叔母、ほたえ、走る①
「叔母」と書けば父母の妹であり「伯母」と書けば父母の姉であるという。
ところで両親の姉か妹かの違いは伯母と叔母で書き分けるとしてそれが父の姉・妹なのか、母の姉・妹なのかを分ける言い方があるのかとちょっと調べてはみたけれど、すぐには答えが見つからなかった。
今日は、叔母のことを書こう。つまり両親の妹のことを書くのだね。けれどもこれでは父の妹なのか母の妹なのかは判然としないから、母の妹のこと、と書いてやっと、志穂子のことなのだろうね、と読者は分かる。分からない。分かるわけが、ない。分からなくていいのだ。志穂子は分かられるということを生涯を通じて求めなかった人だから。
※ちなみによその大人の女のことは「小母」と書くそうだ。小母でなく伯母でない叔母=志穂子のこと。
249円。
私の母の妹が死んで見つかったときの最終的な資産の総額である。
人間がひとり20世紀の後半を懸命に生きて最終的に遺した金銭の額、249円。250円でもなく、248円でもなく、きっちり249円というところがいいじゃないか。
志穂子は日本人だった。神戸市に生まれ、神戸市に死んだ。東灘区のどん詰まりにあるまるで嫌がらせのように狭く作られたふざけたアパートの一室で、志穂子は死んでしまった。それはそれは面白い死だった。
阪神の震災で土という土にひびが入り、道がうねり、ビルが燃え崩れ、重力だけが何ら素知らぬ風で吹き荒れていた時に、志穂子はただ木阿弥としての自己を体現するというだけのために、死んだ。
飢えたのだ。
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