さよなら西城さん

5月16日、西城秀樹さんが亡くなった。

日ごろ、芸能人などの訃報に、さほど心を動かされることのない私だが、この報はこたえた。

というのも、西城さんはほかの芸能人にくらべて、ほんの少し、そして一方的にではあるが、私との距離が近かったからだ。

1970年代、わが家の最寄り駅だった中央線・高円寺の駅前に、新星堂というレコード店があった。私が初めて自分でレコードを買った店である。

70年代初頭のある日、買い物の際にだったか、その新星堂の前を通りかかると、そこに一人の背の高い青年が所在なさそうに立っていた。

まだデビュー間もないころだった、西城さん、その人だ。

もちろん、まだテレビで見かけることもほとんどない新人歌手だった頃なので、特に意識することもなかったはずだし、当時この店に歌手がキャンペーンで来店することはそうめずらしくはなかったのだが、それでも私や、一緒にいた母親の印象に「西城秀樹」が残ったのは、やはり当時からそれなり以上のオーラがあったということだったのだろう。

ああ、あの時にサインのひとつももらっておけばよかった。

その後、西城さんは押しも押されぬトップスターになったが、男性アイドル歌手というジャンルは、けっして私の好みではなかった。にもかかわらず、西城さんの歌は何曲か、いまでも歌えたりするのは、この「出会い」があったせいなのか。

それから月日は流れ、私も結婚し、やがて香港映画にはまった1980年代の後半ごろ、西城さんがその香港映画に主演するという「事件」が起きた。

もちろん西城さんは「愛と誠」などの映画やテレビドラマに何度も出演しているが、それらは特に私の好みの映画ではなかった。

だが「天使行動」(1987年)は、私のストライクゾーンど真ん中のアクション映画だった。

日本でも劇場公開された(1989年)ので、もちろん見に行った。

映画そのものはけっして西城さんの主演映画ではなく、ムーン・リー(李賽鳳)演じる女性捜査官が主人公の物語で、西城さんはその上司を演じただけだったが、それでもガンアクションなども披露し、奮闘していた。

その時期、何度も訪れた香港では、レコード店や様々なバラエティショップで、西城さんの現地人気を見せつけられていたものだ。

「天使行動」は香港でもヒットし、シリーズ化されて続編が2本あるが、残念ながら西城さんは出演していない。また、日本ではVHS時代にソフト化されたきりで、現在はDVDもBDも出ていないので、この機にぜひとも発売していただきたいものだ。

その後、私は現在も住んでいる川崎市宮前区の住人となり、父親にもなったのだが、じつは西城さんも同じ区内に住んでいた時期がある。

車で西城さんの邸宅前を通りかかることもしばしばで、何度かそのへんを歩いている姿を見かけたこともあった。お子さんの手を引いて散歩中の姿は、ごく普通の、でもなぜかすぐにそれとわかるオーラを発していた。

私が、地元の川崎フロンターレのサポーターとなり、妻や息子とともにホームの等々力競技場に通うようになったのはその時期からだ。

そして、その等々力で年に一度開催される「市制記念試合」のハーフタイムに西城さんがゲスト出演するようになったのも同じ時期から。嬉しいことだった。

満員の2万人の観客が、西城さんの歌う「ヤングマン」にあわせて「YMCA」を踊るハーフタイムショーは、年に一度のお楽しみだった。

二度目の脳梗塞を起こされた後も、いまから思えば決して楽でないコンディションであっただろうに、このイベントには欠かさず出演したくれたのだ。

こうした演出に、ふつうは冷ややかな態度をとるはずのアウェイ側の観客たちも、けっこう楽しそうに踊らせるあたりは、やはり西城さんの全国区人気ゆえだったのか。

昨年も開催されたこのイベント、西城さんは体調ゆえか、オープンカーに乗ったままで、でも力強く、われわれを煽って、檄を飛ばしてくれた(残念ながら試合は惨敗したが)

まさか、あれが最後になるとは、思っても見なかった。

そんな西城さんの訃報を聞き、なにか遠くの親せきが亡くなったような、一種の喪失感があった。こんなこと、初めてかもしれない。

あらためて、ご冥福をお祈りしたい。そして、ありがとう。

合掌。


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