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渦の中にいると、自分が回っているため、周りが回って見えます。渦の外にいると、渦の中の人が回って見えます。当事者は日々に忙殺され、周りが見えにくい。部外者は日々に時間があり、客観的に見えやすい。思いきって視点を外に置き、外から我が身を振り返るのも時には良いと思います。

北欧はスウェーデンより、3つほど働き方・生き方のご紹介を…。

1、ラーゴム

スウェーデンではLAGOMという考え方があります。ラーゴム、またはラゴムとも読みます。

ラーメンがゴムの様に固い、とかではない。むしろ逆で柔らかいイメージです。こちらの北欧福祉研究所さんのブログがわかりやすい。「一生懸命(一所懸命)」の逆、「ほどほどに」というイメージです↓。

あえて訳すと、「ちょうどいい」「適度」「良い塩梅」という概念だそうですが、私的にしっくりくるのは「ぼちぼち」という言葉です。「もうかりまっか?」「ぼちぼちでんな」という感じ。

要は、頑張り過ぎない、力を入れ過ぎない、中庸、腹八分目、というところでしょうか。ついつい頑張りすぎる、全力で駆け抜ける、根性、ガツ盛りの行きすぎた体育会系ではなく、ゆるゆわの文化部系というイメージ。

頑張り過ぎている方は、ラーゴムの精神でぼちぼちいくのはどうでしょう?

2、フィーカ

お次はFICA。フィーカと読みます。要するに「お茶しない?」「コーヒーブレーク」ですね。ただ違うのは、1人で飲むというよりは、複数でわいわい話しながら、お菓子などと一緒に飲むこと↓。

なお、スウェーデンはシナモンロールの発祥の地で、10月4日はシナモンロールの日だそうです↓。

こちらのブログによると、1920年代初頭にシナモンロールが考案されたとのこと。第一次世界大戦後、流通の再開で、材料であるバター、小麦粉、シナモンが手に入るようになりましたが、行き渡るのはまだ富裕層のみ。それが1950年代に入ると生活水準が上昇して、誰もが簡単に安くで材料を手に入れることができるようになりました。当時は専業主婦が多かったために、「家庭の味のシナモンロール」が普及していったそうです。

日本では、コンビニでコーヒーが普及していますが、1人でほっと一息、というイメージが強いですね。そうではなく、みんなで共有するおやつとコーヒーの時間。強いて挙げればお茶菓子と抹茶でおもてなしの「茶道」かなと思いますが、正座して「けっこうなお点前で」ではなく、フィーカはざっくらばらんにリフレッシュ。茶道のようにもてなす側ともてなされる側があるわけではなく、主客平等なところも違いますね。

連続で仕事をし過ぎる方は、フィーカの精神でメリハリをつけてみては?

3、ライフパズル

最後に「ライフパズル」の考え方をご紹介。

硲 允(Makoto Hazama)さんのブログが非常にわかりやすいので、リンクを貼ります↓。

日本では「ワークライフバランス」と訳されますが、硲さんによると、似て非なるものとのこと。日本ではどちらかというと「ワーク」が主で、それに対して「ライフ」をどう調和させていくか、という考えになりがちですが、「ライフパズル」ではそうではないと。

そもそも、ライフの一部がワークではないか。ライフとワークは厳密に分離できるのか…? 確かにその通りだと私も思いました。

『「バランス」をどうにかするのではなく、自分の「ライフ」の一部だと思えるような仕事を増やしていくことのほうが大事なのではないかと思う。』という硲さんのお考えに、共感します。

ここからは私なりに考えたことです。パズルですから、ジグソーパズルを思い浮かべてください。自分のピースを、自分なりに組み立てていく。すでに決まったピース、大きすぎるピースに無理やりあてはめていくのではなく、自由にその時々の状況に合わせて変幻自在に組み合わせていく。家族というピースを増やす時期もあれば、仕事というピースを増やす時期もあるでしょう。趣味というピース、グルメというピース、読書というピース、色々考えられます。しかしあくまで、自分が主体。

パズルを組み合わせるのは自分であって、組織が主体ではありません。組織にあらかじめ決まったパズルを渡されるのではなく、自分が一からピースを集めて組み立てていくのです。終身雇用で、就職したら結婚して子育てしてローン組んで、という決まった道ではありません。先日書いたnote記事の「プロティアン」の考え方にも(全部ではないですが)一部共通する部分があるのかな?と思いました↓。

何となく決まった人生を歩んでいくしかないのかなと、軽い絶望を感じている方は、ライフパズルの精神で人生を組み立てていくのはいかがですか?

4、スウェーデンに行きたしと思へどもスウェーデンはあまりに遠し

この記事では、スウェーデンの生き方・考え方を3つご紹介しました。

最後に、1つの詩をご紹介してまとめたいと思います。

ふらんすへ行きたしと思へどもふらんすはあまりに遠し」で始まる詩があります。萩原朔太郎の『純情小曲集』の「旅上」という詩の一節です。

ただ、この一節のあと、このように詩が続くのはご存知でしょうか?

せめては新しき背廣をきて
きままなる旅にいでてみん。
汽車が山道をゆくとき
みづいろの窓によりかかりて
われひとりうれしきことをおもはむ
五月の朝のしののめ
うら若草のもえいづる心まかせに。

「せめては」というところが、素晴らしいと思います。

フランスいいな、スウェーデンいいなと思っても、やはり遠いのです。すぐには行けないのです。さすがに現代では、大河ドラマ『いだてん』のように、シベリア鉄道で何週間も、ということはありませんが、飛行機でもすぐに着くというわけではありません。何しろ飛行機代が…(泣)。シナモンロールを本場で食べるのは、まだまだ先だと思うのです。

ですが、日本にも美味しいシナモンロールはたくさんある。ラーゴムの精神で、ラーメンを腹八分目にしておくのも、ライフパズルの精神で、自分の生き方の棚卸しと再構築をすることも、やろうと思えばできます。そもそも風土や経済の土台が違い過ぎるのですから、そのまま全部取り入れることは、私は難しいと思います。ですが、自分なりに、自分に必要な部分だけを、アレンジして取り入れることはできます。

いま、少しお疲れの方は、次の休日にでも新しい服を着て、気ままに電車に乗って山道を行き、窓によりかかって、自分が嬉しいこと楽しいことを思い浮かべてみてはいかがでしょうか?そのようなことを、七月の朝のしののめに、うら夏草のおもいづる心まかせに考えた次第です(笑)

よろしければ荻原朔太郎の詩もどうぞ↓。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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