お米

書くことのリハビリ。書き続けたい。

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最近の記事

時代から取り残されるのはフェミニストの方なのではないか?

献血ポスター問題からずーーーーーーっと、考えていた。 現状のフェミニストの方々に対しての疑問がどうしても消えなかった。 「この人たちは何でこんなに偉そうに物を語るんだろう?」という気持ちだ。 女性の権利を男性と平等にする。 言っていることは至極まともで当たり前なことなのに、消えないこの不快感はなんだろう。モヤモヤした気持ちを抱えながら日々を過ごしていた。 そんな時に、#私たちのフェミニズムという題で始まったハフポストの連載が始まった。その第一回に西村博之(ひろゆき)さんの対

    • 傲慢なフェミニストが宇崎ちゃんを搾取する

      過去に二回、宇崎ちゃんと献血ポスター問題を書いた。 今回、第二回のコラボが開催されたからまた書きたいと思うけれども、僕は今回の騒動でフェミニストと呼ばれる人たちに対して、不信感を持った。 先に書いておくが、僕はフェミニズムは必要だと思っている人間だし、活動すること自体はなくてはならないと思う。 しかしながら、その活動の態度については疑問に思うところがある。 僕の主張は前から変わっておらず、前の記事を読んでもらえればわかる。 今回の献血コラボについて今回、第二弾が発表さ

      • 愛が無ければ全てはなんの意味も持たない

        最近、教会にずっと行ってるから久方ぶりにキリスト教じみた話をしたくなる。 僕が一番好きな聖書の言葉がある。 「たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、私に何の益もない

        • 不倫を鬼の目のように叩く人たちにキリスト教で生きてきた人間からの一言。少しばかり宗教じみた話。

          芸能人が不倫をすると、鬼の首を取ったように叩く人が増える。 どこぞの殺人事件よりも、声を荒げる人が多くなる。 やはり、愛を裏切る行為は古今東西を問わずタブーとして受け止められるのだろうと思う。これが心からの声なのか、ただ憂さ晴らしなのかは知らないが加熱し過ぎていると思うし、違和感を感じる。 変な話だけれども、キリスト教の世界では婚姻外の性交渉は駄目だ。 結婚前にセックスをするなんて、とんでもない話になる。 不倫や浮気と同じように、結婚前にセックスをすること自体がタブーになる

        時代から取り残されるのはフェミニストの方なのではないか?

        • 傲慢なフェミニストが宇崎ちゃんを搾取する

        • 愛が無ければ全てはなんの意味も持たない

        • 不倫を鬼の目のように叩く人たちにキリスト教で生きてきた人間からの一言。少しばかり宗教じみた話。

          二次創作は強姦なのか?

          二次創作を巡る二つのツイート最近、二次創作についての意見をTwitterで目にしたので色々と考えたり調べたりしてみた。 下の2つのツイートはとても興味深かった。 さて、全く正反対の意見の時には法律から見るのか一番だ!ということで、二次創作に関わる法律について調べてみた。 表現の自由オタク界隈の中には表現の自由を基に二次創作するのも自由!と言う人もいるらしい。しかしながら、思想のために街中で裸で踊るのが許されないように二次創作を規制する法律はある。 著作権そう、著作権があ

          二次創作は強姦なのか?

          どうだ明るくなったろう(前澤氏のキャンペーンについて)

          新年、明けましておめでとうございます。 みっともない話だよ本当に。美しくない。 もう少し明るい話だとか新年の豊富だとかを書きたかった。 しかしながら、Twitterを開くとフォロワーがリツイートしていることで、前澤氏がまた100万円をばらまくキャンペーンを開始していることを知ってしまった。 だから、もう寝たいのにこのnoteを更新する。僕がnoteを書き始めたきっかけもこのキャンペーンだった。 別に誰に読まれるわけでもないだろうけれども、いつかのために僕が僕のためにこの記事

          どうだ明るくなったろう(前澤氏のキャンペーンについて)

          メリークリスマスを素直に言える幸せ

          メリークリスマス 今日が本当のクリスマスです。 クリスマスイブは前夜祭みたいなもので、今日が本番ですよみなさん。 さて、僕はクリスチャンなんでクリスマスは宗教行事なのですが、日本では恋人が過ごす日として定着しているので「クリぼっち」みたいな言葉が流行る羽目になります。 いやね、キリスト教は基本的に未婚のセックスについてはそんなにいい顔をしないので、性の6時間とかあること自体が「なしたん??」となるわけですクリスチャンは。 これがどれくらい違和感かというと、ダーリンは外国人

          メリークリスマスを素直に言える幸せ

          伊藤詩織さんはDRD(デートレイプドラッグ)を飲まされたのか。

          伊藤詩織さんが勝訴した。とても、嬉しい。 この判決について日本の司法はまだ腐ってはいないのではないかと思える出来事だった。三権分立やら第四の権力だなんてものが幻と思えていたが、司法の独立性があることを僕は喜んだ。 この事件についてはにわかに過ぎないが、Hanada プラスに掲載されていた山口敬之氏の手記を読んで、吐き気を催すほどの憤りを感じていた。 山口敬之氏は性的合意があったと言う。しかし、それを証明しようと伊藤詩織さんの失態(本当がどうかも証明できず、あくまでも氏が語るだ

          伊藤詩織さんはDRD(デートレイプドラッグ)を飲まされたのか。

          過去は決して消えない(未来は誰にもわからない)

          最近になって、よく思うのが未来はまるでわからないと言うことだ。 僕の最近は、とても奇天烈で大学生の時に思っていた未来とはまるで違っていて、個人の未来でさえこんなにも予想外なものになるということを痛感している。 でも、この世の中かには個人の何某が集まったグループダイナミクスを大胆に言い切る人間が多くて驚いてしまう。 何を言いたいかわからないかと思うけれども、要は未来は誰にもわからないと言うことだけだ。 未来について、大胆な予想をする人が多くいる。 その中の誰かはある事象につい

          過去は決して消えない(未来は誰にもわからない)

          生産性という地獄のような呪いについて

          しばらく僕はこの言葉について何回も同じようなことを書くと思う。 生産性という地獄のような呪いについて、何度でも警鐘を鳴らしたいからだ。 僕たちが生きている世界はだいぶ昔から比べると、とても発展した。食料が溢れているし、医学は発展して助からない命が助かるようになった。日本では人生100年時代なんて言っている、とても素晴らしいことだと思う。 先人たちが紡いできた叡智が実を結んで、どれだけのほほんと過ごしていてもその恩恵を受けれるぐらいに社会システムを発展させてきた。 なのに、僕

          生産性という地獄のような呪いについて

          役に立たない才能について

          ここ数日で自分の才能について、改めて思うことがあった。 僕はプレゼンテーターとしての才能はあるらしい。 社外の人が集まるグループワークみたいなものがあって、発表者に選ばれた。 結果としてはとても評判で主催の人間からも、会の広報で使おうかなと言われたぐらいだった。 ただ、その才能は役に立たない。 プレゼンテーションがどれだけ上手くても実績がついてこなければ最終的に人は聞かない。逆を言えば、プレゼン技術なんてものはおまけみたいなもので、付加価値的な扱いを受ける。 プレゼンテータ

          役に立たない才能について

          僕や君ではなく社会が間違っているという言葉

          「生きてるだけで丸儲け」と明石家さんまが言った。 とても好きな言葉で励まされた人も多いと思う。 なのに、僕たちの世界では生産性という地獄のような呪いの言葉で満ち溢れている。年間に何百万、何千万稼いだことがステータスになっている。 低賃金の人間に発言権はあって、その言葉に誰かが応えてくれるのか。同じ言葉を使っても誰が話したかで変わる。虎の威を借る狐なんて言うけれども、誰もが金の威を借りる。 本当は優しさや愛だとかそういった言葉や気持ちは、生産性という地獄のような呪いから遠く離

          僕や君ではなく社会が間違っているという言葉

          しりひとみさんのOL酒場行ってきた。 楽しかった。

          しりひとみさんのOL酒場行ってきた。 楽しかった。

          宇崎ちゃん問題から正義と愛を考える

          とても高尚なタイトルになってしまった。 献血ポスター問題について、先日久しぶりにnoteを書いた。その時には献血ポスターの問題は世代間によるエロ文化の違いも起因しているのではないかと論じたが、どうやらそれだけでは不十分のようだ。 この問題は性的な要素(エロいかエロくないか)だけではなく、やはり人権だとかフェミニズムの問題が絡んでおり、要因を一つに絞ることは難しいと感じる。ただ、この問題から二つのことを考えさせられることが出来るのでせっかくだから書いておきたい。 宇崎ちゃん

          宇崎ちゃん問題から正義と愛を考える

          世代間で違うエロ文化と献血ポスター問題について

          頑張ってnoteを書くぞい さてさて、宇崎ちゃんの献血ポスター問題が意外と長続きをしている。 キズナアイの時にも思ったけれども、この手の問題は批判派と擁護派で意見が対立することが多い。 問題の発端になったツイートはこれだったと思う。 環境型セクハラ あまり、聞いたことはなかったが意味を調べてみると、なるほどと思う。 言われてみれば、ビールの水着ポスターもとんと見なくなった。 この時代にそぐわないと言われても確かにだ。フェミニズムも市民権を獲得しているこの時代には確かにそう

          世代間で違うエロ文化と献血ポスター問題について

          目の見えない人にどうやってITの進化を感じてもらうんだい?(もしくは難聴者が外に出歩くのに不自由を感じなくなったのか)

          思い付きで、重い気付きの記事なんだけど案外当たり前の話だと思うんだ。 僕たちは目が見えて、耳が聞こえる。 今現在もyoutubeを聴きながら、こうやって駄文を書き連ねている。 まあ、目が見えなければそんなことは不可能だ。 酒が切れたからといって、気軽に外に行くわけにもいかない。 知っているかい? 僕の近所に信号は夜になると音が鳴らなくなるんだぜ。 昼間は、カッコウッカッコウ鳴いている信号がピタッっと無音になるんだ。 目の見えない人の世界はそこにはない。僕たちの世界しかないんだ

          目の見えない人にどうやってITの進化を感じてもらうんだい?(もしくは難聴者が外に出歩くのに不自由を感じなくなったのか)