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コロナ、テレビ塔、土曜。

 家を出る直前の体温計は、38.1℃を示していた。青ざめながら母と保健センターと医師会急病センターに電話をしていたこの1時間も経たない間に、さらに2℃上がったことになる。ちょっとした計り方の加減なのかもしれないけれど、その数値を可視化してしまったことによって体がさっきよりも怠い気がする。保健センターから指定された医師会急病センターに電話したところ、17時半から診療が始まるのでひとまず1階の受付まで行けばいいとのことだった。時刻は、ちょうど17時半になろうとしている。発熱があるにも関わらずそのあっさりとした対応に正直最初は拍子抜けしてしまったけれど、もはやコロナが日常的になってしまったこのご時世で医療現場が一人の発熱患者ぐらいでわざわざ狼狽えるわけもないかと思い直し、Googleマップで急病センターの場所を調べた。車は持っていないし、この状況でタクシーか地下鉄を利用するのはさすがに気が引ける。一人暮らしのマンションから急病センターまでは、徒歩だと27分で自転車だと12分と表示されている。ジャージに着替えマスクを着用して外に出ると、徐々に症状として顕著に現れてきていた悪寒と頭痛を憂鬱に感じながら自転車に跨った。久屋大通公園を横目にまずテレビ塔方面へ自転車を走らせながら、ひょっとしたらこれはただの風邪かもしれないと淡い期待を抱く。しかし一方で、残念ながらこの頭痛と悪寒は十中八九の確率で風邪ではないことも直感している。徐々に夜の気配を漂わせ始めている栄の街は、土曜日らしく人々で賑わっていた。頭が熱でボーッとしているせいもあってか、その光景がいつもと違って見えるようなフワフワした不思議な心地と急病センターに一刻も早く着きたいという焦燥、そしてやはりこれはコロナなのかという不安とが入り混じりながら、自転車のペダルを漕ぐ足に力を入れた。


 熱があったため急病センター内には結局入ることができず、防護服を身にまとった看護師に入口で保険証を渡すと、A4サイズの問診票2枚が挟んであるバインダーと記入用のボールペン、それから体温計を渡された。入口の外には何脚か椅子が設置してあり、その一つである建物の壁際の椅子に座って待機するよう指示があったので、その入口から少し離れている椅子に座って体温を計りながら問診票に必要事項を記入していく。熱は39.6℃まで上がっていて、記入した2枚の問診票と一緒にその計測値が点滅している体温計を看護師に渡すとここまでの交通手段について聞かれ、自転車で来たことを伝えると「それで熱が一気に上がったんだね」と、その看護師は労うように言った。明らかに危機感を煽るようにその39.6の表示が点滅しているのを見た時は正直面喰らったけれど、看護師の言うとおり「ここまで自転車で来たからだ」と自分自身に言い聞かせてまた元の椅子に座った。身体じゅうは先ほどよりも熱を持っていて、やはり時々悪寒がする。何人かいる看護師とスタッフは淡々としていて、次から次へと訪れる患者や、恐らく同じようにセンター内に入れず駐車場に停められた自家用車の中で待機している患者といった一人一人に冷静に対応している様子だった


 ようやく男性のドクターが診察にやって来た。ドクターは防護服を着用しておらず、白衣姿に不織布のマスクをしているだけだったので少し驚いた。発熱から時間がそれほど経っていないことから、仮に今ここで検査をしても陰性になる確率が高い可能性を踏まえたうえで抗原検査を希望するかドクターに聞かれた。翌日の正午にラジオ出演を控えていたこともあって一刻も早く白黒つけたかったこともあり、すぐさま鼻腔スラブを鼻の穴から突っ込んでもらう。喉に繋がっている鼻の奥あたりが一瞬だけ不快にツーンとした。検査結果は、ドクターも驚くようなスピードで陽性反応を示した。

 解熱剤と下痢止め(解熱剤の副作用で下痢になると説明された)を処方してもらい、フラフラになりながら自転車で帰路につく。覚悟はしていたけれど、連日ニュースで報道されている愛知県の感染者数の1にとうとうなってしまったみたいなことをぼんやりと考えながら、覇気なくタラタラと自転車を漕ぐ。頭痛は悪化して全身が気だるく、熱いのか寒いのかよくわからない悪寒が相変わらず身体じゅうを走る。辺りはすっかり日が落ちていて、ライトアップされたテレビ塔を横目に、飲食店などが立ち並んでいて人々で賑わっている久屋大通公園を申し訳ない気持ちで足早に横切る。遠のいていくテレビ塔のライトアップと絶えることのない街の喧騒、それから久屋大通公園の週末の華やかな雰囲気はまるで他人事で、とにかく健康ではない今の自分自身は場違いだと漠然と考える。おまけに久屋大通公園沿いをマンションとは反対方向の名古屋城方面に進んでしまっていたことに途中で気づき、来た道を引き返さなくてはならなくなった。息切れにも似た溜め息が漏れ、ライトアップされた夜のテレビ塔がまた眼前に近づいてくる。

 住んでいるマンションに着きそうになった頃、もはやコンビニに寄ることもできなくなってしまったので、途中にあった自動販売機で500mlのポカリスエットを3本買って帰った。その行為が「わたくし、コロナ陽性です」と周囲の歩行者に宣言しているようで気が気ではなく、自転車のカゴで3本の500mlのポカリスエットが揺れているその絵面もまた何だか滑稽極まりなかった。そして、何とかマンションに辿り着くと小ぶりの冷凍食品の焼きおにぎり3つと韓国海苔を食べ、良くはないと思いながらも解熱剤2錠と下痢止め1錠をポカリスエットで流し込んで泥のように眠った。関節痛も加わったこの独特な倦怠感は、小学生の時にインフルエンザに罹ったことを思い出させた。

 翌朝、解熱剤が効いたのか頭痛は治まり熱は下がっていた。午前中に保健センターから電話があって、聞き取りと今後の説明が20分ほど行われた。電話の後、保健センターの担当者に教えてもらったとおり配食サービスをウェブで申し込み、保健センターから直々かつ正式に10日間の自宅療養を言い渡されたので、2日後に行くはずだったカネコアヤノの弾き語り単独演奏会のチケットを断腸の思いでリセールに出した。そして「コロナになんかなるもんじゃないな」と独り言をつぶやいて、ふて寝した。関節痛を伴う鉛のような倦怠感から、起きて何かをする気にはなれなかった。

 夜に布団で寝転がりながらジャルジャルのコント動画をYouTubeで観ていたら、なぜか板前の職人の包丁ですっぽんが捌かれていく動画を偶然見かけたので、それを観た。閲覧注意と表示されていたその動画を不思議とグロテスクに感じることはなく、むしろすっぽんの生々しい鮮血を見ていたら、生きなくてはならないと心の底から思わされたのだった。

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