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1、白か黒か

オセロ(リバーシ)で遊ぶと、白と黒が表裏一体ということに気が付きます。ご存知、はさむと白と黒がひっくり返る、あのゲームです↓。

オセロとリバーシの詳細な違いは、上記引用の記事をお読みいただければですが、一言で言うと次のようになります。

◆オセロ…厳密なルールがある
◆リバーシ…自由度が高い

私は、自分史もこれに似ていると思います。オセロのように、厳密で統一されたルールに従って書けば、よりトピックが絞られてはっきりわかりやすくなります。しかし、リバーシのように自由度が高い一面もあり、自由に書くこともできます。両者に共通するものは「白と黒は表裏一体」ということです。白が黒、黒は白になることもあります。

今回は、自分史について、考察を深めます。

2、黒歴史は書きたくない、読ませたくない

「自分の『黒歴史』など書きたくないし、読ませたくもないよ…」。

そう考える人も多いと思います。

これまでの人生バラ色!と思っている方は、自分史でも何でも自由に包み隠さず書けますし、どれだけ公開してもかまわないのかもしれません。100%白、白歴史だけ、ある意味幸せな自分史です。

一方で、これまでの人生暗黒期!と思っている方は、一字も書けないかもしれません。とても人さまには見せられない、太宰治「人間失格」のように、「恥の多い人生」を送ってきた。100%黒、黒歴史だけ、ある意味悲惨な自分史です(あくまで「人間失格」は小説ですが…↓)。

もちろんこれらは極端な事例で、人間であれば白歴史も黒歴史もあるのがふつうです。犯罪や虐待など、ほんとうに思い出したくもない、トラウマ状態になっている部分も、もしかしたらあるかもしれません。また、その時点では白歴史と思っていたのが、実は勘違いや思い込みで、実は黒歴史だったということもあるかもしれません。

…ここまで、当たり前のように「白歴史」「黒歴史」という言葉を使っていますが、いったん立ち止まって整理しましょう↓。

この記事を一部引用します(太字引用者)↓。

「黒歴史(くろれきし)」とは、「今となっては恥ずかしい、無かったことにしたい過去」を表す言葉です。アニメの劇中で使用された言葉がネットスラングとして普及し、一般的に使われるようになりました。
あまり一般的ではありませんが、「黒歴史」から派生した対義語として「白歴史(しろれきし)」という言葉があります。「白歴史」とは、「埋もれさせるにはもったいない出来事や作品」、「もっと評価されるべき過去」を表す言葉です。
「白歴史」に相当するケースには、次のような事柄があります。
・「これを知ったらもっとその人を好きになるだろう」とファンが思う作品や出来事。
・知られざる名作。
・不祥事などで落ち目になってしまった芸能人の在りし日。
・誰しも少しは積んだことのある善行。人生で一度くらいはある貴重な体験。
・周りには黒歴史と言われていても、本人は特に隠していない出来事。

いかがでしょうか。ほぼ、ご想像通りかと思います。

※ちなみに海外では、「black history」は「無かったことにしたい過去」という意味で使われていますが「黒人の歴史」を意味することもあるので、海外版『∀ガンダム』では、「黒歴史」の英語訳を「black history」ではなく「dark history」としているそうです。

ここで重要なことは、「恥ずかしい、無かったことにしたい」「埋もれさせるにはもったいない」と思うのは、「誰なのか」という点です。

…自分の歴史を自分で書くのならば、当然「自分」ですよね。

となると、黒歴史か白歴史か判断するのも、当然「自分」です。

上記の「白歴史」の説明文にも、このような一文があります。

・周りには黒歴史と言われていても、本人は特に隠していない出来事。

つまり、周りが「黒歴史」と判断することでも、本人、自分が「白歴史」だと判断していれば、それは「白歴史」になるということです。逆の場合も考えられます。周りが「白歴史」と判断していても、本人、自分が「黒歴史」だと判断していれば、それは「黒歴史」になるということです。

また、記憶というものはあやふやです。昨日食べたご飯は覚えていても、ちょうど1か月前に食べたご飯、覚えていますか? 1年前ではどうでしょうか? ご飯は「生きるために必要な日常の行為」であるがゆえに、誕生日などのご馳走でもない限り、はしから忘れていきますよね? 辛い記憶、思い出したくもない記憶が、いつの間にか美化されて、何となく良い記憶になってしまう、ということも、よくあります。

このようなあやふやな記憶を、同じようにあやふやな評価基準で判断するのであれば、白と黒は容易にひっくり返ります。

オセロ(リバーシ)と似ています。

3、非公開と公開によって違う

もう1点、「何のために書くのか」「誰に見せるために書くのか」ということを考えてみましょう。

私は先日の記事で、「明日のための自分史」について書きました↓。

ここでは、2つの類型の自分史を区別しています↓。

◆「伝統的な仕事観(キャリア観)」の自分史
→自分の人生の総仕上げとしての振り返り
→過去のため・自分のため
◆「ライフパズルでプロティアン的な仕事観(キャリア観)」の自分史
→次のステージに活かすための振り返り
→現在と未来のため・自分を主としつつ他人にも伝わるようにする

「総仕上げとしての振り返り」であれば、過去のため・自分のためです。自己満足で問題ありません。非公開でも大丈夫です。

「次のステージに活かすための振り返り」であれば、現在と未来のためです。自分を主としつつ他人にも伝わるようにしたほうが、より効果的です。なぜならば、先述したように、自分が「白」と思っていても、周りから見れば「黒」ということがあるからです。逆もあります。

自分史よりも、もう少し目的が明確化したものではどうでしょうか。

結婚式の「ブライダルムービー」はどうですか? 脚色しませんか? もちろん、「恥の多い人生を送ってきました」と「人間失格」的なブライダルムービーを作る人もいるかもしれません。ですがそれは太宰治レベルの、すごいメンタリティを持った人の話であって、通常は「白歴史」を散りばめたものを作ると思います。「人間失格」のように「クスリにはまって…」「愛人がいて…」ということをブライダルムービーではあまり盛り込みませんよね。

就活・転活の「履歴書(エントリーシート・職務経歴書)」ではどうですか? 取捨選択しませんか。もちろん、「恥の多い人生を送ってきました」と「人間失格」的な履歴書を作る人もいるかもしれません。しかし、「人間失格」のように「クスリにはまって…」「愛人がいて…」ということが履歴書に書かれていたら、まず書類審査で落とされます。

何が言いたいのかというと、「何のために書くのか」「誰に見せるために書くのか」によって、「歴史」はいくらでも取捨選択され、脚色され、その装いを変えるということです。

歴史=history=his storyです。歴史は本質的に「物語」なんです。それは「主観的な」自分史であれば、なおのことです。

もし、誰にも見せたくないのであれば、それでもいいと思います。非公開の自分史でもいいじゃないですか。自分のために書く自分史であれば。

ただし、読者は最低1人はいます。それは「自分」です。

その自分が、過去を向いているのであれば「白歴史100%」の自己満足的な自分史で良いと思います。そうやって自分を鼓舞する自分史も、あってよいと私は思います。ですが、現在と未来に目を向けるのであれば、「黒歴史」とその時点で自分が判断することに対しても、思い出して表現してみることで、自分に対する教訓として活かせるのではないでしょうか。

4、自由な自分史

いかがでしたでしょうか?

自分史だけに絞ったものではありませんが、「歴史そのまま」と「歴史離れ」については、過去に記事を書きましたので、ご参考まで↓。

どうしても主観にとらわれすぎるのは嫌だ、第三者の視点を踏まえて自分史を書きたいという方は、インタビュー形式の口述筆記などもいいかもしれませんね。

歴史を表現することについては、中島敦さんの短編小説「文字禍」も参考になりますので、ぜひどうぞ↓。

先日の記事からの繰り返しの引用(紹介)になりますが、自分史は「書く」だけのものではありません。厳格なルールがある「オセロ」のみならず、自由度の高い「リバーシ」があるように、自分史は本来、自由なものです。ぜひ、こちらの書籍もご参考にお読みください!↓

ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

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