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オリンピックの素敵な部分を見るにつれて、悲しくなってきてしまった

始まりましたねぇ、オリンピック。


元々スポーツ観戦にあまり興味がないので、オリンピックというイベントは、コロナ禍かどうかに関わらずそこまで楽しみな訳ではなかった。
今年はそれに加えてのコロナ禍や、付随したりしなかったりの色んな問題点が浮き彫りにされていたものだから、まぁ正直「中止とまでは言わずとも、延期にした方がいいのでは……」と思っていた組だ。
今もちょっと思っていない訳ではないのだけれど、まぁ始まってしまったからにはもうここから中止だ延期だと言うのも野暮だと思うし、うまく感染症対策をしながらみんな楽しんでくれとは思う。

そう、興味が薄いから、ある程度距離を置いて様子見をしていたところがある。生活に影響はあるけれど、半分他人事だったと言っていい。、


そんな私が、まず最初に打ちのめされたのは、Googleの試みだ。


Google社はイベント毎に期間限定のトップ画像を用意することで有名だけれど、昨日のそれは力の入れ方がとんでもなかった。
まず、ヘッダーの画像が用意されていて、クリックするとそこからミニアニメが始まる。ひとしきりアニメが終わると、そのままゲームがスタート。
ゲームも複数用意されている。長そうなので途中で私は遊ぶのを止めてしまったのだけれど、コロナ禍で外に出づらい人々がおうちで気軽に楽しめるという点でまず素晴らしい。
PC専用なのかと思ったらスマホでも開けたし、開会式が終わった今日もまだ遊べる仕様になってたので、気になる人は冒頭だけでも開いてみるといいと思う(ご丁寧にも、昨日遊んだところまで勝手にセーブされていた)。ゲーム内容も卓球などのスポーツゲームだったり、モチーフが『和』だったり、何をイメージしてこれを作ったのかが明白な仕様になっている。今時ドット絵なのもポイント高い。これ作るのにどれだけ(時間もお金も)かけたんだろう。流石すぎる。

そんで、開会式。
私は娘の寝かしつけがあったので全然見られなかったんだけど、Twitterとかの様子を見てると色々と楽しい仕掛けが沢山あって、良い式だったのが伝わってきた。ゲーム音楽や漫画的なプラカードがこういう世界的な式典に使われるようになったなんて、と感動されてる方がいた。確かに、20年前だったら有り得なかったよなぁ。
ピクトくんのパフォーマンスも、ドローンで作り上げた地球も、とても素敵だった。


あぁ、そうだよなぁ。
こうやって、日頃興味がない私みたいな人間でも「おっ!」と思わせるような、色んな仕掛けがあって。企業がパフォーマンスに乗っかってきて、SNSがワイワイ賑わって。お祭り。そう、お祭りなんだよ、オリンピックって。その中で、頑張る選手たちのストーリーとか感動があって。
本来、そういうものなんだよなって、急に目の前に叩きつけられた。


だから本来は、
水泳の場が下水の匂いがするひどい場所だとか(結局あれは改善されたんだろうか。なんかシジミを撒くとか言ってた気がするけどちゃんとした改善はされたんだろうか……)、
暑さ対策で水撒きだのアサガオだのといった話になって呆れたりとか、
そのアサガオも小学生から集めたのに枯らしたとか、
選手村の待遇が酷いだとか(でもそれも捏造報道だったとか)、
バッハがこう言ったあぁ言ったとか、
税金がーとか中抜きがーとか、
アベがーとかスガがーとか、
結局コロナがーとか、


違うんだよな、そういうイベントじゃなかったんだよなぁって、なんか急に思い出してしまって。
みんなが絶賛していた開会式のパフォーマンスだって、前日で解任された小林さんの案が絶対そのまま使われてるでしょって言われてて。じゃあクレジットから名前を消された小林さんはなんなんだろう。実際のところは分からないけれど、私もたった1日であんな凄いパフォーマンスを思いついたり準備したりは出来ないと思う。解任するべきだったかの議論はここではしないけど、結局使うんだったらちゃんとクレジットを残すべきだし、お金も払ってほしい。それを切り捨てたくせに都合よく使ったんだろうなと思ってしまうと、素直に楽しみづらい。
そもそも、沢山の人が楽しみにしていたんだと示唆するかのような観客の混雑を、(うわー密だ……)と思いながら眺めたくなんてなかった。
オリンピックは開催するのにうちの子の保育参観は中止なんだよなとか、そんなこと思いたくなかった。

こんなに、こんなに素敵で良いもののはずで。
でも今私は、そのことに気づいてしまっただけに、「素敵なもの『の、はずなのに』」と思ってしまって、素直に楽しみきることができない。
かなしい。かなしい。
「日本が、世界がコロナに打ち勝った証としてオリンピックを」みたいな言い方を誰か政治家が言ってたはずだけど、何をもって打ち勝ったとしているんだろう。沢山の人の犠牲を踏み台にして、見なかったことにして「勝った」なんて言わないでほしい。かなしい。
開会式の当日にすら「#五輪やめて命まもれ」なんてタグがトレンド入りするオリンピックの、何が勝ちなんだろう。



業火リレーだの蠱毒だの、まぁ今回のオリンピックは散々な言われようだ。
でも、始まった。もう始まってしまった。
そしたら「やめろ」はもう届かないと思うし、現地で頑張ってる人たちにも失礼だから、私はもうそれは言いたくない。やるならやりきれ。頑張ってくれ。頑張ってくれてる選手やスタッフや、色んな人たちにだってこの悪評はしっかり届いてしまっているだろうけれど、その中で少しでも良いものとして終わらせようと努力している人たちに石を投げるような真似はしたくない。

私は多分、オリンピックの最終日に「なんだかんだ良かったね」とは言えないんだけど。どうかこれ以上、無意味に「またか」と言われる案件が増えないように、それだけを祈っている。

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