はあまりありません。しかし、ゲームブックではありませんが、完成品は多くの選択肢を経て、完成された姿でいまここにあるわけで、その背後には様々な試行錯誤や葛藤、失敗作品、時間との勝負、などがあるわけです。

前田デザイン室さんの記事では、その「過程」が赤裸々に書かれていました。ものをつくる人や、クリエイターさんにとっては、この「過程」こそが知りたい。追体験できるチャンス。完成品では、追体験がしにくい。未完成品から完成品に移り変わる流れ、こそが知りたいのです。

2、白黒を考察する

その流れに乗って、「白歴史」と「黒歴史」について、もう一度深掘りしてみた記事も書きました。つい昨日(2019年9月26日)ですが↓。

これは、Profieeという自己紹介ツールを拝見し、刺激を受けたからです(twitterやnote経由の情報から刺激を受けることが多い…)↓。

自己紹介。はじめまして、の略歴披露ですが、その「はじめまして改革」をやりましょうよ!というのがProfieeというツールです。自分のやってきたことを自由に編集できるだけでなく、他者からの紹介なども入れられる。個人だけでなく、組織の自己紹介にも使う方も出てきている。

私はここまでに、歴史についての記事をいくつか書いてきました。特に、「書かれなかった歴史」「取捨選択の末で捨てられた歴史」などもある、ということを紹介することが多かった↓。

Profieeなどの自己紹介ツールを使った、自分の「略歴」の紹介。その「完成品」の裏では、取捨選択の過程が必ずあります。誰に伝えるか、目的は何なのか、どのように表現するかによって情報量や情報の質が変わりますし、変えなければ効果は薄い。そこでこのように提案しました↓。

二段構え・三段構えで、確信犯的に、重層的にプロフィールを構築するのが良いと思われます。
そう、「詳しくは〇〇で!」で、他の媒体につなげるのです。
まずツイートで簡単な略歴。次にProfieeで他者の紹介も含めた時系列的な略歴。その上でnote記事などで書ききれなかった想いや、あえての苦労話、黒歴史なども書いてみる。そうすれば、一面的ではなく、重層的に、自分というものを理解をしてもらえるのではないでしょうか。
「過程こそが知りたい」。
人や組織、活動や作品に興味が出れば出るほど、その「過程」「メイキング」に興味がわくものです。

つまり「複数のツールを使った重層的な自己紹介」です。

何と、Profiee公式twitterでも紹介していただけました↓。

ありがとうございます!

となると、その自己紹介を見る側・読む側のほうも、「自己紹介読解リテラシー」つまり「まるっとそのまま鵜呑みにしないで、その背景にも目を向ける力」を持って、重層的に読み解きたいところです↓。

そこから連想して、「人のプロフィールを見るときに気を付けること」
歴史は取捨選択されて公開・非公開を書き手が判断して作られたものなのですから、原則、ありのままの歴史ではありません。毎日の食事まで、事細かに書いたものではないのです。つまり「モデル」に過ぎない。「盛っている」かもしれない。そこを割り引いて見る必要がある。人がうらやむようなプロフィールであっても、その背景には凄まじい努力・葛藤・失敗があったのかもしれません(なかったのかもしれません)。

「モデル」「盛っている」をかけてみました(笑)。

個人ではなく組織でもそうですし、組織だけではなく国レベル・世界レベルの歴史でも、この「見える歴史・見せている歴史・見せない歴史・隠している歴史・あえて晒す歴史」などをどこまで意識できるか。歴史の「書き手の意図」をどこまで意識できるか。もし自分が書き手ならば、歴史の「読み手の意図」をどこまで意識できるか。

人は、見たいものや読みたいものに、つい引き寄せられてしまうものです。書き手も、それを意識的あるいは無意識的に感じて、「読者におもねる」文章を書いてしまうこともあります。もちろんこれは悪いばかりの話ではありません。「読者のニーズにこたえる」とも言えるからです。ですが、

「白歴史」ばかりは目が疲れる。
「昼歴史」ばかりは夜が気になる。
「表歴史」ばかりは裏を勘繰られる。
「外歴史」ばかりは内面が気になる。

としつこく書いたように、必ずしも「良いことだけが書かれている歴史」が、読み手を納得させるとは限らない。もちろん太宰治の「人間失格」のように、醜悪な面ばかりを誇張して書くのが良いとも言えませんが、

白と黒、昼と夜、表と裏、外と内を意識して、媒体別に重層的に、それぞれの目的に合った自分史やプロフィールを作っていくと、より効果的ではないかと思った次第です。意識して使い分けるのと、無意識に偏ってしまうのとでは、雲泥の差がありますので…。

というところです。

野球のピッチャーでも、意識して内角と外角に投げ分ける人と、ど真ん中に投げようとしていればどっちかに偏るけどストライクになるだろうという運任せの人とでは、配球の組み立てに雲泥の差が出てきます(意外と考えずに適度に荒れ球になったほうが、バッターを打ち取れたりはしますが)。

すっぽ抜けて危険球退場、とはなりたくないものです。

3、台風が通過する

このように、「過程」「白黒」を中心に深掘りした3週間でした。

ここからは他の記事をダイジェスト版的に紹介します。

台風15号が多くの災害をもたらしたことについては、このような記事も書いてみました↓。

電力の安定供給について、歴史的な観点で人物を紹介したり↓。

台風が過ぎ去って雨が上がって「台風一過」の青空となるように、一度雑念やしがらみを吹き飛ばして新鮮な眼で見つめてから、さらに「上がる」ことが、新しい発想には必要だ、という記事を書いたりしました↓。

しかしそもそも、台風や地震などの「人力ではどうしようもない」自然災害がよく襲い掛かる日本では、「水に流す」「しょうがない」という思想が(それこそ無意識的に)根付いているのかもしれませんね↓。

ただし、特に地方では多くの問題が山積しており、「しょうがない」で済ませされるレベルを超えていることもあるのではないか。今回の台風でも、地方における「危機管理」「事後ケア」「地域内でのコミュニティ」などの多くの(通常ではなかなか見えにくい)問題が、吹き飛ばされ、ひきはがされ、あらわになったように思います。

そんな中で奮闘する地域おこし協力隊の方について、街づくりをカレーづくりに、地域おこし協力隊をカレーづくりサポーター(時には自分自身がスパイスになる)にたとえて、こんな記事も書いてみました↓。

薄っぺらい歴史は、すぐ吹き飛ばされます。

京都レベルの重厚で濃厚な歴史があれば、1つや2つの災害ではびくともしない安定感を感じます(何しろ、応仁の乱や幕末の混乱など、多くの人災をも乗り越えてきた街ですから…)。

台風のあとには、豊富な水・青空と日光・吹き飛ばされてきた種子が揃って、芽が出て育っていきます。あえて台風のような思想で、色々なものを吹き飛ばして思考実験することにより、多くのものが芽吹くように思います。

4、今後を芽吹かせる

いかがでしたでしょうか?

この記事では、18週間のnoteの振り返り、特にこの3週間を振り返ってまとめてみました。

今後ですが、地理のコンテンツである「イバーランドの県道」をさらに紹介・浸透させていくとともに、次の歴史のコンテンツの構築に力を入れていきたいと思います。布石や準備、note記事上での思考実験は、色々と積み重ねてはいるのですが…。

ただし、考えるだけなら誰でもできます。

note記事で取り上げた「U理論」でもありますように、U字を上ること、

【上る↑】
「結晶化する」クリスタライジング(Crystalyzing)
・ビジョンや意図を明確化し、結晶化する。
「具体化する」プロトタイピング(Prototyping)
・ビジョンを構築し、具体的なものを作る。
「実践する」パフォーミング(Performing)
・現場の適切な人たちを巻き込んで、実践する。

「結晶化し」「具体化し」「実践する」ことが大事ですね。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

この記事が参加している募集

自己紹介

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!