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無料から始める歌モノDTM(第17回)【作詞編④歌の言葉】

はじめに

はじめましての方ははじめまして。ご存知の方はいらっしゃいませ。
ノートPCとフリー(無料)ツールで歌モノDTM曲を制作しております、

金田ひとみ

と申します。

今回も【作詞編】の続き……、
なんですが、文字として手書きノートや文章作成ソフトに書かれた書き言葉ではなく、また音読される詩や劇の台本や普通の話し言葉でもなく、リズムとメロディーに乗せて歌われる「」というものに踏み込んで見ていきます。

たぶん今回、前回の調声に繋がるネタ以上に、厳密には作詞の範疇から少し外れたお話になります。見方によってはちょっと一段回……二段階くらい先かもしれないお話です。

【作曲編】のオンコードの話と似たところがあります。DTMやボカロP初心者がいきなり飛び込むには難しいかもな、とは思っています。
でも少し先の段階をチラ見しておくと、ともすれば退屈で時に苦痛な打ち込み作業や練り直しすら、目標ができることで意義をもって取り組むことができるのではないかなとも思います。

テーマは
歌詞に無い歌詞
そしてそこから広がる
歌の言葉
です。

作詞から始めた方からすると、構成や音数や韻踏みなんかもキッチリ考えた歌詞を仕上げて、あとは作曲すれば、あるいは作曲が得意な人にメロディーに乗せてもらえば一曲出来上がると思われるかもしれませんが、実はそう単純なものではないんじゃないかというのが私の考えです。
出来るっちゃ出来るのですが、折角の自慢の歌詞が活かされない可能性もあるかもよ、ってことでもあります。

逆に作曲はある程度できてAIシンガーやボカロに歌わせるところまでは問題ないという方でも、こんな風に思ったことはないですか?

機械的に文をなぞっているだけで感情が乗ってない気がする。」
「調声といってもフォルマント(声質)を変えたりブレスやビブラートを入れるくらいで、他に何をやったら表現豊かに歌わせられるのだろう? そもそもブレスやビブラートを入れる基準は何だろう?」

私はボイトレを受けたわけでも何でもないですがそのあたりを意識しているうちに、調声や歌詞の打ち込み、そしてそのもっと手前の作詞にも影響を与えているのではないか、と考えるようになってきました。
普通の作詞法とは逆の発想です。
でもよく考えたらそんなに変な話ではないです。
歌モノ曲の最終完成形は歌が入っていることなので、表現豊かに歌わせられるポイントがどこにあるのか、その歌が入った状態のイメージ、要は最終目標ができていたほうがスムースに制作を進めていけるのではないでしょうか。
調声編で予定している技術的なことはまだ先になりますが、そのハシリだと思っていただければ、いざ作詞や調声でどうしたら良いのだろうと詰まった時にアプローチのひとつとしてお役に立つかもしれません。

それと「はじめに」で面倒くさそうだなとプレッシャーを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが逆です。
私のように曲先が主な上、言葉にもこだわりがちな人が陥りやすいかもしれない、「メロディーラインにキッチリ合わせて韻を踏んだ言葉や意味のある言葉で埋めなければならない!」と、気負う必要は無いというお話でもあります。歌だからこそ多少ヌケやブレがあってもいい。
実際に普通の人がカラオケなんかで歌う時でも無意識に自然とやってることが元になっています。
カラオケで気持ち良く歌えてるなと感じる時、何が起こっているのか。それを見つけに行きたいと思います。

歌詞に無い歌詞

最近は物質としての音楽CDを見ることはめっきり減ってきましたね。街のCDショップもどんどん潰れてます。
かさばるしオーディオ機器での入れ替えが面倒くさいしで、握手券や初回特典でも無ければ収集そのものが好きでないとわざわざ買わないと思います。
私が10~20代の頃、西暦2000年代くらいまでがおそらくCD全盛期だったのでしょう。
今はダウンロード配信やストリーミングサービスが充実してますし、音楽が一大娯楽や共通話題だった頃に比べ動画サイトやスマホゲームなど年々他の娯楽にパイを奪われていっています。
(娯楽じゃなくて芸術だ!とかコンテンツビジネスだ!とかレコードの話が抜けてるぞ!とか言い始めるとキリがないんでスルー。)

そんな現状は時代の流れで仕方ないとして、CDにはたいてい歌詞カードが封入されています。
CDはある程度の物理的大きさがありますので、歌詞カードにこだわったアーティストのアルバムなんかもよく目にしました。ちょっとした冊子くらいの厚みがあって、もう書籍レベルだろ?!ってものも。今もあるのかな? 私も買わなくなって久しいものでして。てかそもそも昔からあまり買わない。

アーティストのポートレートやご本人手描きのイラストなんかが使われていたりして、それを含めて作品と思える価値がありました。
歌詞カードだけでなくジャケットも当然アーティストごとにこだわりがあって、ある意味今のボカロ曲がキネティックタイポグラフィを多用した動画や背景イラストも含めて評価されるのに近いものがあるかもしれません。

私の若い頃はBUMP OF CHICKENがめちゃくちゃ流行っていて、カラオケで『天体観測』を聴かない日はありませんでした。ギターのイントロもよく練習しました。

物欲の少ない私でも初期アルバムはいくつか買った記憶があります。結構こだわった歌詞カードやジャケットだったと思います。

ところでバンプあるあるネタなんですが、ボーカルの藤原基央さんの書く歌詞に一番よく出てくる言葉は何だ?ってネタ話があって、それは……

「Oh!」「Yeah!」「Ah!」
(オー!イェー!アァー!)

笑!

いや、たぶん違うとは思いますが、確かに多い。
そしてそのすべてが「歌詞カード」に書かれているわけではない。
これって歌詞なんですかね?

「オー」「イェー」「アァー」系統だと他には「ウォウウォウ」とか「ヤー」とか。
それらがちゃんと歌詞として書かれている曲もあります。
『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』(H Jungle with t)、『YAH YAH YAH』(CHAGE&ASKA)とか。
世代〜!(笑)

これらは一般的に「間投詞」や「感嘆詞」と呼びますが、歌詞カードに書かれていない場合、それは歌詞なんでしょうか?
上記例のようにタイトル等になっていれば歌詞としてちゃんと歌われると思いますが、ライブなどではその場のノリで歌われなかったり、逆に録音物では入ってなかった箇所で歌われたり。結構ブレます。
間投詞・感嘆詞であれば他には「ヘイ」「フゥ」「ハッ」なんかもよく歌詞に使われてますね。

それからこちらもよく登場する「ラララ」系統。
曲タイトルなら『ら・ら・ら』(大黒摩季さん)や『LA・LA・LA LOVE SONG』(久保田利伸 with ナオミ・キャンベル)とか。やっぱり世代(笑)
以前何度か取り上げた自作品『Lump of suger』(図らずもBUMP OF CHICKENみたいな響き)も曲のアウトロで「ラララ」歌ってますし、その参考にした『サボテンの花』(チューリップ/財津和夫さん)も「ラララ」で締め括っています。
徹子の部屋OPテーマの「ルルル」とかもあります。あの曲はむしろ「ル」と「ラ」しか歌詞がない(笑)

やや珍しいところだと「ダバダー」「ドゥビドゥバー」「デュワー」「トゥトゥトゥー」「パパパー」とかも歌詞なのかどうか。
最近のものだと、

『フォニイ』(ツミキさん)
Bメロの
「パパッパラパッパララッパッパ」
「タタッタラタッタララッタッタ」
何度か紹介した擬音語や擬態語のようでもありますが、言葉単体として意味が通じるかというと何とも微妙なところ。
歌詞にはちゃんと表記されているので歌詞の一部ではあるんでしょうが、文としての書き言葉や話し言葉で使うことは普通ありません。

「おぉ」「いぇぃ」「あぁ」「はぁ」くらいなら間投詞・感嘆詞として書き言葉や話し言葉でも使いますが、「ラララ」「ドゥドゥドゥ」「パパパ」などとなるとさすがに歌でしか登場しない。
これらはスキャットなどと呼ばれます。
クラシックやジャズなど広く歌唱全般を見ていくとボーカリーズハミングフェイクアドリブなどそれぞれ細かい定義問題になるので今回は置いておいて、主に歌の中でのみ登場する単体で意味が通じるのかどうか微妙なラインの文ではない言葉をざっくり「スキャット」と捉えておきます。

作詞においてこれらはどう考えていけばいいのでしょうか?
言葉にこだわるからこそ、一見意味の無い「スキャット」がなぜ頻繁に歌に登場するのか、それがどんな意味や効果をもたらしているのかを考えてみます。

スキャットに意味はあるか

スキャットを使う一番簡単な理由のひとつが、音数合わせでしょうか。
いくらきっちり定型詩的に作詞しようとしても、意味やリズムの都合上、音数がずれることはあります。メロディーに乗せたときに足りない部分に「Ah~」「Uh~」「Oh~」など挟む場合です。
母音を引きずって長音化する場合も含むと考えてよいです。
本当に作詞に困ったら最終手段「オー!」「イェー!」「アァ―!」
いや、ちゃんとある程度作った上でここぞという盛り上がりポイントで入れてくださいね(笑)

で、数合せと言うと何だかネガティブに聞こえますが、実は普通に喋る時でも誰しもやっています。しかも意味を持って

「お〜い、お茶。」
「おい、お茶。」
「お茶。」

ニュアンス違いますよね。
一番上は皆さんご存知、伊藤園のペットボトル緑茶の商品名です。特に農作業などを彷彿とさせるお仕事中に「お茶が入ったよ〜、ちょっと休みましょ〜」と休憩を促すようなほのぼのしたネーミングですね。
「おい、お茶。」だと亭主関白な夫や年長者が妻や下の立場の人に命令しているか、逆に飲めよと言わんばかりに不躾にお茶をドンと置くような感じにも取れます。実際、男尊女卑だ!とちょっと炎上したこともあります。早とちりか勘違いか難癖を付けたいだけなのか、的ハズレな指摘だと思いますが。
間投詞が無い「お茶。」に至ってはコミュニケーションを取る気すら感じません

音の長さや数が違うだけでも印象が変わってきますし、有ると無いとでは文全体の意味すら変わってくるので、喋るときでも長音化や間投・感嘆表現は誰でも自然とやっています。

歌で使われる場合はどうでしょう。
確かに音数合わせで長音化したり、1~2拍のちょっとしたリズムを調整するために入れる場合もありますが、わざわざ曲のタイトルにすることもあるくらいです。たいてい何らかの意味を持たせて使われています。

先に挙げた『WOW WAR TONIGHT 〜時には起こせよムーヴメント』は「WOW」という感嘆詞と「WAR」=「戦い」という意味を重ねていますね。お笑いコンビ・ダウンタウンのお二人と一時代を築いた小室哲哉さんの名曲なので有名だとは思いますが、世代的に知らない方もいるかもしれませんので一応貼っておきます。

「WOW」のほか、中盤転調後は「HEY(ヘイ)」×3回から入ります。親しく呼びかけるような感じが出ていて、ただの音数合わせではなくちゃんと意味を持った歌詞ですね。
その手前の間奏にも謎のスキャットが入ってます。「BUSAIKU HAMADA(不細工 浜田!)」以外何と言っている聴き取れないのでこっちの意味は分かりません。歌詞カードにも無いようです。
最後は相方の松本さんのセリフで締括るという、作詞の範疇からぶっ飛んだ何とも贅沢な曲です。

自作品でも、歌詞に無い短いスキャットを入れていることはしょっちゅうありますし、『花のある部屋』では意図的に長めの「Uh」で作詞しています。どっちかというとハミングっぽい「ん~」かな。きれいなハミングをナクモ君に歌わせるのは非常に難しい(泣)

3番メロで「少し傾いた午後の光」と「少しだけ君は窓を開けた」の間に「Uh」がまるっと一節分入っています。
これって歌詞が思いつかなかったから仕方なく数合わせで入れたわけではありません。
それまで時間に追われていた歌の主人公が、彼女が少しだけ開けた窓の隙間からのぞく午後の光で、午睡(昼寝)から目覚める感じを出すためです。寝起きの「うぅーん」みたいなうめき声と、「う〜ん良いねぇ」みたいな感嘆詞としての意味を含ませています。
同時に楽器数も減らして「落ちメロ」化もしています。作詞から作曲まで一貫してできるがゆえの強みだと思っています。

他の曲ではイントロ前に「ラララ」や「ハハハ」を入れたり。

めろうさんは癖の少ない声質で、単体だとパンチが弱かったりするのですが、その分ハモを重ねたときの響きがキレイなのでとても歌わせやすいですね。
「ラララ」「ルルル」「ハハハ」「フフフ」系統の、特に歌でしか登場しないと思われるスキャットも、「ルンルン気分」「ハッとする」など擬態語を彷彿とさせるので、まったく意味が無いわけではないです。

特に「ラ行」は歌っぽさが強く、【作詞編】初回で仮歌は発音タイミングが早い「ラ行」がやりやすいよ、とお話したこととも関係があるかもしれません。

同じ「ラリルレロ」でも舌先を上の歯の裏側にくっつけるL(エル)のほうですね。R(アール)は歌いにくい。ローマ字表記だとRなのに。
(厳密には[L][l][r][ʎ]やその他、入力しにくい特殊な発音記号で「ラ行」っぽい発音があるのですが、リアルな外国語やかなり流ちょうな日本語で歌わせようとしない限り、AIシンガーやボカロの調声にそこまで求めるのは難しいかと思います。日本語でもラ行の発音は(それ以外の発音でも)その前後の発音に引きずられて若干変化します。AIシンガーは歌そのものを学習しているおかげで、そのわずかな違いを自動で歌わせることができているんじゃないでしょうか。)

ハ行」は息や呼吸のイメージが強いです。ため息や笑い声の表現で普通に書き言葉や話し言葉でも使われます。
曲だとEPOさんの『う、ふ、ふ、ふ』とか。
ふ、ふ、ふ、古いとか言うな(泣) 去年マクドナルドのCMで使われたらしいぞ。(テレビぜんぜん見ないんで知らない。)


どこまでがスキャット?

変わり種で、初めから意図的にスキャットを入れた曲だとThe Beatlesの『Girl』が興味深いです。

中盤に「Tit tit tit tit……」とコーラスが入っていますが、ありきたりな「La la
la la……」だとつまんないと思ったらしく、「おっ〇い」を意味する「Tit」にしたそうです。(最近毎記事で「おっ○い」書いてる気がする。)
それとイギリス英語のスラングで「Tit」に「バカ者」といった意味合いもあるそうなので、女の子に振り回される男の子を小馬鹿にしたような言葉遊びも含まれているかもしれません。
『Girl』の歌詞の内容と合わせても面白いスキャットですね。

この曲でもう一つ気になるのはサビの「Ah Girl, girl, girl」の間に入る
「スゥー」
という歯を閉じて息を吸い込む音です。
ある程度長さがあってハッキリと録音されているので、単なる息継ぎ=ブレスではない。
これは明らかに歌詞カードには書かれていないし、文字として書き出すにもなんと書いてよいか。
曲先か詞先かは分かりませんが、作詞段階では書きようがありません。
おそらくはビートルズ特有の遊び心で作曲中か音合わせ中にでもメンバーの誰かが思い付いたのだと思います。さすが発想が突飛というか普通じゃないというか、歴史に名を残すアーティストは一味違いますね。
遊び心と言えば遊び心なんでしょうが、実際に声に出して歌ってみると「スゥー」と大きく息を吸い込んだあと「ガール」……要は「ハァー」と息を吐き出す一連の息の流れ(呼吸)があります。

歌に限らず声を出すこと、つまり発声とは何かというと、
声帯が肺からの気流を振動させ音波を発生させる作用
と説明されます。

声帯はのどにある左右から広がる襞(ひだ)のことです。これを筋肉を使って広げたり狭めたりしながら、口の中の広がりや舌の動き、唇の動きなどを組み合わせることで人間は声を発しています。
他の動物はそこまで声帯や口内の仕組みが発達しているわけではありませんので言葉を発することができません。せいぜい鳴いたり吠えたり唸ったりするくらい。そう考えると人間はトンデモ生物です。口とのどを、呼吸と食事以外に最も重要なコミュニケーション器官として使っている。その代わり誤嚥したりむせたりという皮肉な弱点があるけれど。

さてさて、定義では「肺からの気流を~」と説明されています。
つまり声を出す時、息の流れはどうなっているのかというと吐き出しているわけですね。一方通行。
となると『Girl』の「スゥー」は正確には「発声」ではない。吸い込んでいますので。
では「歌声」ではないのか? でも単なる息継ぎ=ブレスとしてしまうにはあからさまに意図的です。
かなりの特殊事例ですが、作詞をするときに書き言葉からだけではこの発想は出てこない。
スゥーっと長く息を吸い込んでハァーと息を吐き出す。
気持ちを落ち着かせようとしているような、一度期待してからやっぱりため息をついているような、そんな感情表現が話し言葉の延長のようにメロディーに乗せられている。
「歌詞」には書けないけれど意味を持った「歌」ではある
だとしたらもう思い切ってこれもスキャットだと考えてしまってもいいんじゃないか。
そこで思い至ったのが、実はブレスも歌の一部なのではないか、ということです。

呼吸・ブレス・ビブラート

自作品でかなり意図的にブレスを使ったのはこの曲ですね。

26曲目『999本の薔薇』(東北きりたん)
ニコニコ動画で年2回開催されるボーカロイドやAIシンガー楽曲のイベント「ボカコレ」2022秋に投稿した作品です。ボカロP歴2年未満が投稿できるルーキー枠では私の最後の作品です。ちょうど本業も忙しくて宣伝する間も無く投稿時は全然でしたが、最終的にルーキー枠77位まで行きました。100位以内がひとつ目標ではあったのでまぁがんばった方かな。

そしてとてもありがたいことに動画やTwitterで
「AIなのに感情が伝わってくる」
「気持ちがまっすぐに歌われている」
「感動を覚えた」
といったというコメントをいただきました。

理由としては確かに、曲のテーマやコンセプト、歌詞の意味や作曲・アレンジの要素もあるとは思いますが、ブレスというか本来の意味での呼吸の使い方もあるのではないかと自己分析しています。

実は後半に行くほど、打ち込んで自動生成されたブレスとは別に何か所かブレスのみを切り取ってあとから加えています。
最後の「999本の薔薇に」と「抱きしめられて~」の間が一番わかりやすい。自動生成だけでは難しい「スゥーッ」っと長く吸い込むブレスは、通常の調声とは別に生成して追加しています。
それと、普通なら耳障りが悪くなるためディエッサーといったエフェクターで削ることもある「サ行」の音を残して、広くパン振りしたリバーブ(残響)を掛けています。「サ行」なので前回少し触れた、歯と歯の隙間から漏れる歯擦音です。

吸い込む息と漏れる息、両方向の呼吸の流れを効果的に加えることで、まるで生きているような感情が表現できているのではないか、とあとから気づいた次第です。

作詞段階ではそこまで複雑なことは考えていませんでしたが、実際に声に出して歌ってみると、頭サビからAメロからサ行のオンパレード。
後半になるにつれ転調も加わり高音域になることでブレスも大きくなる。特にきりたんは高音域ほど強く発声する特徴があります。
結構自然と出てきた歌詞なのですが、おそらくサ行やブレスが効果的になることに無意識に気づいていたんじゃないかと思います。

前回紹介した『さよならアドレセンス』ではもう少し意識的に使っています。ブレス数がかなり多い。タイトル自体「さ」で始まり「ス」で終わるので耳に残りやすい。なんとなく思い付いた言葉ではなく、ある程度意図的に言葉を選んでいます。まだまだ不自然な箇所があるので、もう少しレベルアップしたいところ。
実は構想段階の初期タイトルは『グッバイ・イノセンス』とかにしようとしていました。私の初投稿作『ハロー、スワンプマン』と対比させるためです。今考えるとダサい。

わたくし事ですが、昨年までを「金田ひとみ・第一部」としてハイペースでの実験的制作を一旦区切って、今年はまた違う取り組みをやってみようかなと考えています。アイコンも変えてTwitterでの名前が「金田ひとみ(2)」になってます。DTMer2歳児。

どこにブレスやビブラートを入れる?

ここまで主に、吐き出す息によって生まれる通常の発声と、吸い込む息であるブレスについてお話してきました。あと気になるのはビブラートですが、ブレスについて少し補足。

ブレスはAIシンガーのNEUTRINOであればMusescore上でブレス記号を入れることである程度自動生成されます。
実際にどこに入れるべきかは、まずご自身で声に出して歌ってみるのが一番かと思います。単純に息が続く続かないとは別に、感情がこもる歌詞の直前に無意識に吸い込むんじゃないかと思います。感情を込めて大きく声を出すためには一度息を吸い込まないといけませんから、カラオケを歌うときに誰しも自然とやってることです。

下画像は『さよならアドレセンス』の1番サビの楽譜です。
赤丸の部分がブレスを入れているところですね。
それぞれ歌詞の区切りで感情を込めたい箇所、「キラキラした~」「さよならは~」「眩し過ぎる~」の直前に入れています。区切りでも入れない箇所は休符にしています。ここを音符で埋めてしまうと切れ目のない不自然な歌い方になってしまいます。

『さよならアドレセンス』1番サビの打ち込み用楽譜

ブレスは直前の音符を選択して左欄のブレスアイコンをダブルクリックすると入力されます。
直前が休符だと反映されないみたいです。それと手前の音符の長さに結構影響されます。長い音符だと長いブレスが生成される模様。長さ等はあとで調声ツール上でも調節可能です。
青丸は……いずれ【調声編】で改めて解説します。秘密兵器、ホントのホントに歌詞に無い歌詞です。ここから先は調声ツールがガチで必要になってきます。

さて、ブレスは吸い込む息ですので、音としては「スゥ」や「フゥ」と表現できるくらいで正確には発声ではありません。
逆に吐くほうの息は発声そのものですので色んな音が出せます。
先に上げたWikipediaの「発声」の定義の続きを読んでみると、

肺から押し出される空気が声道を通過する際、普段は開いている声帯が狭まることにより、通過する空気が振動され、「三角間隙鋸歯状波」というブザーのような「声帯の基本振動音」になる。この時点での音は声と認識できるものではない。声道(口腔・鼻腔)を変化させ共鳴音を作り出し(調音)てこの原音の音色を変化させ、口や鼻から放射させることにより声となる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BA%E5%A3%B0

と書かれています。
なんだか小難しい単語が並んでいますが、要は肺から息を吐いただけでは空気の振動が起こるだけで、口や鼻で共鳴させて初めて「声」になるということです。

それではおおよそ歌唱力や表現力が高いと言われているアーティストが使いこなしている
ビブラート
とは何なのでしょうか。
吸う息であるブレスと、吐く息で意識的に起こせるであろうビブラートを使いこなせれば、AIシンガーやボカロの調声もレベルアップするはずです。
そしてそのポイントが分かれば、作詞の際にもどんな言葉を使ったらビブラートを活かせるのか、メロディーのどこに乗せたら良いのかのコツが掴めるはずです。

まずはビブラートのやり方を調べてみました。
こちらのサイトが分かりやすかったです。↓

要は音の高さを周期的に上下させることで揺らぎを与えるテクニックですね。
上掲サイトによるとその出し方に、「顎(あご)ビブラート」「喉(のど)ビブラート」「横隔膜ビブラート」の3種類あるとのこと。なるほど。まぁAIシンガーやボカロにその区別があるのかは、彼ら彼女らに肉体が無い以上わかりません。

この中で出しやすいのは2つ目の「喉ビブラート」だそうです。
ただし、喉ビブラートは別名「ちりめんビブラート」とも呼ばれていて、あまり小刻みに掛け過ぎるとどうやら「くどい」。癖が強くて不快感を与えることもあるようです。
たまにボカロ曲でやたらビブラートを掛けた曲に出会うことがありますが、確かに不自然な細かい揺れがあちこちにばら撒かれているとしつこい感じはしますね。
音の高低ではないので仕組みは違いますが、扇風機の前で喋ると宇宙人のモノマネになるみたいな。「ワレワレワウチュウジンダ」……って今時の方はやらないか。
このへんは聴く人の好み等にもよるので否定はしませんが、せっかく掛けるなら意図的に効果的に使ったほうが良いとは思います。

他のサイト等も流し読みしてみたところ、ビブラートを掛けるポイントは曲ジャンルやテンポなども影響するようで、出し方や訓練の仕方はあれこれ解説されているけれど「どこにどれくらい?」というのは「曲による」としか言えない部分もあるとのこと。それを知りたいのに。初心者解説あるある。

ただ掛けやすい箇所はおおよそあるみたいです。
それは長く伸ばす声、つまりロングトーンですね。
確かに一瞬しか発声されない音より長く伸ばす音のほうが、しっかりと長く強くビブラートを掛けることができます。ある程度長さが無いとそもそも周期性が生まれないので掛けるヒマがありません。

ビブラートはロングトーンだけ?

ビブラートの上手い歌手として宇多田ヒカルさんが挙げられていました。
喉ビブラートタイプで、ともすればちりめんビブラートになり得ますが、彼女の場合「1/f(f分の1)ゆらぎ」と呼ばれる周波数が含まれていて癒し効果があると言われています。

ろうそくの火のゆらぎや電車の揺れの周期性が安心感をもたらしてくれるそうです。確かに電車は眠たくなる。

折角なので彼女の代表作『First Love』を改めて聞いてみました。

この曲で印象的な箇所と言われて誰しも思い出すのは、サビ直前の「だろう」が「だらぁ〜」とも「だはぉ〜」ともつかない独特の発音で高音・ロングトーンになるところでしょうかね。
高音・ロングトーンと言われれば、今までの記事を読んでいただいた方ならお気づきでしょうが、リフレインと合わせてサビでよく使われる要素3つの内の2つですね。そりゃ印象的になります。
さぞかしキレイなビブラートを掛けているんだろうな、とよくよく聞いてみると……。

んー、わずかに後半掛けているけれどゆっくり薄くといった感じで、どちらかというとウィスパーボイス(ささやき声)のような少しかすれた要素が前面に出ています。あれれ?
1番のAメロ・Bメロ・サビの内、ビブラートがしっかり掛かっているのはどちらかと言えばAメロ。低音域ですが全体的に声が揺らいでいる。
それとサビ後半の「今はまだ悲しいLove song」の部分。
必ずしも高音・ロングトーンではないところでビブラートが掛かっています。なぜでしょうね。

そこで歌詞を読み直してみました。
長く引用すると面倒なので1番の内容だけをざっくり書いてみると、

Aメロは、別れの場面を思い出す過去の主観描写。
Bメロは、別れたあなた現在を思い浮かべる
例の「だろう」を挟んで、
サビは、いつかまた誰かと恋に落ちるかもと未来を想像してはみる。
けれど愛を教えてくれたただ一人のあなたをやっぱり忘れられない
そして「今はまだ悲しいLove song」しか歌えない。新しい歌を歌えるようになるまでは……。

ビブラートが掛かっている箇所は、歌の主人公の「切ない」「悲しい」といった主観的な感情を伴って歌われています。
2番ではBメロにも結構ビブラートが掛かります。「私はきっと泣いている」の箇所です。
そしてあなたを想う箇所では時にか弱くかすれたり、はっきりと力強く歌われたりと声の強さが揺れ動く。
そもそもAメロが始まる前、歌詞の無いイントロ部分で既にビブラートの掛かったスキャットが入っています。First Love=初恋を思い出してゆらぐ感情がそこに表現されている……。
そんなふうに私は感じました。

ビブラートが掛けやすいのは確かにロングトーンです。
しかし実際に声が震える時ってどんな場面でしょう。
悲しみに打ちひしがれて嗚咽を漏らす時、怒りに震えて食いしばっている時、喜びでこぶしを握りしめて叫び出したい時、感動で涙が止まらず言葉にならない時……、
つまり主観的な感情が溢れるような場面ではないでしょうか。

『First Love』ではビブラートが掛かる箇所と歌詞の主観的な感情を歌っている箇所がおおよそ一致しています。
ただロングトーンだから、サビの高音域だから、後半でのどが温まってきたから、などという物理現象だけで説明できるものではないです。
ブレスもそうでしたが、大きく歌おうとすると大きく息を吸わざるを得ない。そして肺に溜めたその息を一気に吐き出すとき、そこに感情を乗せて歌う。
発声とは「声帯が肺からの気流を振動させ音波を発生させる作用」でしたね。そしてその声帯はのどにある狭い通り道です。その狭い道を大きな息が通り抜けようとするとき、必然的に声帯は大きく強く震えます。
カラオケで気持ちよく歌えているとき、それは感情を込めて大きく強く歌えているときではないでしょうか。それこそ無意識でやっているのではないかという見解もあるようです。

ヒトの発声では理想的な発声状態(十分な声帯伸展と声門閉鎖、呼気圧といった諸条件が揃うこと)では無意識で自然にかかるという見解があり、これを支持する演奏家も多い。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88

ビブラートはただのテクニックではなく、そこに感情=「想い」を伴っているかが何より大切ではないかと私は思います。

AIシンガーやボカロには「想い」などというものはありません。どれほど人間っぽく歌えてもつまるところ機械ですから。
どう調声しても機械的だったり不自然なビブラートだったり感じるとするなら、それは完全に調声する人間側の問題です。
調声テクニックうんぬんの前に、歌詞やメロディーをちゃんと作れているかどうか、その歌詞やメロディーに作詞作曲者の伝えたい「想い」の部分が表現できているかどうかをまずは見直したほうが良いと思います。

あとは簡単。
訓練が必要な人間と違ってAIシンガーやボカロはある意味ボイトレ済みのプロ歌手です。
「ここが盛り上がりどころだから、その直前にブレスを入れたい」「この言葉に気持ちを込めたいから、ビブラートで歌って欲しい」とわずかな指示=調声をしてあげれば良いだけです。
そのためにはまずちゃんと作詞作曲からがんばらないとですね。

作詞への影響

【作詞編】なのでちゃんと作詞にも触れておきましょう。
『First Love』の1番のざっくり内容で太字にした部分。

Aメロは、別れの場面を思い出す過去の主観描写。
Bメロは、別れたあなた現在を思い浮かべる
例の「だろう」を挟んで、
サビは、いつかまた誰かと恋に落ちるかもと未来を想像してはみる。
けれど愛を教えてくれたただ一人のあなたをやっぱり忘れられない
そして「今はまだ悲しいLove song」しか歌えない。新しい歌を歌えるようになるまでは……。

ビブラート視点で見ると主観的な感情でしたが、もう一つ流れがあります。Aメロ→Bメロ→サビ前半→サビ後半
時間的流れが、
過去→現在→未来→(過去にとらわれた)現在
になっています。
サビの後半は「新しい歌 うたえる」未来に少しだけ想いを馳せるのだけれども、やっぱり過去にとらわれたままの現在です。
Aメロがビブラート多めでサビ後半も多めという事も併せて、過去から再び過去へと想いがループしているような構成です。
いやぁ(感嘆)よく出来てる。当時16歳の女の子が書いたと考えるとスゲェ。いやっ(間投)16歳の女の子だからこそ書けたのかもしれない。
(たぶん使いどころおかしいや。)

作詞入門書等をそれほど読み比べたわけではないですが、こういう時間的流れや視点の流れはだいたい解説されているのではないかと思います。
これが正解というものは無いでしょうが流れは必要です。1番が全部過去の思い出話だったりすると伝えたいことが2番以降になって、想いの込めドコロが偏ってしまいます。
あ、でもそれはそれで手法としてはありです。
バンプをまた例に出しますが『スノースマイル』とか。

物語調の曲であれば、オチとして最後まで取っておくというのも手法です。
アコースティックギター1本で奏でられる語りかけるような始まりから、後半になるほど楽器やコーラスやアレンジが増えていき、最後は「ラララ」のスキャットをずっと繰り返してフェイドアウトしています。ところどころ藤原さんらしい「イェー」も入る。
実はこの曲の前半は、叶わなかった君との過去の夢物語だったという少し悲しいオチです。ちなみにこの「ラララ」や「イェー」も当然のように歌詞には書かれていません。

こうなってくると、今回見てきた「スキャット」「ブレス」「ビブラート」などが、ただの音数合わせや作詞の都合でもなく、単なる息継ぎや響きのキレイさを狙っただけのものでもなく、
たとえ歌詞カードに書かれていなくても明らかに意味を持った歌の言葉として使われていることがわかってくるのではないでしょうか。

トップアーティストがそんな小難しいことを考えながら作詞や作曲をしているかはご本人でないとわかりません。なんとなく「ラララ」と歌いたかった、なぜか感情がこもってビブラートが掛かってしまった、そんなものかもしれません。
正直なところ、自作曲でもそこまで出来ているかはわかりません。たまになぜか上手くいっているような気がするだけかも。改めてあとから分析してみると気付いたり。

でもそれらを無意識にできてしまうことを何でもかんでも「才能」の一言で片づけてしまうのは短絡的だと私は思っています。
世の中には歌うどころか、普通に話し言葉を使うことすら上手くできずに苦悩する人もいます。

スキャットマン・ジョン『スキャットマン』

記事の頭から「スキャット」という言葉を使っていますが、一般的にスキャットと言われて多くの人が思い浮かべる歌の言葉は「ラララ」などではなく、この曲のような何と歌っているかわからないような言葉ではないでしょうか。

実はご本人(本名ジョン・ポール・ラーキン)は吃音症、いわゆるどもったり流ちょうに話せなかったりする症状に苦しんでいたそうです。
でも「あなた自身の『そのこと』を、 曲の中で直接伝えればいいじゃない」と奥様に助言され、「吃音症の子供たちが逆境に負けないように」との想いを込めてこの曲を制作したそうです。

デビュー曲『スキャットマン』は世界中で大ヒットしました。
それまでジャズピアニストとして細々と活動していましたが、歌手としてデビュー時の年齢52歳。わずか数年後、57歳で亡くなりました。
話すことすら苦難だった初老の男性が世界中に大ヒットする曲を生み出し、まったく新しい音楽の世界を切り開きました。
彼の成功を「才能」の一言で片づけることはできないと私は思います。
吃音症に苦しみ、それでも音楽が好きでずっと音楽を続けていた。そのうちに自分にしかできないものを見つけた。そして想いを込めて作った曲が世界中の人の心を動かした。

良い歌詞って何なんでしょうね。
少なくとも、いわゆる才能や小手先のテクニックではないと思います。
それはもしかしたら誰からも教わることはできないのかもしれません。
すでに自分の中にあるのなら。

結び

さて、今回も長々とお疲れさまでした。
もう少しだけお付き合いくださいませ。

結びコーナーは私の好きな作品を挙げるみたいな感じで始めたはずだったので、久しぶりにちゃんと挙げてみますかね。
「あとがき」というより「ラクガキ」。

『きみとぼくのラララ』
このチャンネルの楽曲だいたい好き。
しかもNEUTRINOのシンガーたちの良いところがギュッと詰まってる。

子どもの頃、聞いたり歌ったりした曲ってどれほど年をとってもずっと影響を受けますね。
この曲は私が小学4年生の頃、1年ほど親元を離れてド田舎で暮らしていたことがあって、その時通っていた小学校の卒業ソングでした。

6年生を見送る卒業式だったか、私が地元に帰るため見送られる側の終業式だったか、その両方か……どの式で歌ったのかは忘れましたが、卒業ソングと言われて真っ先に思い出すのはこの曲です。
同率1位の卒業ソングが同じくこのチャンネル(みんなのおんがくしつ)に投稿されている『さよならぼくたちのようちえん』(私は保育園でしたので「ようちえん」の部分が「ほいくえん」になっていました)です。
よほど長いこと過ごしたはずの小中高それぞれの卒業ソングなんて大して覚えていないのに、たった1年通った小学校と入院しがちでトータル2年ほどしか通っていない保育園の卒業・卒園ソングのほうがしっかり記憶に刻まれているなんて不思議なものです。
子どもの頃ほど体感時間を長く感じる「ジャネーの法則」のせいかもしれません。

歌詞を全部載せるのは著作権的にもちょっと問題ありそうなので控えますが出来れば聞いていただけると幸い。
子ども向けなので全部ひらがな。
繰り返しも多くてめちゃくちゃシンプルです。
でもABサビ構成曲のお手本のような歌詞とメロディーです。

サビの最後の歌詞は
ラララ きみとぼくのあいだに ラララー ひとつのうた

歌ってやっぱり最初は「ラララ」なんだなと思います。
詩的に美しい言い回しや印象的な単語を使っているわけでもないのに、
一度聞いただけで心に残り、数回聞いただけで全部覚えられて、何十年経っても忘れられない、君と僕を繋ぐ歌の言葉=「ラララ」。
作詞や作曲に行き詰ったとき、最新曲や流行曲を真似するのもひとつの手ですが、時にはふと思い出す子どもの頃聞いたり歌ったりした曲を引っぱり出してみるのもいいかもしれません。
きっとそれがその人の音楽の原風景です。

個人的な想い出話ですが、その小学校の音楽の授業がとても楽しかった。
生徒が少ないからこそできていたのでしょうが、天気の良い日の音楽の授業はみんなで校庭に出て木陰に集まり、若い女性の音楽の先生の弾くアコースティックギターに合わせて、その月の課題曲や生徒のお気に入りの歌を歌うといったのんびりしたものでした。リアル『サウンド・オブ・ミュージック』。
その学校は今はもうありません。当時ですら全校生徒40人くらいだったのでずっと前に廃校になりました。
子どもの頃の原風景として、あの赤い屋根の木造校舎はずっと記憶に残っています。

次回予告

次回は【作詞編】のまとめとして予定していた【分析編】です。
【分析編】としては第2回目です。
取り上げる曲は予定通りこちら。↓

11曲目『ねぇ、』(No.7/SEVEN/セブン)
投稿が2022年1月11日なので、ちょうど1年くらい前の曲ですね。

1回目は自作品『アレグレッタ』を主に作曲面から分析しました。
その時にも作詞やアレンジについて触れながら進めましたが、次回も一応は作詞面からの分析を中心に置きながら、作曲やアレンジにも触れるかと思います。
私の作詞作曲法ではそれぞれの要素が密接に絡んでいるという考えですので、例えばどこからがアレンジかというのは明確に区別しにくい。
スキャット、ブレス、ビブラートなんかも、今回見てきたように歌の一部であり作詞の要素でもあるとも考えられるし、調声というアレンジにおける要素であるとも考えられる。
もっと広く見ればシンガーごとに全く違う声質や歌い方も、音色の違いであり楽器と同じく作曲の要素であるとも言える。
使う音色や楽器によって曲の雰囲気がガラッと変わるように、シンガーによっても雰囲気が……それどころかそのもっと手前のコンセプトから変わることすらあり得る。
そんな体験をした曲がこの曲です。

次回は「制作秘話」兼「作詞の面白さ」を改めて感じていただければなと思います。
それではまた次回。
Thank you for reading!

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