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ゴースト

一回だけゴーストライターのお仕事をさせていただいたことがあります。

厳密には、あるジャンルの大御所評論家先生(分野をいっちゃうとバレますし、その方にもご迷惑かと思うのでご容赦を)に付いて取材に同行し、「構成」というかたちでクレジットに名を連ねました。先生のインプレッションや談話を取りまとめるので、ブックライターと申し上げたほうがいいのかな。著作者名詐称罪にはあたりませんからね、言っとくけど念のため。

当該分野に関して優れた審美眼と深い見識を持ち、著述者としても定評のあったその先生。某雑誌の創刊に際して、本来はご自身が筆を執る予定だったのですが、かなりお年を召していて。編集長判断で、わたしに取材の準備や段取りを任せ、聞き書きをさせるという策が講じられました。記事は連載で1年ほど担当させてもらいましたかね。

そんなお仕事は初めてだったんで、最初の1号2号くらいは戸惑いの連続。先生は独特の語り口や眼差しをお持ちで、過去の記事や著作を拝見すると、その辺が「らしさ」につながっている。いわば文体に近いものがあって、書き手が余計な解釈を入れちゃうと雰囲気をぶち壊してしまいそうでしたので、努めて自然体に、先生の目となり耳となり、ワープロに成り切りました。

取材当日は始終付きっきりのマンツーマン。1回目は出版社の副編集長さんも同行してくれたんですけど、2回目からは「あとは、わたしさんに任せるね〜」と、こなくなっちゃって(苦笑)。若干の置いてかれちゃった感と、知らない人と時間を過ごす居心地の悪さは感じていましたが、一応わたしにもその分野の基礎的な知識はあったので、たいていのお話には食らい付いていくことができたんです。だったからかはわかりませんが、先生は訥々と、丁寧に、事物を見る時の視点の持ちようや、着目するポイントなどを、事あるごとにつぶさに伝授してくださいました。「いつもは何かを見聞しても、それを自問自答するほかなかったからね。こうして会話を重ねながら要点を絞っていけるのが僕は楽しいよ」と。

昔、フランスの革工房を取材した時に、引退間際と思しきご高齢の革細工職人さんがいらして。まだ入りたての職人見習いを手取り足取り導いていたシーンを見かけたことがあるんです。なんというか、まさにそんな感じ。敵愾心むき出しの先輩に噛みつき、クリエイターにリスペクトのないお客さんにもガツンと行っちゃうのがわたしの悪癖ですが、目上の方の話は素直に聞く方だったんでね。大好きな親戚のお爺ちゃんに釣りや山歩きを教えてもらうような感覚で、その時間を楽しんでいました。

先生は移動の際、クルマのハンドルを自ら握るんですが、遠くを見ながらボソボソっと呟くように話す横顔が印象的でした。よく格式の高いホテルのロビーに入ると、自然と無駄なおしゃべりが止むってことがあるじゃないですか。それと似たような感じで、なんだか先生の話についつい聞き入っている自分に気付かされます。一言一言を助手席でノートに書きなぐりながら頷いてましたっけ。こん時だけはなぜか車酔いをすることが一切なく、気分はラリーのコ・ドライバー。道案内のスキルも鍛えられました(笑)。

その上で、気になったところは、あれこれ思考を巡らせ、言葉をチョイスしながらあらためて伺う。わからないことを素直に尋ねる姿勢も大切ですが、話を腰を折らずに先を促しながら拾い上げていく感じですかね。やがて言葉のキャッチボールが生まれ、対象への批評が深まっていく。話し手の思考と同化していく。

どういう風にコミュニケーションを取ったら相互理解が深められるかに加えて、「この人が何を思い、何を伝えようとしているのか」を汲み取る感覚は、この先生とのやりとりで磨いていただいたようなもん。今のわたしの基準の一つになっているかもしれません。いや、確実になっているでしょうね。

ゴーストライターは、誰かの代筆をするという仕事の性質上、ちょっと下に見られたり、報われなかったりするところもあったりしますが、やって損はないと思います。結構勉強になることばかりです。
もし、そんなオファーがあったら、それは書き手としての技量を評価されてのこと。絶対に受けない手はありません。


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