宗教を「善い」「悪い」にカテゴライズするのは意味が無く「規模」で集団は暴走する。

こんにちは。宗教関連で昔書いた「あなたにとって宗教とはなんですか?」の記事がたまに読まれているようで、宗教関連の記事を改めて書きたいと思いました。ちなみに私はクリスチャンです。イエス・キリストが全世界の人の罪を背負って死んだと信じている人間です。さらに言うならば、キリスト教を信じていないくて天国に行くと思っている「万人救済説」を信じている人間です。主流からは外れている信仰です。異端視されるかもしれません。

そんな私ですが会社で働いていますし、うまく社会に溶け込んでいます。
信仰自体が布教を必要としない面があるからかもしれません。
さて、そんな私が宗教について「善い」「悪い」と論じる人に対して違和感を多々感じます。実のところ、宗教を善悪で論じることに対した意味は無いので、そのことを書こうと思います。

皆さん「悪い宗教」と聞いて、何が思い出されますか?
パッと思いつくだけでも、カルト宗教やテロリストを思い出されるかと思います。
新興宗教の強引な勧誘で迷惑を被った人もいるでしょうし、そこに属する人を奇異な目で見る人もたくさんいるのでは無いでしょうか。
それを「善い」と思わない人がたくさんいる一方でこんな声も聞こえます。

「その人がそれで幸せならいいのでは?」

それもまた事実です。
個人がその宗教で救われているならば、その宗教にも価値があるのかもしれません。他の人に迷惑を掛けなければ個人で好きにやってもいいのでは?色々な価値観があっていいのでは?
そうやって、話は堂々巡りになり物事の本質から遠ざかっていきます。
実は宗教観や教義、価値観は対して大きな問題ではありません。

それでは、何が問題か。
それを考える際に「悪い」とは「なに」にとって悪いのかを考えなくてはなりません。段階を持って考えていきましょう。

・個人に悪い
・地域に悪い
・国に悪い
・世界に悪い

だいたい、宗教が「悪い」と呼ばれる場合は上から下に向かって深刻度が増していきます。しかし、一段階目の個人に悪い、というものはどういうことかを考えてみましょう。これを「その宗教を信じたことによって反社会的な人間になった」と考えてください、もっと極端なことを言うと「その宗教の教義によって大量殺人鬼になる」ぐらいのことを考えてください。ああ、あるよねイスラム国とかそうだよね、と思うかもしれません。でも、違います。

教義の中で「人を殺せ!」と唱えている宗教はほぼありません。
イスラム国で有名なイスラム教も積極的に人を殺そうとする宗教じゃありません。
だいたいの宗教の教義は人の幸せを願っています。
じゃあ、なぜカルト宗教が出来、宗教によって殺人が起きるのか?

それが規模の恐怖です。

怖い話なんですけど、この規模の恐怖に宗教は関係ありません。
なに言っているの?と思いました?
そうでは無いんです、単一の価値観が多数派になることで少数派への迫害はいとも簡単に起きる。それが問題なのです。

まずは、大きい部分から考えてみましょう。
過去と、それと現在にもある独裁者がいる国を考えてみましょう。
特定の宗教を信じていた国もありますし、独裁者の価値観が支配していた国を思い浮かべてもいいかもしれません。ポルポトが統治していた時代のカンボジアなんかもいい例です。宗教関係なく、とんでも無いことになります。

それが地域ですとかコミュニティ単位で起こっていることを考えてください。
個人レベルなら問題がなかったことがコミュニティ、地域の単位で起こると社会性が失われ、反社会的な団体になる。これは人間が生まれ持った性質です。
田舎で一人が不良になっても、そういう時期もあるよなあ」ってなるかもしれません。それが都会で不良が集まって半グレの集団が出来上がると社会に対して敵対するようになるのと同じようなものです。

これが「グループダイナミックス」という力です。

人は集団になった時に、右に習えで集団の力に圧倒されます。
あ、カルト宗教はこの力を利用して他のコミュニティとの接触を絶たすからタチが悪いんですけど、結局は規模の力がなければそれも出来ないんですよ。

わかります?結局は規模の問題なんです
規模が大きくなれば教義関係なくおかしいことになるのは歴史が証明しています。
これは宗教に対する警告ではありません。
インフルエンサーや、特定の人物を中心としたコミュニティも同じように危険性を内包しているんです。

日本人は宗教を「悪い」ものとカテゴライズしてい安心しているかもしれません。
でも、がっつりクリスチャンの僕からすると今のSNSの状況やオンラインサロンを見ていると、危機感を覚えることもたくさんあります。
なぜなら、「宗教」とカテゴライズされていないインフルエンサーのオンラインサロンをよく見てください。
SNSの力を利用してクラウドファンディングでお金を集めているでしょう?
そして、それ自体を「次世代の形」として捉えているでしょう?

それは、十字軍が辿った虐殺への第一歩です。

誤解がないようにもう一度箇条書きで説明します。
・個人の価値観で勝手に言うのは問題ない。
・個人の価値観に惹かれ合うのは問題ない。
・個人の価値観を中心としたコミュニティを作ると危険を孕む。
・個人の価値観を中心としたコミュニティが成功すると危険度が高くなる。
・個人の価値観を中心としたコミュニティの成功を是とする社会的価値観が高まると本格的な危機は近くなる。

人類という種は、上記の失敗を数限りなく繰り返してきました。
何か一つの価値観に全体を従わせると狂う。
そのことを数限りなく見てきました。
だから、「民主主義」という形を多くの国で採択したんです。
でも、その「民主主義」を行なった結果、経済的に疲弊してきた国も多くあります。我が国、日本もその一つと言えるでしょう。
つまり、どういうことか?

コミュニティが暴走する下地はバッチリです。

このnoteを読まれている方へ。
あなたが属しているコミュニティはいかがでしょうか?
あなたの価値観はいかがでしょうか?
排他的になってはいませんか?
「みんなが同じ価値観だったら世界は平和になるのに」
そんな風に思ってはいませんか?

僕は自分の宗教観は決して万人に受け入れられないことを知っています。
ですから、社会に溶け込んでいます。

自問自答だけは止めないでください。

あなたが見つけた真実は決して他の人にとっての真実とは限らないのです。

さて、とっぺんぱらりのぷう。




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