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しくじり商品研究室:バンダイ・バクシード

商品を企画する際に、ヒットに導くのは難しいのですが、反対に失敗要素を極力減らしていくことなら比較的実行しやすいです。
ここでは、失敗した商品の原因を知ることで、失敗要素を減らす参考になればと思います。
(トップ画像引用元:https://response.jp/article/2004/09/13/63643.html

バンダイ・バクシードの例

玩具大手が出したミニ四駆のライバル

皆さんはミニ四駆はご存じでしょうか?私も小学生のころに、はまっていました。
さて、ミニ四駆はタミヤ模型が製造・販売する自動車型の玩具です。モーターやギア、タイヤといった様々なカスタムパーツで、改造を行い、速さを競います。レースは全国大会も行われています。
1982年の発売から、いわゆる「スタイル」と呼ばれる流行り廃りを繰り返す製品ライフサイクルを送っており、このコロナ禍で第4次ブームを迎え、2021年に累計販売1億8500万台を超えたそうです(ちなみに私は第2次ブーム”レッツ&ゴー”世代です)。
これだけ売れている商品なので、当然のようにフォロワーが登場します。幾多のメーカーがミニ四駆のような商品を出し、ミニ四駆の前に敗れ去りました。
その中で、最もミニ四駆と健闘したのが、バンダイから発売された「バクシード」シリーズでしょう。バンダイという大手が力を入れて発売したものの、残念ながら、ミニ四駆の前に散っていたバクシードを今日は見ていきます。

バクシードの特徴

私自身、バクシードが発売されたころはミニ四駆を卒業していたので、当時の情報調べて分析を行いました。

バクシードは第二次ミニ四駆ブームが去った2004年に発売されています。この時タミヤはミニ四駆から大きく路線を変え、「ダンガンレーサー」といった玩具を出しましたが、不発で不調の時期でした。ミニ四駆が弱くなったタイミングを狙って、発売をしたようです。
さらに、バクシードには本家のミニ四駆にはない、大きな特徴が二つありました。
まず、オンラインで日本中の人と競えたこと。玩具店などに設置された専用コースで車を走らせると、タイムがインターネット上にアップロードされ、オンラインで日本中の人と競えることが新しい点でした。インターネットが広がったのをうまく利用しています。
もう一つの特徴は、バンダイだけでなく、様々な模型メーカーを巻き込んだこと。バンダイはバクシードのプラットフォームを作り、各模型メーカーに共有することで、各模型メーカーがそれぞれ車体や改造パーツを販売できるようにしました。これにより、王者タミヤに並ぶ、豊富な車種のラインナップ、改造パーツの展開を実現しました。
今考えても、なるほど考えたな、と感じてしまうくらい戦略的ですよね。
しかし、そんなバクシードもタミヤには勝てなかったのです。

しくじり要因

①カスタマイズの効果が出にくい

さきほど述べたように、バクシードは様々な模型メーカーを巻き込んでラインナップを揃えています。これは強みでもあるのですが、同時に弱みにもなって、メーカーによるプラスチックの成型精度のばらつきに合わせて、あまり精密な部品は作れなかったようです。その結果、ボディやシャーシといった部品が重くなり、ミニ四駆のようにちょっと部品を変えるだけでは速くならなかったそうです。ユーザーである子供からすると、せっかくのお小遣いで買ったパーツで効果を感じにくいので、面白くないでしょう。
また、極端な話ですが、オンラインでつながっているのであれば、課金してマシンを速くしドヤるといったことで、パーツ購入を促す機会も作れたと思いますが、パーツの効果が薄ければこれらの売上も上がりにくなります。
タミヤはラジコンなどスピードが出る模型のノウハウもあるので、強度を持たせながらも軽量にするといったことができたのは想像に難くありません。

②知名度が上がらなかった

私は第二次ブーム”レッツ&ゴー”世代ですが、この”レッツ&ゴー”というのは、「爆走兄弟レッツ&ゴー」というミニ四駆の漫画タイトルから来ています。「コロコロコミック」で連載され、最盛期にはテレビアニメも放送されていました。タミヤのミニ四駆のブームは、歴史的に見てもダッシュ四駆郎、レッツ&ゴー、MINI4KINGといった漫画・アニメとセットになっています。これらの漫画は今も発刊されている「コロコロコミック」が伝統になっています。商品の販促を漫画やアニメで行っているのです。
それに対して、バクシードはテレビでのタイアップはできなかったようです。漫画は角川の「ケロケロエース」で展開をしていましたが、部数が伸びなかったようで、2007年の発刊から約6年で休刊になっています。また、バクシードの発売が2004年だったので、発売と同時の販促ができなかったということになります。
確かに、ミニ四駆の弱っていた時期に商品を出していたものの、効果的な販促を行うことができず、ミニ四駆ほど知名度を上げることができませんでした。

③複数社では魅力的なビジネスになりにくかった

ここまでの考察はネットから調べた内容でも行き着くのですが、3番目の要因はほとんど述べられていません。
先述の通り、タミヤのミニ四駆は1982年~2021年で累計販売1億8500台を達成しています。単純計算で、1年あたり約474万台です。当時ミニ四駆の価格がおおよそ600円でした。少し高めに見て1台を1,000円とすると年間売上約47億円となります。改造パーツの売り上げもありますし、年度によるばらつきもあると思いますが、それでも年間売上100億が良いところではないでしょうか。
当時のタミヤの売上がわからなかったのですが、2021年の売上は139億ほどのようです。年間売り上げで50億もあれば、十分にひとつの事業として成り立つでしょう。
ところが、バクシードの場合は、複数の企業で一つの市場を分け合っています。調べただけでも、アオシマ、GSIクレオス、京商、WAVE、ミツワモデルなど5社ほどの名前が出てきます。バンダイと合わせると最低でも6社で分け合っているので、タミヤに対して一社当たりの売上は1/6程度、仮に100億円の市場規模でも約16億円ということになります。
模型業界ではタミヤと共に有名な京商は、全盛期売上が150億ほどあったそうです。その中での16億円というと10%程度です。ここまで数字は仮説ですが、あまりビジネスとして大きくありません。
また、ミニ四駆のブームもジャパンカップ参加者の推移を調べると、第二次ブームをピークに、第三次、第四次と小さくなっているようです。
協力メーカーがだんだんと注力しなくなることもあったようですが、その背景には、実はミニ四駆の市場がイメージほど大きくなかったこともあったのではないかと思います。特徴でもあった、複数企業による展開が、裏目に出てしまったわけです。

タミヤの逆襲

さて、一時は盛り上がりを見せたバクシードも発売から5年後の2009年にはその展開を終了します。
バクシードを見て、タミヤはシャーシ構造をバクシードに似せたミニ四駆PROを2005年に発売しています。相手を無効化する、リーダーの戦略です。
さらに、新しいミニ四駆だけでなく、かつてのミニ四駆をリバイバルして販売しました。これによって、私のような以前ミニ四駆で遊んだ大人にもユーザーを広げ、親子でそれぞれの世代のミニ四駆を楽しむといった遊び方も実現しました。こちらも、市場の拡大であり、リーダーの戦略です。
確かに、第2次ブーム後、タミヤは不調になりましたが、ミニ四駆の持つ歴史という強みを活用し、すぐに反撃に出ています。同じような商品を出すだけでなく、ユーザーを広げたあたりも、タミヤの方が一枚上手だったのかなと思わされます。

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