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【短編】 Amulet.

これは、言葉と写真の展示『言葉ギャラリー』に寄せたnoteです。第2回にも参加できたことを嬉しく、何よりありがたく思います。

さちこさん、ありがとう。

詩のような物語のような日記のようなこの稚拙な文章も、お守りだから。

あなたが好きを大事にできますようにと願って。

言葉の企画2020企画生 瞳


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決して強くはないのにいつも一歩先を歩いてくれるあなたは、いつだってわたしの光で、

思い浮かべるだけでお守りになるような、恋のような、なにかでした。


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出会い

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「この電車はー車庫に入りますーみなさまお降りください」

車掌さんのめんどくさそうな太い声、

うなだれたまま歩くサラリーマンたち、

ゴミ箱のわきに落ちたペットボトル、

それだけのことでまたうっとなってしまった。足下がぐらぐらとする。また滲む視界。勝手に傷つく自分に嫌気が差す。

車庫には入れられたくなくて、重い足を踏み出した。

秋の寒空の下、頭を冷やしたくて深呼吸をする。一直線に改札を出ていく後ろ姿が並ぶ。迷わずに、立ち止まらずに帰れるのは幸せなことだとぼんやり思った。人がまばらなホームに少し救われた気がした、その時だった。


「あの、だいじょうぶ、ですか?」


...この状況ではわたしに言われたとしか考えられない。聞き間違いを願いながらおそるおそる首を向けると、バーガンディのシャツにシルバーのネックレスを下げた細身のあなたが 、その時はまだあなたではなく、見知らぬ人として、だけど、立っていた。マスクからのぞく切れ長の目は、少し心配げにこちらを見つめていた。

ああ。見つかってしまった、と思った。わたしの悲しみはわたしで引き受けなければならないのに。みんなそうやって大人をしているのに。大変なのはわたしだけじゃないのに。

「いま、泣いてましたよね」

「え、あっ、えっと……すみません、あくびが止まらなくて」

できるだけ心配させないように、笑いながら。相手に気を遣わせないように気を遣う。大丈夫。いつもそうやってきただけのこと。

「どうぞ、あっハンカチです」

「あっいえ、大丈夫なので…ありがとうございます」

「私も今日、泣きたいことがあって」

「え?」

「振られたんです、はは」

「はぁ……それは、大変でしたね」

突然の告白に必死に頭を働かせる。初対面の人にかけていい言葉だっただろうか。発した瞬間に後悔を伴うのは、いつになったら治るのだろう。

「こういう日って、どうするのが正解なのか、ずっとわからないや」

マスクに隠れた口元がふっと緩んだように見えたその人は、宙に放つようにそう言った。わたしも同じような答えを探していた。わたしであることを引き受ける方法。どうしようもない感情にまみれた心の処理方法。

「わからないです、でも、泣くと、それだけで少し楽になる気がします」

「うん、それは、うん、わかります」

「ありがとうございます」

「私も少し元気が出た気がします」

「それは、すごく、よかったです」

「あれ。また、流れてますよ」

さっき泣いたらしい時にできた頬の通り道を、新しい雫が通っていた。ああわたし、また泣いているんだなと他人事のように思っていたとたん、目下に布があてられ、マスクについた水滴を一緒に拭き取っていった。布の感触がやわらかくて、またあふれそうになる。優しさを受け取れるようになりたいのに、あまりにもわたしはわたしで精いっぱいすぎる。

「あの、ごめんなさい、やめてもらっていいですか、気にしないでもらって大丈夫なので、ほんとに」

「今、目の前にいるのに、放っておけないです」

濡れた面を内側にしてズボンのポケットにしまいながらあなたは言った。

「……すみません、知らない人なのに、お手を汚させて」

「いま、知ってる人になりました」

なんの躊躇いもなく、あなたは言った。


決してドラマチックなはじめましてではなかった。お互いに違うことで傷ついたまま、知らないまま、深くは踏み込もうとしないまま、わたしたちは出会った。泣いている人と泣きたいことがあった人が、わたしとあなたになった。通りたくなかった改札を出られた。

たまたま方向が同じだったから、ぽつりぽつりと言葉を交わしながら帰った。時間帯も味方して、お互いに顔が見えないのがよかったのかもしれない。言葉を探しながら話すテンポがわたしと似ていて、あなたもそう感じてくれていたらいいなと思った。

「わたし、こっちです」

「私あっちです」

「あっじゃあ」

「はい」

「あの、ありがとうございました、ほんとに」

「私もです」

笑ってバイバイをした。


生きていて初めて、外で泣いてよかったなと思った。見せるべきではないと奥に奥にしまっていたわたしの弱くてみじめな部分を、だれかと共有できることがあるなんて知らなかったから。息を吐いて鍵を取り出すと、ポケットで震えるスマホ。追加されたばかりのトーク画面に、おじぎのスタンプが送られてきていた。他人に期待して傷つくことに疲れていたのに、だれかと連絡先を交換できて心から嬉しいと思えた。わたしを消費しなかった。その日は久しぶりに、ベッドに入ってすぐに寝られた。それだけのことが、すごくすごく嬉しかった。


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告白

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それから、わたしはあなたを少しずつ知った。

少し先を生きていること。実はご近所さんだったこと。そして、あの日振られた恋人のことも。

「好きになってくれる人を好きになろうとすることが、相手を傷つけるなんて思ってなかった。」

うつむいて哀しそうに笑う横顔は美しかった。

生活のなかに見知らぬ他者が入り込んでくる感覚はいつも緊張と後悔を連れてきて、踏み込まなければよかったと思ってしまうのに。どうしてか、あなたに乱されるのは心地よかった。

きっとそれは好きと呼ばれるものだったけれど、どうしていいかわからなかった。

ただ一点、同性であるというそれだけで、それだけなのに、わたしはわたしの感情を持て余していた。

時折こぼされる「恋人だった人」の性別はわからなかった。悟られないように話しているようにも感じた。ただ、優しくて美しいあなたが、あなた自身の優しさを責めているようにみえて、それは耐えられなかった。わたしといることは楽しいと言ってくれたし、図々しいわたしにはそれは好意だと感じられた。でも、あなたは踏み込まなかった。それが優しさなのか戸惑いなのかぬるさが心地いいのかはわからなかった。好きが大きくなると、わからないばかり増えていく。


あれは、あなたが好きだと言っていた洞窟にふたりで出かけた帰り道だった。

細かくは覚えていない。文脈も何もかもきっとめちゃくちゃだった。ただ、もうなにかを諦めたように笑わないでほしくて、わたしから顔を背けて泣かないでほしくて、あなたがあなたのままいてほしくて、それだけだった。一音一音、うそじゃない言葉を伝えようとすることは痛みだ。目を合わせて、わかちあうように、ゆっくりと、わたしはわたしの思いを伝えた。最後にひとつ、約束をして。

「あなたがあなたを見捨てないって、わたしと約束して?」

目の前の人は、静かに泣いていた。ありがとうと、大好きだと言葉をつまらせる姿を見て、もうどうでもいいやと思った。性別なんて頭から消えた。この苦しくて愛おしくてどうにかしたい気持ちを前にして、すごいちっぽけなことに思えた。「また傷つけてしまうかもしれない」と独り言のようにこぼすあなたの孤独を少しでも減らしたくて、力いっぱい抱きしめた。高くにあった背中は思ったよりも細くて、思ったよりも温かかった。自分からしておいて恥ずかしくなったわたしを抱きしめ返す腕の力は強くて、少し窮屈だった。やっと離れたときわたしの肩が少し濡れていて、謝るあなたがたまらなく愛おしかった。わたしも泣いていた。嬉し涙を流したことがなかったからわからないけれど、きっとそう呼ばれるものだった。わたしたちは恋人になった。


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いつか、あなたは言ったよね。

きっと。

わたしたちは、ひとつにはなれないけれど、ひとりとひとりのまま、わかちあえるから。と。

それは、足りないところを補い合うようで。

恋愛と名付けられなくても。法的に認められなくても。

幸せを諦めないでいる限り、幸せでいられるから。と。


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