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1、大戸さくら公園

「これが大戸の桜か?」

私は大戸さくら公園の前にいた。

茨城県東茨城郡茨城町。なんと漢字10文字の中に、茨城が3つも入っている。ここは茨城町(いばらきまち)である。町の観光協会のホームページには、茨城町と言えば「大戸の桜」(おおどのさくら)であるとアピールされていたので、見に来たのだ。しかし、何か写真と違う↓。

どうやらここは公園であって、大戸の桜はもう少し離れたところにあるらしい。大々的な宣伝はされていない。普通、もっと桜の季節には大々的に案内が出ていてもいいはずなのだが…。それでもナビを頼りに、小道を抜けこんなところに桜があるのかと不安になった頃、大戸の桜は目の前に現れた↓。

…天然記念物。茨城百景。水戸黄門も愛でた桜。確かに見事で、歴史を感じさせるが、うん、なるほどね、という以上の感慨は持たなかった。観光客もあまりいない。密かに毎年花を咲かせて、散る。その繰り返しをこの老木は、誰に言われることもなく、誰に気兼ねすることもなく、何回も時代を越えて、ただただ重ねてきたのであろう。

茨城町とどこか似ている。そう思った。

2、イバラキの中のイバラキ

茨城町は、水戸市の南にある町だ。

鹿児島県に鹿児島市があり、山口県には山口市がある。いずれも県庁所在地である。県名と同じ名前の都市は、県庁所在地になることが多い。しかし、茨城県の県庁所在地は茨城町ではない。水戸市である。

東茨城郡は、3つの町が属している。城里町・大洗町、そしてこの茨城町である。では西茨城郡はどこかというと、ない。すでに消滅した。その昔、東茨城郡には2町32村が属していた。それが市町村合併を重ね、県庁所在地は隣の水戸市となり、たくさんあった村はいつしか〇〇町となった。西茨城郡はその過程で消えた。そもそも茨城町も、1955年に、長岡町・川根村・上野合村・鹿島郡沼前村が合併して誕生した町である。

一言で言えば、東茨城郡は、市町村合併の名残である。西はもうないのに、東だけが残っている。漢字10文字の中に3つも茨城が残っているのも、その名残に過ぎないように思う。

しかし、だからこそ趣深い。平成の市町村合併の際には、「まちの消滅」が話題となった↓。

地名やまちが次々と消えた。〇〇市の中に組み込まれ、広い市域の一部として残る町や村が多かった。

茨城町も例外ではない。市町村合併の波が押し寄せていた。しかし。

2006年(平成18年)2月6日、水戸市との合併協議会を設立した茨城町は、隣の水戸市への編入合併を検討していた。だが、2007年4月の町長選挙により、合併慎重派の町長が当選。協議会は同年9月に解散した。

つまり、水戸市の一部として組み込まれることを良しとせず、独立して茨城町として歩むことを選択したのである。あれから約12年。

茨城町は、いまも残っている。もちろん今後は、どうなるかわからない。水戸市の一部になるかもしれない。その姿が、人知れず桜を咲かせる「大戸の桜」に重ね合わさった。大戸の桜も、いつかは朽ちて倒れるだろう。しかし、今年も咲いた。桜の花は春にしか咲かないが、イバラキの中のイバラキ、「ザ・イバラキ」の茨城町は、今日も咲き続けているのである。

3、爆釣と沼沢

いかがでしたでしょうか。今回は「茨城町」の記事でした。

なお、大戸の桜と町名しか取り上げませんでしたが、茨城町と言えば「涸沼」も有名です。ひぬま。ラムサール条約にも登録されています。茨城県の湖や沼と言えば「霞ヶ浦」が有名ですが、涸沼も良い風情があります。そこから、擬人化をしてみました。

男性は「爆釣のイバラキ」。ばくちょうと読みます。釣り部です。その名の通り、茨城町には、釣りの名スポットがたくさんあります↓。

Tシャツの絵柄は、涸沼の形です。

女性の方は「沼沢のイバラキ」。しょうたくと読みます。カヌー部です。涸沼では、アクティブなアウトドアスポーツもたくさん楽しめます↓。

帽子の絵柄は「シジミ」です。涸沼のシジミはとても美味しい絶品です!

この市町村擬人化のキャラは、すべて20歳以上、「町学校」(ちょうがっこう)という学校に通う「町学生」(ちょうがくせい)という設定です。茨城県の各市町村出身者で構成された「プロイバゼミ」「プロラキゼミ」という2つのゼミにそれぞれ所属しています。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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