190514プロイバ問い

「カイジ」の説教 ~鳥見桐人の漫画断面図3~

1、説教

説明して教える、と書いて説教。

本来ならありがたいことなのに、あまりされたくないのが説教である。もちろん、俺もまっぴらごめんだ。学生時代によくネチネチと説教してきた先生がいたが、何度、頭の中でハリセンでしばいたことか。

「あんたに言われたくないよ…」

と思われれば、説教の効果は薄い。説教とは、する側とされる側に、かなりの信頼関係がないと成立しないと思っている。ましてやすぐには終わらない。一言ですむ説教は、説教ではなく注意とか警告などと言った方がいいだろう。

俺がこんな風に思ったのは、休日の昼下がりに近くの多目的グラウンドで少年野球を見ていたときだった。エラーをした少年を、コーチらしき人物が熱心に指導している。指導というより説教か。あーあ、見ろよ少年の顔を。一応、建前上しおらしく説教を聞いているが、ありゃ「早く終われ」としか思ってないな。説教をする側はつい延長戦になるが、される側はコールドゲームでも何でもいいから早く終われと思っている。逆さに置いたコップには、水は注げない。逆効果だ…。

コップで連想したせいか、急にのどがかわいてきた。うん、ここはカフェタイムだな。ついでに漫画も読んでこよう。俺は立ち上がった。

「カイジ」の利根川先生の説教シーンを読みたくなった。

2、カイジ

アニメ化も映画化もされ、パチンコなどにも取り上げられて、代表作の1つといっていい。福本伸行さんの「カイジ」。「〇〇〇〇録」と副題がつき、長く連載されている。いまは3人組で逃走して、ギャンブルで得た大金を銀行にどう預金するかを企てているんだっけ(注:2019年9月30日現在)。

この漫画の凄まじいところは、ギャンブルジャンキーとか多重債務者などの情景を、鮮やかに表現しているところにある。もちろん「限定ジャンケン」とか「鉄骨渡り」などの各ギャンブルの設定も秀逸だ。次は何が飛び出るのだろうと、読者は興味をかきたてられる。

しかしその根底にあるのは、未来に対する恐怖である。いまは自由な時代だ。例えば江戸時代と比べて、圧倒的に自由だろう。車があればどこでも行ける。関所などはない。しかし、自由というのは、恐怖をも合わせ持っている。つまり、自分の責任で天国にも地獄にも行きかねないという恐怖。ギャンブルは、その舞台装置だ。

誰も責められない。選択しなければいけないということは、自分で自分の人生をデザインしなければいけないということだ。うまく行っているうちは自分の功績にしがち。しかしうまく行かなくなるとつい、他人のせいにしたくなる。だがその選択は、自分ではどうしようもないこともあるが、選べることも多い。そもそもそんな選択を迫られる場面に追い込まれない選択肢もあったはずだ。自分の弱さによってそこまで追い込まれたのに、自分への甘さによってそれを認めたがらない。内心の葛藤や後悔だけが募る。

「はたしてこの選択肢で良いのだろうか」
「あの選択肢をとっていなかったらどうなっていたのだろうか」

このように、未来と過去に対して、自由は常にプレッシャーをかけてくる。「自由からの逃走」という言葉もあるが、人間は本来、完全な自由には耐えられない精神構造を持っているのかもしれない。だから、スケジュール帳の空白を埋めたがる。to doでやるべきことを設定し、そのやるべきことで自らを縛る。自分の選択に言い訳をつけたがる。俺も昔はそうだったな…。

「カイジ」には、ギャンブルという魔物にとりつかれた人間の悲哀が描かれている。読者は、別にギャンブルジャンキーではない人が多いだろう。この作品が心をつかむのは、あり得るかもしれない未来、あり得たかもしれない未来を、「鉄骨渡り」などのふつうはあり得ない表現で見せてくれるからだ。つまり、恐怖を味わいたいという、「ホラー映画」「お化け屋敷」にひきこまれる心理である。

そんなことを考えているうちに、「てなもん屋」に着いた。

3、先生と債務者

漫画喫茶てなもん屋の店長は、俺の旧友である。挨拶もそこそこに、俺は彼に言った。

「先生の説教シーンが見たくなった」

「カイジか? ほらよ」

話が早い。俺は椅子に座ると、ページをめくった。

登場人物は中年の男性である。主人公の「債務者」に説教をする。債務者は1人ではなくたくさんいる。この場面はギャンブルの説明のシーンだ。しかしその説明は、不十分である。何をしてよいのか、何をすべきなのかが、今ひとつわからない。当然、彼らは説明を求める。自由への恐怖。その彼らに、男性は冷水を流し込む。聞き手のコップが逆さになっていることなどかまわずに、英語で。

「Fuck you」

続けてこう言い放つ。

「ぶち殺すぞ…… ゴミめら……!」

それまでは丁寧に説明していた男性が、急変する。雰囲気が変わる。この描写がたまらない。Fuck youは、ごちゃごちゃっとした小さなフキダシで描かれている。え?何て言ったんだ?と、登場人物と同じように読者も思う。そしてページをめくると、大きなコマで男性の「ぶち殺すぞ」である。心を撃ち抜かれる。しかもこの回はここで終わる。連載をリアルタイムで読んでいたら、さぞ次の1週間が待ち遠しかったところだろう。

この衝撃的な一言を聞いて、参加者たちは虚を突かれる。まずいことをしたのかという恐怖と、ゴミよばわりされたことへの意外感。そう、彼らは債務者、失敗してきた者たちだ。しかしその失敗を他責にして、何となく責任の所在を曖昧にしたい、目を背けたいという心理がある。そこを男性は突く。真正面から「ゴミめら」というキツイ言葉をつかって、彼らを罵倒する。その上で説教を始める。

説教の中で、将棋の羽生名人や、野球の野茂投手・イチロー選手がたとえに出てくるのは、少し時代を感じさせるが、彼らの心理に届かせるには十分だ。有名人の天才だから、誰でもその名を知っている。その天才たちも、勝ち続けなければゴミになっていた、という可能性を示唆する。

お前たちは選択を間違って間違ってここに来た。
誰のせいでもない、自分のせいだ。

男性はストレートに言う。そんなことは周囲の大人たちは言ってこなかっただろうと問いかける。「説教」だ。しかし、その説教にみんなが聴きいっている。コップはいつのまにか上を向いている。衝撃的なつかみで、逆さになっていたコップは強制的に上を向かされたのだ。あとはこの男性の言葉、つまり水がどんどん注がれる。金は命よりも大事だ。勝たなければゴミだ。何というシンプルさ! ネチネチという表現の対極。バサバサと斬られる感覚。しかしその斬られることが快感に変わっていくかのようなマゾ的な表現。なぜならば、彼らをこうやって面と向かって「説教」してくれる大人がいなかったからだ…。

男性は言うだけ言って、退場する。場は引き締まった。なんと、この説教に感涙するもの多数……!

「勝つぞ……勝つぞ……!」

説教は成功した。そんな彼らを見て、何と単純な奴らかと、主人公は戦慄する。肝心かなめのギャンブルの詳しい説明については、うやむやにされただけではないか…? この対比も素晴らしい。あとは、福本節に乗って、騙す者と騙される者、ギャンブルの妙味を味わうだけである。

…俺はそのシーンだけ読み終わると、店長に言った。

「冷たい水を一杯」

(つづく。説教を説教と思わせずに聞かせる大人は凄いですね)

4、ぜひスピンオフも合わせてお読みください!

いかがでしたでしょうか?

今回は福本伸行さんの「カイジ」より、有名な説教の場面を取り上げました。登場人物は名前を出していませんが、あの先生の名前を思い浮かべる方も多いでしょう。未読の方は、「ヤンマガ風味のギャンブル漫画でしょ?」と敬遠するには惜しい名作です。ぜひご一読を↓。

初版は1996年なんですね…。阪神淡路大震災やオウム事件の翌年、バブル崩壊の影響をみんなが実感しだした「世紀末」にこの作品が生まれたのも、何となくうなずけます。

ちなみにこの「カイジ」シリーズにはスピンオフ作品もあります。どちらもカイジほど重苦しくなく、ギャグテイストの抱腹絶倒、しかしどことなくホロリとさせられる(こともある)名作ですので、合わせてぜひ↓。

こちらは「中間管理録」。債務者を管理する会社側。

こちらは「1日外出録」になります。債務者サイドのお話。

スピンオフって、意外に描くのが難しいものです。しかしこの2作品は、歴史に残るスピンオフ作品だと思っています。アニメ化はすでにされているので、こちらもオススメです。1巻の表紙の構図が似ているのは、これは確信犯ですね…。

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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