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人生に寄り添う本

今月、私の店では、ペコロスシリーズの作者・岡野雄一さんをゲストに迎えて語らう会を開く。講演会やトークショーではなく、語らう会。皆で車座になって話すのだ。作家先生を捕まえてこんな無礼な企画を…と思うが、ご本人が「そんな風がよかよね」とおっしゃたので、私は悪くない。話に乗るくらい図々しいだけだ。

さて、ペコロスシリーズは、介護エッセイコミックというジャンルに分けられていることと思うが、私は古典にもなりうる文学作品だと思っている。というのが、何よりこの作品は、介護世代の心に寄り添ったものではないのだ。

個人が生きて、傷を負う。個人が生きて悲しみを得る。個人が生きて間違える。そういったものを、すべて、あなただけの当たりくじだよと背中を叩いてくれるのだ。

ビートルズのLet It Be でマザーメアリーが知恵の言葉を授けたように、聖母みつえさんが現れて、全ての傷に、あたりの印を押してくれる。

聖母みつえさんの人生はとてもシンプルとは呼び難いものだった。故郷を遠く離れ、戦争で娘を失い、繊細が故にアルコールで自己治療しながらなんとか社会で生きる夫を支え、暴力を振るわれ、貧困に喘ぎながら、2人の息子を育て上げる。

夫とは別れず添い遂げた。息子が幼い孫を連れて帰ってきたのを受け入れた。成人した孫も苦労している様子で気にかけていた。認知症になり、記憶の消えていく自分にも戸惑ったことだろう。しかし、彼女は生き抜いた。

生きとけばどげんでんなるが信条のみつえさん。ある種の見方をすれば、どげんもこげんもなってないとジャッジする人だっているだろう。実際、人生から苦難はなくならない。しかし生き抜けるのだ。どげんもならないまま、生きちゃうのだ。そうして、どげんでんしてしまうのだ。

これってとても凄いことだ。問題が解決しなければ生きていけない人々、幸せにならなきゃ生きていけない人々にこそ、ペコロスシリーズを勧めたい。

問題も苦しみもあっていいのだ。ご機嫌じゃなくても、幸せじゃなくてもかまわないのだ。生きていくのだ。苦しみながら、もがきながら、生きていくのだ。

そしたら、考えられないくらい沢山の人々が心を救われたのだ。みつえさんが、出向いて何かしてあげたのではない。今いる場所で、今できることだけを、ただやって、面白がっていただけだ。泣いただけだ。怒っただけだ。しかし、傷も過ちも受け入れたのだ。だから私たちが助けられるのだ。

こんな凄いことってなかなかない。こんな人間の根幹に関わる作品が、小さな子どもから、高齢者まで手にとって読める本になっていることはほとんどないのだ。

ペコロスシリーズが軽くするのは、介護に疲れた人たちの心だけではない。生きていれば苦しみがある。悩みもある。

これは、悩んだり泣いたりしたことのある全ての人たちに必要な作品なのだ。


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