見出し画像

1、円熟

11回目の世代考察記事になります。61歳から66歳です。12回、つまり72歳まででこの連載は一区切りする予定ですので、ラス前ですね。前回は10回目、55歳から60歳まではこちらになります↓。

キーワードは「円熟」です。「熟年」から連想しました。ワインと同じで、年数がたつほどに味わい深くなるのが人生。20歳前後にはエッジの効いていた人も、40歳前後にはだんだんと(体型的にも)丸くなり、60歳前後には60年の人生経験を経て、色々なものが見えて対応できる世代になります。

組織に属していると、トップのポジションにいるか、窓際の席にいるか、それは状況次第だと思いますが、いよいよ集大成という感じですね。家庭においても、子どもの結婚、孫の誕生、もし子どもや孫、あるいは配偶者がいなくても、来し方を振り返り、これからを考える大事な時期です。

タイトルは、あえて「末は博士か大臣か」にしました。現在ではもはや死語の類かもしれません。このタイトルから、話を始めます。

2、博士とオタク

明治の文豪、夏目漱石にこんなエピソードがあります。

文部省から授与された博士号を辞退したのです。

その理由についてはさまざまに憶測されています。反権力?「イヤナモノハイヤダ」というつむじ曲がり? 博士というとありがたがるような風潮にメスを入れたかった? 真相は本人しかわからない藪の中ですが、とにかく辞退した。文部省の方もメンツにかかわるので、「文部省としては授与したつもり」「漱石としては辞退したつもり」という正反対の立場で、宙に浮いたようになってしまったそうです。

明治時代の博士号と言えば、現在とは比較的にならない価値を持つもの。それを辞退するとはさすが漱石だ。そういう賞賛も上がる一方で、もらえるものはもらっときゃいいのに、という半分やっかみの声も上がります。

このエピソードから、社会的な成功、特に博士について、考えてみます。博士というのは、要は「オタクの極致」ではないでしょうか。

文学博士は、文学についてあらゆることを考えてきた人。人間とは、世界とは、社会とは、言葉とは、色々と考えてその表現方法をつきつめて、その考察や実践を世の中に問うて、それらが認められてきた。つまりは「文学オタク」です。医学博士はどうでしょう。病気やその治療法、人間の身体と健康について、とことん考えて研究して世の中に問うた人。いわゆる「医学オタク」です。大学の研究室に行って、博士と呼ばれる教授の皆様に会えば、「あ、この人、自分の専門について大好きなんだな、いくらでもしゃべれるし書けるんだな」と思うでしょう。

では、では、ただの「オタク」と、大学教授やノーベル賞をとるような「博士」の違いとは、いったいなんなのでしょうか?

一概に分けられない面はもちろんあります。ですが一番の違いは、「それが世のため人のためになっているのか」ということでしょう。

オタクは、他人などどうでも良いから自分が面白ければそれでよい、という面を持っています。対して博士は、他人のためにもなることを突き詰めている、という面がありますよね。次に考えられるのが「なる方法」です。オタクは、どこででもなれます。オタクでございと自称すれば良い。しかし博士は、論文などを書いて国や大学などの権威ある組織から認められる必要があります。最後に、「世間からの評価」でしょうか。オタクは、同好の士からは尊重されるかもしれませんが、世間から尊重されるかというと微妙です。畏敬の念を持たれるかもしれませんが、奇異な目で見られることも多々あります。一方で、博士と言えば世間はそれなりに評価してくれるでしょう。

まとめるとこのようになります。

◆オタク…「自己中心的」「誰でもなれる」「世間から認められにくい」

◆博士…「他者を意識」「なりにくい」「世間から認められる」

私は、夏目漱石が博士号を辞退した理由は、このあたりも影響したのではないかと推測しています。「ただの夏目なにがしとして過ごしたい」と、漱石は言ったそうです。自分と他者を比べれば、漱石にとってみれば、自分がまず大事なのです。それはもちろんただの自己中心的という意味ではなく、自分らしく生きること、他者が勝手につくる虚像を否定したいこと、博士号を通して世間から認められるのではなく、ありのままの自分が生み出したその作品を通して世間から認められたいこと、という意味です。それを偉そうに「認めてやる」と国が言ってきたことに、反発を覚えたのではないか。

さて、この話から、60歳代の話に持っていきましょう。

あなたの好きなものはなんですか? 熱中してきたこと、ライフワークと言えるものはなんですか? 退職したら、何が残りますか? 別に博士号は必要ありません。オタクと呼べるような何かを持っていますか? 仕事を「定年退職」すれば、もう半強制的に気の進まぬことまでやる必要はありません。時間もできます。自分の興味次第で、突き詰められます。

そのようなものを、61歳になってようやく探し始めるのか、それともすでに持っているのか、それによって、61歳から66歳、そしてそれ以降の生涯の「クオリティ・オブ・ライフ」(生活の質)が変わってくるのではないでしょうか?

なお、オタクについては、クリエイターのカワグチマサミさんがずばり述べていますので、ここに引用して紹介させていただきます↓。

オタク道は、人生と同様に、果てしないものです。

3、大臣と大尽

次は大臣について。明治時代なら大臣と言えば雲の上の存在。大臣の中の大臣である総理大臣であれば天の上。さらにその上は…。という感じでしたが、現在ではそこまでではないように思います。しかし、どんな失言があろうとも、一定の評価はもちろんされます。

「末は博士か大臣か」という言葉は、明治時代に完成して、高度経済成長期に強固となった「子どもが目指すべき目標」をあらわしていると思います。博士は、研究して自分の実力で世の中や人のために良いことを生み出す。大臣は、その徳でもって、世の中や人のために良い方向にみんなを動かしていく。そう、博士が「頭」「研究力」だとすれば、大臣は「心」「指導力」だと思います。

とはいえ、心が素晴らしくて、指導力があれば、大臣になれるのか? そうでないことは子ども心にもわかりますね。まず選挙に出るにはお金が必要。政権の取れる政党に属して、雑巾がけのような下積みを経て、選挙のたびに頭を下げて、政党のボスにも頭を下げて、何回か当選してようやくなれる。民間から一本釣りでなれるケースもありますが、レアケース。なったらなったで、国会で色々追及され、辞任に追い込まれる人もいる。昔ほど大臣に対する尊敬の念はない。その意味から、「末は博士か大臣か」は、もはや死語ではないかと述べたわけです。

となると、大臣に変わるものはなにか?

言葉遊びも多少入りますが、私は「大尽」ではないかと思います。

大尽、だいじん。意味はこちらから↓。

一言で言えば「お金を持っていてそれをぱっと使える人」という意味です。「お大尽遊び」などと言いますね。財産を持つ金持ち、富豪、資産家、素封家という意味があり、遊里などで豪遊する客などを、特にそう呼びます。

しかし私は、何もキャバクラやホストクラブに行って、シャンパンタワーなどを毎回できるような、豪遊できるような人を目指せと言いたいわけではありません。「お金を持っていてそれをぱっと使える人」の状態になることが大事ではないか、と言いたいのです。

61歳から66歳。「子どもの進学」「結婚」「出産」「孫育て」「親の介護」「葬儀費用」という家庭的なことから、「退職後の人生設計」「家のリフォーム」「老後の貯金」「病気になった場合の医療費」など個人的なことまで、とにかくお金が必要なケースが出てきます。もちろん老後に一発当てる、稼げる可能性もありますが、そうではないことも多い。

そう考えると、いくらでもお金は必要。すぐに使わなくても、使える状態になっておくことが、他の世代よりも重要ではないでしょうか。もちろん、心は大事です。ですが、心を潤すもの、先立つものは、お金です。

そのような財産を、61歳になってようやく貯め始めるのか、それともすでに持っているのか、それによって、61歳から66歳、そしてそれ以降の生涯の「クオリティ・オブ・ライフ」(生活の質)が変わってくるのではないでしょうか?

4、大宰相の生活

いかがでしたでしょうか?

今回は、「末は博士か大臣か」という言葉から発想して、61歳から66歳の世代について考えてみました。誤解を恐れずに言うならば、「末はオタクか大尽か」という感じでしょうか。博士や大臣にはなれなくとも、オタクや大尽になれれば、楽しい生活が過ごせるように思います。

ここにひっかけて、漫画を2つご紹介します。まずは「博士」↓。

山下和美さんの『天才 柳沢教授の生活』です。研究メインではなく、教授の家族も含めて、教授にかかわる群像劇と言ってもいい。天才とは何か、それが世間に認められている人とは何か。とはいえ、柳沢教授ご本人は、自分の興味関心が軸です。決して世間には流されません。

次は「大臣」のほう。こちらはそのものずばり↓。

戸川猪佐武さん原作、さいとうたかをさんの『歴史劇画 大宰相』です。

『ゴルゴ13』で有名なさいとうたかをさんが、戦後の総理大臣たちを描いています。原作は戸川猪佐武さんの『小説 吉田学校』などの一連の著作で、「小説」ですから取捨選択やフィクションも多少混じっていますが、学校の歴史の授業では諸事情ですっ飛ばれそうな戦後日本史を、ここまで人間臭く描けるのは感動です。ただ「政治闘争」に重きを置いており、政治の局面が変わる「政局」中心なので、そのあたりを踏まえてお読みいただければと思います。それにしても、政治にはお金がかかりますね…。大尽でないと大臣になれないのでしょうか。政治の世界では、61歳~66歳は現役バリバリの働き盛りなんですよね…。

ちょっと三木武吉がかっこよすぎな感じがしますので、前に紹介した大和田秀樹さんの『疾風の勇人』と合わせてお読みすることをおすすめします。その時々の重大事件(三億円事件など)も世相として描いてありますので、戦後日本世相史の勉強としても使えますよ!

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

よろしければサポートいただけますと、とても嬉しいです。クリエイター活動のために使わせていただきます!