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小説を書きたい

何年か前に実家に帰った時、小学校の卒業文集が出てきました。忘れてたんですが、そこには子どもの頃のわたしの夢が2つ書かれていました。

警察官か物書き。

高校を出て、芸術系の学校に進学した頃にはすっかりそんなことは失念していて、警官を目指す気なんて微塵も起きませんでしたが。図らずも、一応もう一方の「書く仕事」には就けることができたなと。

編集者は、皆さんが思っているほど「編集だけ」で食っていくのは簡単ではありません。大手出版社の編集さんだってちょっとした書き仕事から本格的なライティングまで、やれることはなんでもやります。ましてや独立系の傭兵専門編集者は、ディレクションとライティングをセットでやってなんぼだったりします。
つまりは、編集(仕上がりの想定や段取り)のできるライターさんが重宝されるように、文章センスがある編集者もニーズは高いんです。

ただ、編集という商売は、正直いつまでも続けられるものではありません。
かつての雑誌編集の先輩方がよく仰っていましたが「50を超えたら別の生き方を考えはじめろ」というのが、タバコ休憩の合間に交わされる常套句でした。歳をとると要領はよくなるんですが肝心のセンスが衰えます。体力が落ちてきます。ものづくりへの熱意があっても気力が追いつかなくなっていきます。
だから皆さんかなりの確率で、それまで培った知識と技術を活かして大学・専門学校で教鞭を執ったり、見聞きしてきた知見をもとに何かのお店を開いたり、商売を始めたりします。なかには取材した人物に気に入られ、その人のスポンサードで事業を始められたりする方もいました。

例えば、東南アジアを中心にラグジュアリーリゾートを展開するアマングループの創業者、エイドリアン・ゼッカさんも元編集者です。いろんなモノやコト、ヒトに接していくうちに自然と審美眼が磨かれていく職業ですからね。自分が得意とするフィールドである程度頑張っていれば、コネもできるし、投資してくれる人に出会うこともあるだろうし、時の運さえ味方に付けて、事業家に転身なんてのもよくある話です。

わたしの場合は、やっぱり「物を書く」ことにはこだわりたいかな。
近所に小さなコーヒーショップを開くなんてのも、カミさんと話してる夢の一つではありますが、できれば歳をとってもできる、否、歳をとってることがアドバンテージになりうる書き仕事を続けていきたいと思っています。それをどう組み立て、扱うのか、編集するのは若い人たちに任せるんで。

企業経営者さんや何かの道に秀でたプロフェッショナルな方々へのインタビューを専門領域に据えるのもいいですね。今もチョイチョイやらさせてもらっていますが、こっちも歳を食っているがゆえの蓄積があるんで、取材相手の皆さんの安心感を引き出せそうです。
社会に貢献するという意味では、何かをテーマに事物を追いかけ、ノンフェクションの世界に身を投じるのも憧れます。絶対お金にはならないだろうけどやり甲斐はありそう。

あとは小説をものするのもいい。
実用書の類いなら、知り合いの書籍編集部に企画書を通せば出版できるかもですが、小説家は正攻法で賞にでも応募して評価されない限り難しいでしょう。でもネタはすでにいくつか考えてあります。

実はいま、カミさんともども母の介護に相当まいっていまして。認知症がだいぶ進んでしまっている母に会いにいくたび襲われる陰鬱な気持ちと、それとは対比的な語り尽くせぬかけがえのない思い出がいっぱいあるんです。また、わたしの出生にはやや複雑な経緯がございまして。自分や家族の人生を切り売りすると思うとちと気が引けますが、母と同じく高齢の父の半生と絡めたら、なかなかメッセージ性の濃いストーリーが紡げそうです。大変な現場で働く、介護士さんたちの労苦や葛藤も描きたい。

あとは、若い頃からライフワークのように追いかけてきたとある人物を題材に、歴史小説を綴るという考えも浮かんできます。
わたしは一時期、宮部みゆきさんの作品を貪るように読んでいたことがあるのですが、氏が手掛ける作品のどれかが好きということではなく、時代小説、ミステリー、空想モノと、縦横なジャンルを神懸かり的なプロットと美文で編んでいらっしゃるところにリスペクトを感じました。物語を読むというより、文章を味わわせてもらうというか。ワープロを買ってきて文字入力の練習を始めたら止まらなくなってしまい、できあがった長文をみて気づいたら、それが小説だったという有名なエピソードも素敵ですよね。共感を覚えます。

尤も、いうは易しで、どれもこれもまだかたちをなしていない状態ではありますが。心に余裕がつくれるようになったらしっかり書き上げたい。SFとかファンタジーも書いてみたいなぁ。


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