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歴史を漫画する ~その利点と欠点と対策法~

1、ムロタニツネ象さんという鬼才

「学習まんが」シリーズなど、学校で学習する内容を漫画にして、わかりやすくする手法があります。歴史の分野で特に有名なのは、「学研まんが 日本の歴史」ですね↓。

現在のシリーズでは、旬の漫画家さんが登用されており、絵も奇麗、読みやすい、最新の研究内容も反映されている…。あの「ビリギャル」も、歴史の学習内容は、漫画でまず流れを頭に入れたとのこと↓。

しかし、私がパッと脳裏に思い浮かべるのは、「ムロタニツネ象さん」作画の漫画なのです。どこかで、例えば学校の図書館などで、目にされた方もいらっしゃるのでは↓。

私は特に、この「天下の統一」「江戸幕府ひらく」の2冊が、強烈に印象に残っています。応仁の乱(北条早雲)~島原の乱(からの「鎖国」)まで、この2冊を読めばおおまかな流れが頭に入っていきます。

何というか、クセになるんですよね、ムロタニツネ象さんの漫画って…。これぞ漫画というか、強調と省略と目力がすごい。実は学習漫画だけではなく、ホラー漫画の分野でも活躍された方で、かの有名な手塚治虫さんにもライバル視されていたとか…。まさに鬼才。隠れファンは多いと思います↓。

このムロタニツネ象さんの2冊を読んだ上で、(まだ完結はしていませんが)宮下英樹さんの『センゴク』シリーズを読めば、戦国時代の流れについてはまずバッチリかなと思います。

2、わかりやすいがゆえに

しかし、歴史を扱った漫画には、欠点もあります。

それは、あまりにわかりやすいがゆえに、イメージが固定されてしまうという危険があるということです。強調・省略・目力がすごいがゆえに、脳内でイメージが固定されてしまうのです。むしろ当然です。描き手は、いかに読者の印象に残るかを考えて描いているのですから。

また、本来、「複雑な背景がある歴史のできごとを、限られた紙面で描かなければいけない」という制約のために、良い意味でも悪い意味でも「誤解を恐れずに」省略して描かなければいけない。これが、歴史を扱う漫画、いや、すべての漫画に共通する宿命です。

もちろん、紙面を増やせば、つまり量を増やせば、細かい背景まで描写することができます。先ほど挙げた『センゴク』では、これまでの戦国時代の漫画の描写には無い、歴史の再考察がなされています。また、みなもと太郎さんの『風雲児たち』は、幕末のことを描くために1979年(今から40年前!)に関ケ原の戦いから描かれ始めましたが、描いているうちに江戸時代のボリュームが当初より多くなってしまい、膨大な歴史大河ロマン作品になってしまいました(編集部の意向から離れて…)↓。

調べれば調べるほど、面白い細かなエピソードが出てくる。どこまで細かくするか、どこまで省略して強調するか、創作上の人物や演出をどこまでやるべきか、特に実際の歴史を題材にとる漫画は、こういう問題と格闘せざるを得ないのです。

しかし、最初のムロタニツネ象さんの「戦国時代~江戸時代初期」の2冊に話を戻すと、主な読者層を小学生を想定しているため、コンパクトにまとめなければならないという制約があります。あまり長いと飽きられますからね。しかし、あまりにもコンパクトにまとめ過ぎると、いわゆる「絵解き」になってしまって、全く読者の印象に残らない。その点、ムロタニツネ象さんのコマ割りと演出は神がかっていて、適度な小ネタやエピソードをからめるのが非常に巧みで、『センゴク』や『風雲児たち』に比べると分量が少ないのに、印象に強く残るコマが多いのです。

ただし、繰り返しになりますが、「印象に残るがゆえに、イメージが固定されてしまう」危険性が高い。

例えば『江戸幕府ひらく』の巻の最後のコマは、江戸幕府の三代将軍の徳川家光が「鎖国」をした、というコマです。「家光じるしの徳川鎖国カンヅメ」が日本の上に乗っている、という、誠に印象的なコマです。ところが、現在の歴史研究では、いわゆる「鎖国」は行われていなかったのではないか、という見解があります↓。

この記事の文章から、一部を引用します↓。

そもそも鎖国という語が使われ出したのは、鎖国完成から150年以上後の享和元(1801)年以降のこと。元オランダ通詞(通訳)志筑忠雄が、ドイツ人医師ケンペルの著書『日本誌』を和訳し、その中の1章を「鎖国論」と名づけたのがはじまりだったのである。

つまり、徳川家光が「鎖国だ!」と言い出したわけではないんですね。しかし、「家光じるしの徳川鎖国カンヅメ」のコマ「だけ」を見た小学生は、「徳川家光」が「鎖国」をしようと言い出して、「カンヅメのようにガチガチの状態になった」と誤解しても、無理はないところです。

3、アップデート・宿命理解・複数作品

歴史の学習漫画の利点と欠点をまとめてみましょう。

◆利点…歴史の流れがわかりやすく、コンパクトに理解できる

◆欠点…詳細が省略されていて強調されているので、誤解する

このような利点と欠点を踏まえたうえで、ではどうすれば良いのか? 対策法はないのか? 3つにまとめて挙げてみます。

まずは、読み手が「こまめなアップデート」を意識すべきだと思います。つまり、歴史研究は現在進行中であり、史料や考察が進むと、過去の「常識」が覆されることもある、と意識することです。

次に、読み手が「省略と強調」という漫画の宿命を意識すべきだと思います。つまり、漫画は歴史そのままではなく、描き手の主観や演出が意識的あるいは無意識的に入った物語であるということを意識する。ちなみに、この問題については昔から議論されており、明治~大正の文豪である森鴎外も、『歴史其儘と歴史離れ』という随筆を書いており、「歴史そのまま」に書くことによる重圧を告白しています↓。

最後に、複数の作者の作品や見解に触れるべきだと思います。つまり、歴史への視点は1つではない、切り口や解釈は無数である、と自覚して、様々な作品や見解に触れることです。

一見、中立的などの政治的立場にも立っていないと思われる作品であっても、必ず描き手(書き手)や編集サイドの主観と取捨選択が含まれます。複雑で膨大な人間の営みを、ペンやPCで切り取っているのですから、むしろ当然です。「真実はひとつ!」と割り切れるものではありません。特に歴史は誤解されやすい。仮に「真実はひとつ!」と仮定(夢想)したとしても、「切り口や解釈は無数!」に生み出し得るのです。中には「そりゃないだろ!」とツッコミを入れたい解釈もあったりしますが、それを無批判に読むか、ツッコミを入れながら読むかは、読者にかかっています。

4、歴史は短縮され単純化されている

この記事では、「歴史を漫画する」ことの利点と欠点、その対策法について考えてみました。

以前のnote記事「歴史からの八艘飛び」でも取り上げましたが、歴史というものは物語られるであるがゆえに、たびたび『短縮』され『単純化』されています。note記事はこちら↓。

最後にもう一度、堺屋太一先生の『歴史からの発想』の文章から引用して、この記事の締めにします↓。

「しかし、歴史が『短縮』され『単純化』されている便利が、しばしば読者に重要な誤解を与えることもある。その一つが、短縮され単純化されているがゆえに、歴史の中に生きた人物の悩みと迷いを十分に伝えないこと。もう一つが、読者は事件の結末を知っているが、歴史の中に生きた人々はそれを知らなかったということである」

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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