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転勤と伝統の話

僕は会社員だから転勤を命じられたことがある。
それを断ってからは出世コースを離れたけれども、今でも正しい決断だったと思う。
よく調べてみたら本当なら日本の社会には転勤を断る権利はないとのことだ。
恐ろしいことだと思う。個人が自分で済む場所を選ぶ権利が無いことが当たり前だからだ。

あまり、海外の例を例えに出したくは無いが確かドイツあたりは普通に転勤を断るらしい(本当か?)。
ただ、欧州に見る地元を守ろうとする文化を見ているとそれも本当なのかと思う

僕は転勤を断ってから改めて地元の街を見渡してみた。
古くからあるコミュニティの人間はどんどん老いていっている。祭りの実行委員会に若い人が少ない。シャッターが閉まりっぱなしの店も多い。
政令指定都市でこの有様なら他の地域はもっとひどいところがあるのだろう。

なんだって、この有様なんだと考えてみると改めてこの転勤制度なんだと思う。
転勤を命じる会社は色々なところに支社支店がある会社だ。そこにいる人たちは恐らく大卒で優秀な人たちも数多くいるのだろう。
そんな人たちが、数年単位で一箇所に定住せずに転々としていく。
核家族になるのも当たり前だ。一生に住みたくても、会社と社会がそれを許してくれないのだから。

少子化の原因の一つにもなっている。
昔は子沢山でもおじいちゃんやおばあちゃんが助けてくれた。金銭的にも人出的にも。それを奪われてどうやって誰かの助けを借りろと言うのだろう。
地域のコミュニティに助けてもらうこともできない。転勤してきた人は新参者なんだから。
一人育てるので精一杯だよ。

伝統も失われる。
人が伝えなければ伝統なんてものはすぐになくなるのだから。
既に祭りは形骸化した。七五三やその他諸々の行事も形だけになる。地域の寺や神社は消え失せていくだろうから。
年寄りが減り始める時期は、地域の古くからある伝統が死ぬ時期と同じだ。
資本主義を否定するわけじゃ無い。より良い資本主義を目指さなくてはいけない時期が来ていると思う。

幼馴染たちはみんな地元を離れていってしまった。
正月の時にすら集まれない。
ただ残っている僕を年寄りは希望の象徴かのように見る。
そんな人たちに僕は半年後にはわからないですけどね、と言う。
こんな悲しい話があるかよと思う。

景気が良くなりました。
働き方が変わりました。
イノベーションの時代です。
そんな言葉が薄ら寒く聞こえるのは、そんなこと言う人たちは結局みんな都心部に住んでるからだ。
生まれ育った土地を捨てているからだ。
きっと、いつかは僕もその一人になるのだろう。
そうやって、僕が生まれ住んだ土地はより一層地域のコミュニティが薄くなるのだろう。

悲しい話だ。

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