死に対する世代間ギャップ by若者 ー『若者たちに死を選ばせない』を見てー


先日のNHKスペシャル、『若者たちに死を選ばせない』を母と見ました。
これまでもたびたび感じていたけれど、見ているときの反応が全然違って面白い(interesting)なと思ったので、掘り下げてみました。

番組はこちら(ログインが必要のようです)⇒


記事を書いた当時の年齢 19歳
(もう、学生たちと同世代とは言えないのかもしれない。。。)

作者の超簡単な来歴

中3、自律神経が整わなくなる「起立性調節障害」の診断。
高2、上記の持病で週2程しか学校に通えなくなる。遅刻常連に。
   (それまでは遅刻なしほぼ皆勤賞)
高3に上がる時に、学校をやめる。
大学1年、オールオンライン。
(友達できないし、めちゃくちゃ体力使いました。)

現在大学休学中。

気持ち(鬱)は、「診断を仰げば出そうだな」と思った時期もあったけれど、受診してないのでメンタルの病気や診断はありません。

リアクションの違い

放送を見ながら、若者たちの言葉を聞きながら、母は驚いたり、悲しんだりしていました。番組内の大人も、涙ぐんでいました。
だけど私は、「そうだよな」「わかる」と思う気持ちが大きかったです。

みんなが死んでしまって悲しいって思いもあるけれど、でもやっぱり、その気持ちがなんとなく染み入ってくる。「辛かったんだな」「きつかったんだな」って、そう思う気持ちの方が先にありました。

母を含め多くの大人の人たちは多分、誰かが「死にたい」と言うのは、相当に大きな出来事だと思っていると思います。(もしくは、気を引こうとしてるだけだろ、と思うか。)
もちろんそれは小さな出来事ではありませんが、私は、若者の半数くらいは「死にたい」と思ったことがあるのではないかと思っています。
(病むことがファッションになっている節も否めないということも思いつつ。でも、思いがないとファッションにしようとすら思いませんから。)


若者の半数くらいは、「死にたい」と思ったことがあるんじゃないか

理由は、「ネットを見てると」とか、「周りの人を見ていて」とか、そうした小さなものです。死にたいの「し」の字もない人もいるってこと知っています。

ですが、例えば、テレビでもよく放送されていた「夜に駆ける」。
ご存じない方も多いかと思いますが、あれは自殺をテーマにした曲です。(私はあの曲を、心中の曲ではないと言いたいタイプです。)

簡略化してお伝えすると、


彼女「死にたい」
⇒彼氏、元気づけようと頑張る
⇒彼氏も死にたくなる
⇒彼氏「死にたい」
⇒彼女「(笑顔)」
⇒夜に駆けだす(映像を見ればわかると思います)

といったストーリーです。
(原作に忠実なのかは未読のため分かりませんが、『タナトスの誘惑』という、小説サイトに投稿された作品をもとに作られた曲です。)

これを知った時はさすがに、私も心が騒ぎました。私は自殺を推したい人間ではないので。
けれど、その意味を知ってか知らずか、この曲は爆発的な人気を誇りました。2021年6月14日時点で再生回数約2億3千万。
(この曲の意味を教えぬまま放送したテレビに、私は抗議したい気持ちを持っていたりします。
このストーリーの曲を子どもが無邪気に歌っていると思うと、嫌だなと思うのです。)


実はネット上では、ここまであからさまではないにしろ、死に関する曲や作品はあふれかえっています。そして、人気を集めています。

だからやっぱり、今を生きる若者たちは、少なくとも1度くらいは「死にたい」と思ったことがあるんじゃないかと思うのです。
本人が感じる「重さ」には、ピンからキリまであっても、きっと、息をするように、そうした言葉がわいてくる。
そして、卵が先か鶏が先か、そうした動画を見ることで自分の気持ちに気が付くんだと思うのです。
(曲に影響されている可能性というのは、専門家ではないのでわかりません。でも、気持ちがないと聞こうとしないでしょうし、やっぱり最初にはそうした気持ちがあるのかなと。)

SNSの流行や経済などで人々の心が暗くなっているのか、もともとそうした人たちがいて表に出るようになってきたのか、それはわかりません。
そうした動画が作られているということを考えると、「死にたい」という気持ちは、今の20代後半~30代の世代から受け継がれたようなものでもあるかもしれませんね。そうした音楽や動画、作品を作っているのはそれくらいの年齢の人たちですから。たぶん。

まあ、泉谷しげるさんの「白雪姫の毒リンゴ」は1992年に発売されているようですが。(…不景気、ですかねえ。)
昔の小説なり音楽でもそれなりに、隠された「死」というワードは出てきますが。
V系とかパンクロックとか、大雑把に言えばみんな病んでますが。大雑把に言えば。
…そうしたオブラートやすみ分け意識が現代では薄くなってきている、ともいえるかもしれませんね。


…研究チックなことは置いておいて、いくつか曲の例をあげておきます。
以下の曲の再生回数とかコメント欄を見たりすると、今の日本の現状とか若者が考えていることがよくわかると思います。

でも多分、最初聞いたときは歌詞の意味をあまり考えていなくって、辛い時に聞いてみたら「そうだったのか」って気づいたって子も多いと思います。
あんまり重たく考えないでね。でも真剣に受け止めてね。
こういう曲を日常的に聞くんです。

音楽

まずは、『ハロ/ハワユ』
こちらは多分、小学生に人気の曲です。というか、私が小学生の時に流行っていました(ネット上で)。
「学校 行きたくない」のまんま。
「プロセカ」というボーカロイドのリズムゲームに収録されています。それくらい人気の曲なんです。


2つ目、『自傷無色』
こちらの曲も「プロセカ」に収録されています。
ちなみに、歌っている「25時、ナイトコードで。」というグループのキャラクターも、なかなかに現代の子の気持ちを反映していると思います。
多分推してる子多いと思う。


3つ目、『ノンブレス・オブリージュ』
圧倒ソングです。聞けばわかる。


4つ目、『ニナ』
3つ目の『ノンブレス・オブリージュ』と同じ方の作られた曲です。こんな感じの気分の時も、ある。


5つ目、『再教育』
この方、neruさんの曲はどれも、結構な強烈ソングになっています。音楽ってすごい。
困ったときには『脱法ロック』でも聞いておいてください。
脱法ロック好きな人は、クリープハイプの『愛す』も聞いといてください。


6つ目、『命に嫌われている』
私はあんまり知らないんですけど、人気なので乗せておきます。
こちらも「プロセカ」収録曲。


7つ目、『わたしのアール』
アールは理科で言う「抵抗」らしいです(非公式見解?)。


ちょっと私の好みが入ってますが(笑)、まだまだお伝えしたい曲はたくさんあります。次の記事はそれにしようと思います。

逆に、現状を踏まえつつの前向きソングも置いておきますね。



ボカロ以外も少しだけ。
amazarashiの『夏を待ってました』


「それでも世界が続くなら」の『響かない部屋』
「それせか」さんは寄り添いソング&ツイッター&ライブをやる方たちです。
こちらは「学校 行けない」ですかね。
学校に週2通いだった時に、「自分じゃん!」と思ってました。


最後、満を持してのRADWIMPS。
RADWIMPSは愛から恋から甘々から鬱々まで様々網羅してます。
ちょっと攻撃的な曲も多いので、敏感な方と宗教を持っている方は他の曲を見る際、注意して下さい。
この『狭心症』も、結構心に刺さる映像&曲なのでご注意を。


たくさんは思いつかなかったのですが、2つだけ。

1.『十代に共感する奴はみんな嘘つき』 最果タヒ
人気の現代詩人の方が書かれた小説です。
短くて読みやすいですが、語り口調が独特なので普通の小説だと思って読むと面食らうかもしれません。主人公の独り言のような感じです。
ちなみに、「タヒ」はネットスラングの「死」とは関係ないそうです。全く意味を持たない名前にしたかったそうな。

2.『いなくなれ群青』 河野裕
シリーズものらしいです。私は知らずに読んだので、この巻で完結でいいと今のところ思っています。
入り込んで読まなきゃダメです。斜に読んだらちょっとむずがゆくなるかもしれない。映画化もしたようです。

漫画

これだ!というものは思いつきませんでしたが、この漫画が普通に流行るというのは大人からするとびっくりなのかな?と、思ったものを。

『幸色のワンルーム』 はくり
誘拐犯と誘拐された女の子が幸せに暮らす話です。
とはいえそれなりに重たいので注意。ドラマ化したらしい。



おすすめ

1.『10代から身につけたい ギリギリな自分を助ける方法』 井上 祐紀

2.『鈍感な世界に生きる 敏感な人たち』 イルセ・サン


理由(?)

理由は人それぞれなので、私にはひとりひとりそれぞれの理由はわかりません。
無力感、閉塞感、将来、いじめ、虐待、体育、居場所がない、自分が出せない、自分が愛せない、勉強に追いつけない、友達がいない、etc.、etc.。
でもやっぱり、学校とSNSは大きいと思います。あとはゲーム。もちろん家もですが。

あと、なぜかみんな無意識に、辛いことを隠してしまう癖もついていると思います。頑張っちゃう。
それでなおさら、辛くなってしまうと。

学校
学校に関しては今後色々と書いていく予定ですが、本当に、本当に、学校に行きたいと強く思っている子はあんまりいません、多分。(好きな子はごめんね)
行きたい理由は例えば、「友達がいるから」とか、「受験で有利だから」とか、そんな感じです。
私は、通っていた学校自体は好きで、行くのは嫌いでした。表現が難しい。

行きたくない理由っていうのは言葉にするのが難しいことも多いと思います。私もいまだに、嫌いだった理由を一つだけ上げるっていうのは難しいです。
だけどひとつわかることは、
『学校は厳しすぎる!』

ということです。

あと、『いじめ、メンタル関係の対応がひどいことが多い』。

課題しかり、態度しかり、集会しかり。
現状は、真面目な子ほど割を食っています。無駄な時間もたくさんある。

私は成績が優秀なほうでしたが、今では「どうしてあんなに頑張っていたんだろう」とか「よく頑張ったな」とか思っています。
あの小さな世界の中で友達を見つけて、自分を見つけて、夢を見つけて。
SNSでは幸せなそうな人とか、すごい人とかをたくさん見て。
子どもたちはほんとに、本当に、たくさん頑張ってると思います。

学校教育、根本を言ってしまえば社会の制度をもですが、早急に改善しないといけないと思います。私も頑張ります。

SNS、ゲーム
SNSについては皆さんご存じのとおりです。
ゲームに関しては、「課金しないと仲間はずれ」といったことも起きているようなので。

私は飽き性かつ、えり好みが激しいので、現代の「推し命!」「ゲームガチ勢!」「流行最先端!」みたいな空気は合わなくって(周りが楽しく話しているだけなら気にしませんが)、そうした居心地の悪さを感じている子もいるかもしれません。
趣味や好みを強要する、合わないと仲間外れ、というのは大人同士であっても起こりうると思うので。

いじめは結構陰湿化していて、
さらに子どもは「他のいじめられた子」のこともネット上で知っていたりします。
そのため、「これくらいはいじめの内に入らない」「学校社会ってそういうもの」と思って、大事に考えなかったりしていると思います。
防衛意識も合わさってね。

おまけ テレビの報道について

私は想像力が豊かなタイプなので、方法だとか場所だとかを報道されると映像として浮かんできて、ずーっと頭の隅にいるタイプなので、そういうのはやめてあげたほうがいいと思います。トラウマになりかねない。
(私はそれを、その人を憶えるために用いているので、ずーっときつくなるというわけではありませんが。)
(だけど、「自殺」という文字だけでも気持ちがウッとなります。それくらい強い言葉だという意味です。「自死」でもなんでも。)

あと、「方法を提示しちゃうのでは」っていうことをいっつも考えています。
刑事ドラマなり自殺の報道なり、それを見たことで方法を知るっていうことが、大いにあると思うんです。
実行しようとしている人は方法を調べたりするでしょうが、そうではない人たちまで、そうした報道や文章を見て想像をすることができてしまう。
そして多分、ふとした拍子にそれがフラッシュバックして、行動に移してしまうということもあると思うのです。

まとめ

以上、色々述べてきましたが、言いたいことは「大人が思っているよりも、死は子どもの側にあるよ」ということです。

ゲームで生き延びている命、推しで生き延びている命、ギリギリ耐えている命。

普段何も言わずに学校に行ってる子が「行きたくない」と言ったら、それはめちゃくちゃふり絞った勇気だし、めちゃくちゃでっかい罪悪感と、怒られるかもしれない不安、否定される不安を抱えながら、親の許しを待っている状態なんです。(私は小~高の間、1度も言えませんでした。)

前ならえをきちんとやらなくても、シャトルランの記録が30回でも、校長の話を真面目に聞かなくても、何回遅刻しようとも、未来に何の影響もありません。
たとえ受験のためだったとしても、それで死んじゃったら本末転倒だもん。
楽しく生きるために、例えば、いいところに行くんだよ。
いいところに行かなくても生きていけるしね。
本来の「生きる」ってそういうことだよ。家庭菜園でもしよう、うん。

学校だけじゃなく、家とかSNSとか、誰かに言えないような事情を持った子もたくさんいると思います。
とにかくみんな頑張ってるので、休んでください。
学生でも大人でもなんでも、休んでください。

居場所は絶対どこかにあるし、ネット上で探すこともできるし、可能性は無限大です。
「今」が全然すべてじゃない。

私に何ができるのか、まだ模索中だけれど頑張るので。
いつか居場所も絶対作るので。勉強も教えてあげたいなあ。


…収束させるのが苦手なので、こんなところで。
とにかく、「若者は『死』の側にいること」「みんな休むこと」
これだけ覚えてくれれば嬉しいです!!


中園ひと

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