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俺に『天気の子』の感想を書かせてくれ


①まずは言い訳から


突然ですが、私に『天気の子』の感想を書かせてください。


なぜって、そりゃめちゃめちゃ感動したからです。


これは感想を書かずにはいられません。


「いまさら?」ってツッコミは無しでお願いします。


私だって忙しくてなかなか見に行けなかったんです。


「宗教家コラムニストのあなたが?」ってツッコミもです。


私は宗教家コラムニストであって、宗教コラムニストではありません。


宗教以外のことのコラムも書きたい、ただ宗教家がやっているだけのコラム二ストなんです。


でも先に一つ断っておきますと、この感想には一つも宗教的な観点はありません。


更にもう一つ断っておきますと、このコラムには『天気の子』のみならず過去の新海誠作品のネタバレが、それはもうふんだんに書き込まれています。


だから、これから『天気の子』を見に行く人はもちろん、これから過去作品を追いたい人も、見ることはおすすめしません。


というか特に誰にも見ることはおすすめしません。


これはそういったタイプの感想文です。


②『天気の子』は賛否両論


『天気の子』が公開後、世間ではそのラストシーン付近に対して物議が醸されました。


さっそくとんでもないネタバレですが、『天気の子』ではラスト、主人公がヒロインの陽菜を助ける代わりに、「東京を雨に沈める」という選択をします。


それに対して、理解・共感ができないという人が多数います。


だけど私は、「それでこそ新海誠だ!」と思いました。


私同様に、『君の名は』がヒットするずっと前から、新海誠作品をずっと見てきた往年のファンの中には、同じ感想を持つ人も多いのではないでしょうか?


だからこそ、私は過去の作品と、『君の名は』『天気の子』を対比させることで、もう一つの見どころを提示したいんです。


③新海誠作品は「boy separates girl」


よく、ありきたりな恋愛映画のことを「boy meets girl」と評します。


男の子と女の子が出会って恋をする、誰もが好きな映画のことです。


それならば、今までの新海誠作品はまさに「boy separates girl」、つまり、男の子と女の子が離れる、別れる、引き裂かれる、そんなテーマばかりでした。


だって、そうでしょう?新海誠さん。


あなたは『ほしのこえ』で、恋し合うミカコとノボルを、8.6光年もの距離と時間で引き裂いたじゃないか。


『雲の向こう、約束の場所』の時なんて、佐由理と浩紀を、この世とパラレルワールドなんて次元で引き裂いただけでなく、せっかくパラレルワールドの中で佐由理が気付いた浩紀への想いを、思い出せないようにして、「忘れちゃったよぉ」と泣かせたじゃないか。


『秒速5センチメートル』で、淡い恋心を抱いていた貴樹くんと明里ちゃんが、転校という形で離ればなれになって、そのまま大人になって、町で偶然すれ違った時、明里ちゃんを振り向かせずそのまま前に進ませたのを、私たちが一体どんな気持ちで見ていたと思うんですか。


『星を追う子ども』の時も、シュンに会いたいと思ってわざわざ異界アガルタまで下りて行ったアスナに、もう会えないことを悟らせて「さよなら」って言わせましたよね。


それに、死んだ奥さんに会うために自分の目とアスナまで犠牲にしようとしたモリサキの願いを、結局は叶えてはくれませんでしたね。


『言の葉の庭』の時も、ようやく想いの通じたタカオとユキノ先生を、やっぱり転勤という形で引き裂きましたね。


そうやってあなたは、男の子と女の子が離れていく物語ばかりを作ってきましたよね。


でもそこが良い所でもありました。


世間に「boy meets girl」ばかりがありふれている中で、「boy separates girl」なんてものを観せてくれるのは新海さんだけでしたし。


「さよならだけが人生だ」なんて、井伏鱒二も言っていますし。


④『君の名は』という異作


だからこそ、私は『君の名は』を観た時、めちゃめちゃ感動しました。


そしてめちゃめちゃに泣きました。


『君の名は』でも、やっぱり瀧くんと三葉は引き裂かれています。


糸守と東京という遠い距離で。


更に3年という時間で。


そして、せっかく気付いた想いも、やっぱり記憶を失って忘れてしまうんです。


『雲の向こう、約束の場所』みたいに。


「あぁ、やっぱり新海誠作品だなぁ」と思いました。


けれど、糸守と東京という距離を超えて、3年という時を超えて、瀧くんと三葉はすれ違います。


電車の中で。


『秒速5センチメートル』の時は、そのまますれ違ったままに終わりました。


けれど、『君の名は』は違いました。


二人は、失っていた「何か」を、ようやく思い出すんです。


「ずっと、誰かを、探していた!」と(私はいつもここで号泣します笑)。


そしてお互いに探し回った先でようやく出会う。


一度はまたそのまますれ違うけれども、瀧くんは勇気を出して振り返り、声を掛けます(今までの新海作品の主人公はこの勇気が出せないんですよね)。


それに三葉も「私も」と答える。


新海作品で、初めて「boy meets girl」が成立した瞬間でした。


そして私にはこれが、ただ瀧くんと三葉が別れて出会うだけのお話だとは思えなかったんです。


新海監督は、『君の名は』の中に、おそらくわざと今までの作品を思い返させるようなモチーフをたくさん入れ込んでいました。


だからこそ私には、『君の名は』と、それまでの多くの作品が重なって見えました。


なので、最後瀧くんと三葉が出会ったあの瞬間、私には、作品を超えて、ミカコとノボルが、佐由理と浩紀が、貴樹くんと明里ちゃんが、アスナとシュンが、モリサキとリサが、タカオとユキノ先生が、引き裂かれていた距離を時間を記憶を超えて、再び出会った瞬間に見えたんです。


そりゃあ泣きますよね。


映画館に5回観に行って5回とも号泣しましたよ。


それくらい、『君の名は』は、新海誠作品の集大成と言えるような作品だったと思います。


⑤集大成のその先「天気の子」


だからこそ、「この次に一体どんな作品を作るんだ?」ということは、私も思いましたし、世間の多くの人も思ったことでしょう。


それくらい、集大成や大ヒット作の次回作を作るのは難しいんです。


だって、全くの無名だったところから売れた『君の名は』と違って、次回作は期待値とハードルがMAXの状態からのスタートです。


それに、100点満点の作品の後には、もう一度100点満点を取れたとしても、「前作は超えられなかったな」という評価になるんですから。


だから、「愛にできることはまだあるかい?」という問いは、私は新海誠さんがRADWIMPSの野田さんに気持ちを代弁させているじゃないかと思ったんです。


最後の方の歌詞にあります。


「愛の歌も 歌われ尽くした 数多の映画で 語られ尽くした そんな荒野に 生まれ落ちた僕、君」と。


僕が野田さんで君が新海さんでしょうか。


シンガーソングライターも映画監督も、もう「boy meets girl」なんて手法はやり尽くされていて、もうこれ以上に描ける愛なんて無いというところまで来ている。


しかも新海さんも野田さんも、前作「君の名は」でこれ以上ないほどの評価をされている。


そんな中でこれ以上、一体何を語れるというのか、という重圧は、少なからずあったんじゃないかと想像します。


しかし、歌詞はこう続きます。


「それでも 愛にできることはまだあるよ 僕にできることはまだあるよ」と。


『天気の子』は、まさにその歌詞に相応しい映画でした。


⑥愛とか出会いとかってのは、こういうものだ!


繰り返しになりますが、『天気の子』の中で主人公穂高は、ヒロイン陽菜に会うために東京を雨に沈めます。


普通の「boy meets girl」ではこうはなりません。


『君の名は』みたいに、糸守町を救った上で、三葉にも出会うのです。


『天気の子』でも、陽菜を救うこともできたし、東京も救うことができた。なんてラストにすることもできたわけです。


もちろんそうした方が、観る人も気持ちよく観れただろし、こうして物議を醸すこともなかったでしょう。


けどそれをしたのでは、『天気の子』は100点満点です。


『君の名は』と同じ。


超えることはできないんです。


だからこそ、私は新海監督が東京を雨に沈めたことには大きな意味があったと思います。


結果、『天気の子』は100点満点にはなりませんでした。


80点くらいのものでしょうか。


けれどその80点は、観る人が観れば120点に観える80点でした。


かく言う私にも、『天気の子』は120点の作品だと思えました。


新海誠作品が帰ってきた!と、そう思えました。


だってそうでしょう。


『君の名は』だけじゃなく、ディズニーも、ジブリだって、世界も女の子も両方を救う物語を書きます。


それが物語としてあるべき姿だからです。


けれど、現実はそんなおとぎ話じゃないんです。


だってこの世は、「さよならだけが人生だ」なんですから。


そんなさよならだけの人生の中で、「それでも会いたい」と願うことは、とんでもないことなんです。


これまでの新海作品の主人公・ヒロインたちだって、離れたくて離れてきたわけじゃありません。


仕方なく、です。


その仕方なくの理由の中には、「世界の為、世間の為」ってのもあったわけです。


これまでの主人公たちは、「君」よりも「世界」や「世間」の方を取ってきた。


それが積み重なってきてようやく『君の名は』で、「君」も「世界」も両方救える物語が出てきたんです。


けれど、そんな奇跡みたいなことはそうそう起こるものじゃありません。


奇跡に恵まれなくても、それでも、会いたいと願う愛があるなら、時には世界を捨てることだって、責められることじゃないんじゃないか。


むしろそれこそが愛なんじゃないか。


『天気の子』はそういう一つの選択肢の物語だと思います。


必ずしも、これが正解という物語ではなく、色んな物語、色んな出会いと別れがある中で、「愛にできることはまだあるよ」と叫んだ物語だったと思います。


⑦集大成のその先のその先へ


私は『君の名は』『天気の子』は、三部作になっていくんじゃないかと感じています。


『君の名は』という完ぺきな作品を創り、『天気の子』という対案を作る。


テーゼとアンチテーゼが生まれれば、そこに両方を乗り越えて統合されたジンテーゼが現れてくるんじゃないか、と期待するところは、哲学好きな私の悪い癖です。


けれど、この物語は、そうした次の物語によって、乗り越えられるべき物語のような気がするんです。


だから『君の名は』の登場人物を『天気の子』に多く出演させて繋がりを強く示した。


そして、次回作には『君の名は』の登場人物だけでなく、『天気の子』の登場人物もきっと出てくると思います。


それぞれ違う答えを出してきた主人公たちの、その後の答えに期待します。


(『天気の子』の副題「Weathering With You」。Weather には天気って意味の他に「乗り越える」って意味があるらしいですね。だから「Weathering With You」で、「君と一緒に乗り越える」。受け売りです)


⑧そして言い訳で締める


実はこんな感想文書いてる場合じゃなくて、他にもやらないといけないこと、書かなきゃいけない文章たくさんあるんですよね(笑)


けれどもう余りにも書きたすぎたので衝動的に書いちゃいました。


後悔はしてません(笑)


そういった、やりたいことをやる、選びたいものをちゃんと選ぶ、そんな「勇気」の大切さを教えてくれた映画でもありました。


『天気の子』は。笑


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